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09. 灯火が消えたあとも、それは煌めく
隣を歩いていた彼の足が止まったのは、小さな露店を通りすぎようとした時だった。先を歩く格好となったミルクは店の方を振り返って、少し驚く。パッと見て工芸品などを扱っている様子のその店が、ダークチョコの興味を引くとは思わなかったからだ。
だけどクッキー王国にいた頃にはミントチョコが奏でるメロディに聴き入っている姿も時々見受けられたし、シュガーノームとお茶をしていることもあった。まだまだミルクが知らない趣味があるのかもしれない。そう思い直して側へ寄ってみると、彼が足を止めた理由が分かった。
「あ、この人形――」
「お目が高いね白いお兄ちゃん! その松ぼっくり人形は、あのクッキー王国産だよ! ああ、そっちの兄ちゃんが持ってるやつもそうさ!」
豪快に笑う店主の説明にやっぱりとミルクは納得して、今度はダークチョコの手元を覗き込む。どんぐりの帽子を被せたようなそのかわいらしいフォルムのランプにも、もちろん見覚えがあった。ミルク自身、何度も作ったことがある。
「そこの指輪やブローチなんかもクッキー王国のものだ! あの暗黒魔女と正面切って戦った、小さいのに勇敢な王国のものが手に入るのは、ここいらではここだけだよ!」
店主からすれば興味津々な客に見えるのだろう。ここぞとばかりにすすめてくる。懐かしさについ手が伸びそうになるが、今は旅をしている最中だ。必要最低限のものしか持ち歩けない。
それにしたって断りづらいなあと思いながら、ミルクは前のめりになっている店主に笑みだけ返しておく。一体、どのタイミングで去ればいいのだろうか。ちらりと隣に目を向ければ、ダークチョコはまだ懐かしいそれらを見下ろしていた。
その視線に気が付いたらしい彼は、顔を上げると気まずそうに眉根を下げて、悪いと小さく謝ってくる。
「確か、薬を見に行くと言っていたな」
「いえ! 少しくらいならいいじゃないですか。どれに……」
「そうだよ! ここでしか手に入らないものばかりだよ〜!」
ミルクが喋り終わらないうちに、店主が声を被せてくる。押しの強い店主に辟易としながらも、ダークチョコは再び品物に目を向ける。よほど気になるらしい。
真剣なその様子を、ミルクは店主と一緒になって、しばらくの間見守り続けた。
カーテンを閉めきって他の照明を落としてしまえば、部屋の中はどんぐりランプのあたたかな光で満たされる。
結局ダークチョコが選んだのは、最初に彼が手に取ったそれだった。サイドテーブルに載せた小ぶりのランプを見下ろしながら、ミルクはひっそりとした声を出す。
「以前まで頻繁に目にしていたものがこんな遠くのお店に並んでるなんて、何だか不思議ですね〜!」
「そうだな。……誰が作ったものだか分かるか?」
向かいのベッドに腰掛け、同じようにランプを見つめていたダークチョコがふいに視線を上げた。ミルクはそっとランプを持ち上げて、見回しながら眉を寄せる。
「うーん。駄目です、全然分かりません。……まあ、不器用な方が作ったものではないことだけは確かですね」
「ああ。……そういえば、お前もなかなかの腕前だったな?」
「……それはどうもです」
からかうように笑うダークチョコにミルクが返したのは、棒読みの返事だ。細かい作業を伴う物作りがあまり得意ではないことは、自覚している。楽しげな様子のダークチョコを見るのはいつもなら嬉しいかぎりだが、今は少々複雑な気分だった。ミルクはむうと顔をしかめたまま、サイドテーブルにランプを戻す。
だがそんな気持ちも、ランプのやわらかな光を見ているうちに落ち着いてくる。気を取り直したミルクは、ダークチョコに目を向けた。
「それにしても、急にどうしたんです? 勇敢くん達が持たせてくれようとしたものは全部断っていたのに」
「あれは……。そもそも、あんな大荷物を旅に持ってこられる筈がないだろう。筋肉など、家ごと持って歩けばいいとか言っていたんだぞ」
「家ごとですか! あはは、それは彼らしいですね〜!」
そう言っている筋肉の様子がありありと浮かんでしまって、ミルクは大きな声で笑った。
懐かしい。クッキー王国を離れて、あと三ヶ月ほどで一年になる。ミルクは目を細めて、ランプを見下ろす。
ダークチョコが王国を去ると決めた時、強く引き止めるものは誰もいなかった。その代わりに何かを持たせようとするものが多かったのは、ミルクも知っている。さっきの露店に並んでいたような物から、彼が好む酒や食べ物、そして心を込めて描いたであろう似顔絵。それらすべてに強い想いが込められていたのは、傍目にも分かった。
そのすべてを、ひとつひとつしっかりと目を通してから、ダークチョコは申し訳なさそうに首を横に振っていた。持っていけないから、と。
確かに旅をするなら多くの荷物は持ってはいけない。だがそれだけの理由で断ったわけではないことも、みんな分かっていた。王国にいる間彼がずっと暮らしていた家にも、もう何も残されていない。
旅立ちの前日、ついに空っぽになった家を見て「少し寂しいですね」とミルクがこぼしてしまった時だった。穏やかな声で、ダークチョコが言った。
