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07. あつい夜に
生い茂る木々の間に拓けた場所を見つけることが出来たのは、本当に幸いだった。ミルクはダークチョコと疲れた顔を見合わせると、すぐに野営の準備に取りかかる。
ひとまず目的地とした町への近道だと思って森に入ってみたのだが、失敗だった。急いで抜けようとしたところで、今日中に出られるかも怪しい。ただでさえ陽の光があまり届かないのに加えて、思っていたよりずっと入り組んでいるこの森を暗い夜分に歩き回るのは、危険だろう。
風もそれほどないので、ミルクは火を起こすことにした。作業の途中自分の腹から情けない音が聞こえてくるが、仕方がない。今日は歩き詰めだったので、もう腹がぺこぺこなのだ。さて夕飯は何にしようかと考えながら、とにかく湯を沸かそうとミルクが鍋を取り出した時だった。
ダークチョコがバッと顔を上げたかと思えば、背中にしまっていた剣を手に取って、自分達が来た方とはちょうど真逆の方向に体ごと向き直る。確認するように、ちらりとこちらに視線を向けてくるのに頷いて応えたミルクも、鍋を置いてステッキと盾を構えて前に出た。
その間にも聞こえてくる、茂みを掻き分ける小さな音。段々と近づいてくる気配に明確な殺気は感じられないものの、警戒するに越したことはない。
がさがさという大きな音と共に姿を現したのは、ケーキモンスターなどではなかった。ミルク達と同じく旅人のような装いのその人物は、深く被っている暗い色のフードとはまるで正反対の声を辺りに響かせる。
「誰かいる気配がすると思って来てみれば……何だあんた達だったのか! 驚いたよ!」
顔こそ隠れているが、カラッとした明るい声には聞き覚えがあったし、フードから覗いている特徴的なベリーカラーのおさげで、その正体はすぐに分かった。
「ホーリーベリー様?!」
「何故あなたが、こんな場所に……?」
街道から大きく外れた森の中。しかも、近いといえば近いが、ここはホーリーベリー王国の領内ではなかった筈だ。驚くミルク達を気にする素振りすら見せず、彼女は焚き火を一瞥するなり上機嫌で近づいてくる。そして焚き火の前にどかりと腰を下ろすと、背負っていたリュックの中身をごそごそと漁り始めた。この森の中でも見かけた木の実を始めとして、缶詰に大きなソーセージと、食材ばかりを取り出していく。
「ん? どうしたんだい、二人共」
呆気に取られ立ち尽くしているミルク達に向かって、手招きまでしてくる始末だ。フードが取れて剥き出しになった明るい色の髪を、焚き火がさらに赤く照らし出している。だが傍らに置かれたハート型の盾からは、炎よりも情熱的な光が溢れ出していて、思わずミルクは目を奪われてしまった。
「あんた達もまだなんだろ? 一緒に食べよう!」
ハッと我に返ったミルクは、ダークチョコの方を見る。彼も困惑しているようではあったが、小さく頷いたので決まりだ。
二人が焚き火の側へ近寄るとホーリーベリーは口笛を吹きながら、さっきミルクが取り出した鍋に食材を放り込んでいる最中だった。水分がそれほど入っていないのを見るに、作っているのはスープではないらしい。その様子に再び腹が鳴り始めたので、ミルクも自分の荷物から食材を取り出して鍋に足していく。色々と聞きたいことはあったが、腹を満たす方が先決だ。
ホーリーベリーがこれまた豪快に調味料を入れてくれたので、あとは完成を待つばかりとなった。ミルクが水を差し出すと笑顔で受け取った彼女は、喉が渇いていたのかコップを一気に傾ける。
「ぷはぁ……ありがとうよ! 一人で気ままに旅するのも気楽でいいけど、やっぱり焚き火を囲むのはいいもんだ!」
「……だったら、もう一人誘ってみてはどうです」
「え?」
ダークチョコの言葉にミルクは首を傾げたが、ホーリーベリーは苦笑いを浮かべて背後の茂みを振り返った。
「確かに……おい! いい加減お前も腹が減ってるだろう? こっちへ来たらどうだい!」
「…………」
茂みからゆっくり顔を出した男は大柄なミルクから見ても体が大きく、腕には厳ついガントレットを身につけている。やはり見覚えのあるその男は表情を変えずに深く一礼だけをして、ダークチョコとホーリーベリーの間、ちょうどミルクの正面に腰を下ろした。彼とその主君を、ミルクは見比べるように交互に見つめる。それからダークチョコの様子をちらりと伺うが、やはり驚いているのは自分だけらしい。
「お久しぶりです! 僕はてっきりホーリーベリー様お一人で旅をされているのかと思っていたんですが、ワイルドベリーさんと一緒だったんですね!」
「あー違う違う! こいつが勝手について来るんだよ。今日こそ撒けたと思ってたのになぁ……まったく、体はデカいくせにまだまだ親離れが出来ないようでね」
「違います」
やれやれと両肩を上げるホーリーベリーに返ってきたのは、否定の言葉だ。彼女をじとりと横目で見たワイルドベリーは、ミルク達に視線を向けると改めて挨拶を口にする。それから、大きな溜息をついた。
「毎度のことながら何も言わず勝手に国を離れられるので、こちらも困っているのだ」
「あー……」
「なるほどな」
その一言だけで状況が掴めてしまい、ミルクは深々と頷いてしまった。知るかぎりではプリンセスはプリンセスでまだクッキー王国を中心に冒険を続けているようであったし、従者というのは苦労が多そうだ。プリンセスのあとを必死に追いかける勇者の姿が頭に浮かんで、吹き出しそうになってしまう。つまらなそうな顔で鍋をかき混ぜながら、ホーリーベリーが反論する。
「王国には優秀な王妃もいるんだから、問題ないだろう。年寄りのあたしに出来ることといえば、こんなふうに散歩をするくらいのもんさ」
「散歩……」
ダークチョコが思わずといった様子で取り出した地図を、呆然と見下ろしている。散歩というには、スケールが大きすぎる気がしてならない。
短い溜息を吐き出したワイルドベリーが「あまり混ぜると具が崩れますよ」と注意を促すのを尻目に、ホーリーベリーはさらに調味料を足すと鍋の中を大きくひと混ぜする。続いて、ミルクの方に向かって片手を差し出す。
「ほら! 入れてやるから皿を貸しな。お前もさっさと食器を出せ」
「あ、はい! ありがとうございます!」
慌てて用意しておいた深皿を手渡す。味見をしている気配はなかったが、鍋料理が完成したらしい。少し辛そうなその匂いに、空腹感を刺激される。ホーリーベリーがミルク達の分をよそっているうちに、ワイルドベリーは重たそうなガントレットを外して、言われたとおり自分の荷から食器を取り出していた。
「私は自分でしますので」
と、断る彼からひったくるように奪った深皿に、ホーリーベリーは他のもの同様たっぷり盛りつける。ある意味息がぴったりだ。
ああ変わらないな、とミルクは微笑む。忙しいらしく他の英雄達とは戦場以外で顔を合わせる機会は少なかったが、ホーリーベリーはよくクッキー王国に顔を出してくれた。もちろん彼女に付き従う、今現在も隣にいる大きな男も一緒に。
片や大きな声で、片やぼそぼそと何やら言い合っている二人の様子を眺めていると、ホーリーベリーが不思議そうに小首を傾げながらミルクを見てくる。
「どうした? ぼさっとしてないで、冷めないうちに食べちまいな!」
「いえ。……そうですね、それじゃあいただきます!」
さっそく食べてみると、香り同様にスパイシーな味がする。それでも麻辣などの手料理に比べれば大人しい、というよりもマイルドで、ミルクとしてはほど良い辛さに感じた。なので率直な感想を口にする。
「少しピリッとしてて、おいしいですね!」
「そりゃ嬉しいねえ! あー、ここが外じゃなけりゃあ、もっとうまいもんを用意してやれるんだがなぁ」
嬉しそうに笑ったばかりのホーリーベリーが、眉をひそめて皿をつつく。
そういえばいつだったか彼女がクッキー王国へやってきた際に、プリンセス達からお裾分けだといってたくさんのマフィンを貰ったことがあった。それも、いつもはたくさん食べるプリンセスやカスタードがもう食べられないからと、腹を押さえながら。今思えば、あれも彼女の手作りだったのかもしれない。あの時のマフィンもおいしかったなあと頭の中では甘いそれを思い返しながら、ミルクはピリ辛の鍋を食べ進める。