「どうせこの世を去る時には、何ひとつ持っていけはしないからな」
この旅の終わりは、ダークチョコの命が尽きたその時。
彼は自らの命を削って、ようやく暗雲から逃れられたのだ。
残された時間がどれほどなのか、定かではない。それでもあまり長くはないということだけは、ミルクもよく知っている。
もしかしたら明日の朝、ダークチョコは目を覚まさないままかもしれないし、半年後もまだミルクと共に旅を続けているかもしれない。しかし、今も彼の命の灯火が、人より早く燃え尽きようとしていることだけは確かなのだ。
ランプの小さな火が、揺らめいている。あたたかなこの光も、いずれは消えてしまうのだろう。
「ミルク」
ランプを見ていた筈の赤い目がこちらを向く。見返すと、彼の口からは意外な言葉が飛び出してきた。
「お前は、何か欲しいものはないか」
「欲しいもの、ですか……?」
ぽかんと口を開いたまま、ミルクはまばたきを繰り返す。何故このタイミングでそんなことを聞かれたのか、さっぱり分からない。それほどランプを購入したことを、気にしているのだろうか。
「……オレの方こそあいつらに何か残してやれば良かったのかもしれないと、今更ながらに思ってな」
ランプに視線を戻したダークチョコが目元を緩める。少し寂しそうにも見える微笑みを前にして、やっとミルクは彼の意図を察することが出来た。
クッキー王国にあったダークチョコの私物は希少価値が高い一部の物を除いて、ほとんどすべてが誰の手にも渡ることなく処分されてしまっている。彼自身がそうしたいと願ったからだ。
「だが、いざ考えてみると何を残せばいいのか分からないものだな。お前は剣も使わないし……今オレが持っているものでも、そうでなくとも構わない。何か――」
「ありません」
再びこちらに視線を向けたダークチョコの言葉を遮って、はっきりとミルクは言った。
「何も……残してほしいものなんて、ありません」
正面から顔を見ながら言い放つと、一度大きく目を見開いたダークチョコは顔を伏せてしまう。
「すまない。お前の気も知らずに、おかしなことを言ってしまったようだ。……忘れてくれ」
消え入りそうな弱々しい声が、床へと落ちる。
しんと静まり返る中、ミルクはじっとランプを見つめていた。揺らぐ小さなその火は、いつ消えてしまってもおかしくないように思えた。
ダークチョコは、形見となるものを残そうとしてくれたのだろう。その気持ちがまったく嬉しくないというわけではない。それでも。
ふっと息を吹きかけてしまえば、小さな灯火はいとも簡単に消えてしまった。
室内をあっという間に支配する闇に、声こそ上げなかったものの驚いたのだろう。ダークチョコが息を詰めたのが分かった。
暗闇の中、ミルクは腰を上げた。そして伸ばした腕の中に、向かいのベッドに腰掛けたままの彼を閉じ込める。
「一緒にいてください」
力を込めるとぴくりと体を震わせた彼の表情は見えないが、きっと戸惑っていることだろう。それを分かっていて、ミルクは続ける。
「これからもずっと、一緒に」
「……ミルク、それは……」
闇に溶けていく、小さな声。呻くような、苦しげな声だった。
深く息を吸い込むと、鼻腔をくすぐるのは濃厚なチョコレートの香り。片膝をベッドについて、ミルクは腕の中の温もりを抱きしめ直す。どくん、どくんと、密着した体から伝わってくる鼓動の音に、目の奥が熱くなる。生きている――今は、まだ。
今にも溢れ出しそうな想いを必死に呑み込んで、ミルクは頭の中で適切な言葉を探し出していく。
「……あなたの命が尽きるその時まで隣にいることを、許してください」
呪いを解くことが出来るかもしれないと。けれども、剣に魂を捧げてしまったダークチョコは決して無事では済まないと。それらを本人に告げたのは、他ならぬミルク自身である。
だから、今更都合良く「生きていてほしい」だなんて、言わない。手を動かして、ゆっくりとダークチョコの頭を撫でる。さらりとした彼の髪の感触が好きだった。
「あなたと過ごした日々が、この旅こそが、僕にとって大切な思い出となるんです。――だから、これ以上望むものなんて、ありません」
「……っ」
震える吐息を漏らしたダークチョコの手が、ミルクの体に伸びてくる。
「あなたが見たいものを見て、行ってみたい場所へ行って、一緒においしいものを食べて……そうやって楽しい旅を続ければ、それだけ僕に残される思い出は光り輝いて、素敵なものになっていくんですよ」
やがて背中までまわってきた両手が、しっかりとミルクを抱きしめ返してくる。その手が自分より冷たいこと、だけど優しいことを、ずっとずっと、忘れないでいたいと願った。
「……ミルク」
名を呼んでくれるその低い声も、いつかは遠い思い出となってしまうのだろう。
けれどその輝きは、いつまでもミルクの心を満たしてくれるに違いなかった。吹き消した小さな灯火を闇の中に思い浮かべて、ミルクは微笑んだ。
(by sakae)
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