「あまりじろじろと見られていては、食べにくいのですが」
皿の中が大分寂しくなった頃、静かだったダークチョコが、突如苦々しい声を発した。
驚いて顔を上げてみると、彼はほぼ正面にいるホーリーベリーに視線を向けている。向き合う彼女は持っていた皿を置くと、気まずそうに頬を掻いた。
「悪い悪い……あんたを見てたら、どうしてもあいつのことを思い出してさ」
「ホーリーベリー様」
諌めるように己を呼ぶ従者に手のひらを向けて制したホーリーベリーは、今度はまっすぐダークチョコを見据えた。ミルクも食事を中断して、固唾を呑んで二人を見守る。
「あたしは頭を使うのは得意じゃないからさ。それとなく、とか、遠まわしにだとか、そういうのは苦手でね。単刀直入に言わせてもらうよ」
返事も頷きもしなかったが、ダークチョコもホーリーベリーをじっと見つめ返したままだ。
「一度だけ。一度だけでいい。――カカオに顔を見せてやってくれないか」
「…………」
「あいつが直接言ってたわけじゃない。でも、あんたに会いたがってるのは、あたしにだって分かるんだよ」
辺り一帯を静寂が支配する。口を挟むべきか悩んだミルクが声を出そうとした瞬間、ワイルドベリーと目が合った。そのまま彼は小さく頷く。大丈夫だと、そう言ってくれているように思えて、ミルクはそっとダークチョコに視線を移した。
「――もし、まだ私に時間が残されているのなら」
しばらくして、ダークチョコが口を開いた。伏せられたその目は、焚き火を映しているようだった。
「いずれはあの白き大地をもう一度踏みしめたいと、……そう思ってはいます」
「そうか」
ダークカカオに会うつもりだとは言っていない。それでもホーリーベリーは満足そうに頷いた。張りつめていた空気が一気に緩まる。ミルクがほっと息をついていると、顔を上げたダークチョコがじっと前を見つめながら、再度喋り始めた。
「……それより、オレの方こそ、あなたに言っておかなければならないことがあります」
「うん? 何だい、改まって」
目を瞬かせながら首を傾げるホーリーベリーに向けて、ダークチョコが頭を垂れる。
「その節はお力を貸していただき、ありがとうございました」
思わずミルクの視線はホーリーベリーの盾へと向かっていた。情熱的な色の光を放つ盾が、一瞬、さらに輝きを増したような気がしたからだ。
「……一体、何に対してのありがとうなのかは覚えがありすぎてさっぱり分からないけど、うん! 礼を言われるのは悪い気がしないね! 今すぐ乾杯でもしたい気分だよ!」
あっはっは、と明るい笑いに炎が揺らめく。呆れたように肩を竦めながらも、主を見遣るワイルドベリーの表情はやわらかい。
それきりダークチョコは何も言わずに、中断していた食事を再開した。他の二人も同じようにし始めたのを見て、ミルクも残っていた皿の中身を再び口に入れていく。すっかり冷めてしまってはいるが、それでも濃いめの味付けのおかげか、それともあたたかい場の空気のおかげなのか、やたらとおいしく感じた。
食事を終えると同時に「よし、朝になったら一緒に森を抜けよう!」と、ホーリーベリーが高らかに言った。何度もここを通ったことがあるという彼女の誘いは、心強くてありがたい。断る理由はなかった。
明日の為にも今夜は早めに体を休めようという話になると、真っ先に見張りを申し出たのはワイルドベリーだ。
「ホーリーベリー様がまた勝手に行ってしまわれないよう、オレに火の番を任せてもらってもいいだろうか?」
「それは構わないが、お前一人に任せきりにするつもりはないぞ。いつも散々振り回されているのなら、お前も少しは休んだ方がいい」
「助かる」
そのやりとりにホーリーベリーはうんざりとした顔になって、重たそうに腰を持ち上げた。耳が痛いのだろう。そのまま野営の準備に取りかかった彼女をミルクは手伝おうとしたのだが、それより早くワイルドベリーが立ち上がった為、焚き火の前に留まることにした。ダークチョコの方へ体を向ける。
「見張りの交代なら僕がしますから、ダークチョコ様も今夜はゆっくり休んでください」
「いや、お前こそ疲れているだろう。気にせず休め」
「おいしいご飯を食べたから、もう元気いっぱいですよ!」
「単純なやつだな」
両手でぐっと握りこぶしを作ってアピールすると、ダークチョコが小さく笑う。その表情が明るいことにほっとして、ミルクは少しだけ黙り込んだあと、意を決して口を開いた。
「あの。明日この森を抜けたら、ダークカカオ王国に向かうつもりですか?」
元々向かう予定だった町は反対方向になるものの、今いるこの森からダークカカオ王国を目指しても、そう遠くはない。しかし次の目的地が極寒の地となれば、前もって支度をしておいた方がいいだろう。ミルクもダークチョコもあの地で生まれ育ったからこそ、一見綺麗な白銀の世界がどれほど恐ろしいものかを知っているのだ。
ダークチョコは焚き火の方へと視線を落として、頭を振った。
「さっきの言葉は嘘じゃない。……だが、今はまだあそこに向かう勇気がないと言ったら、お前はオレを軽蔑するか?」
「そんな筈ないじゃないですか!」
力強く即答したミルクは、けれども優しい手つきでダークチョコの手を覆う。
「もしダークチョコ様が行きたくないのなら、行かなくたっていい。僕はそう思ってます。……この旅は、うんと楽しいものにしよう――そう約束したじゃないですか!」
「そうだったな」
静かに落とされた声が、あたたかな火の中に溶けていく。
生まれ育った国へ向かう。父親と顔を合わせる。たったそれだけのことを、しかしダークチョコが容易に果たせないのは、ミルクも知っている。それらのことで、彼は本当に長い時間苦悩し続けてきたのだ。
呪われた剣を捨てたあとはミルク達と共に戦ってくれたダークチョコだったが、彼はあれから一度たりとも故郷に帰ることはなかった。ダークカカオ王国の使者として時折クッキー王国を訪れていた黒糖やクランチチョコチップとも、必要以上に顔を合わせていない様子であった。
闇の力を手放しても、胸中に渦巻いていた蟠りがすべて消え去ったわけではないのだろう。
けれどホーリーベリーの言うことも、ミルクには分かるのだ。ダークカカオがダークチョコに会いたがっている。それが嘘だとはとても思えない。
ダークチョコの呪いが解けたあの日のことは、今もしっかりとミルクの記憶に焼きついている。意識がなかった筈のダークチョコもおぼろげにでも覚えていたからこそ、さっきホーリーベリーに礼を告げたのだろう。あの場に誰がいたのか、彼はちゃんと知っている。
だからもし彼自身が望むならば、今すぐにでもダークカカオ王国に向かいたいとミルクは思っている。再び彼らが向き合える時間は、限られてしまっているから。
「もう少し寝てていいぞ」
近づいても微動だにしないまま、ワイルドベリーが言った。ミルクの方も足を止めることなく進んでいくと、彼の向かいに腰を下ろした。
「一度目が覚めたら眠れなくなってしまって……ごそごそしてたらダークチョコ様が起きてしまいますし」
今夜は寝つきが悪かったと苦笑を浮かべれば、納得したようにワイルドベリーが頷く。
「そうか。……飲むか?」
彼は傍らに置いていたカップを軽く持ち上げる。赤っぽいその中身が水やコーヒーではないことくらいしか分からず、ミルクは首を捻った。あたたかそうに見えるが、ベリージュースだろうか?
「ハーブティーだ。ローズヒップやストロベリーなんかがブレンドされている」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
ミルクの返事を聞いてすぐにワイルドベリーは焚き火に鍋を載せて、水を入れていく。ミルク達は気付かなかったが近くに泉があったらしく、彼らがテントを張り終えると汲んできてくれたものだ。湯が沸くのを二人して火を見つめながら待っていたのだが、ふいにワイルドベリーが声を出した。
「……正直、意外だった」
「何がですか?」
ミルクは木苺のような赤い目を見返す。再び沈黙が流れたが、それは長くは続かなかった。
「お前はオレやクランチと同じように、大切なものには――ダークチョコには、一秒でも長く生きていてほしいと、そう願っているものだと思っていた」
「……」
一体、今、自分はどんな顔をしているだろうか。まずミルクが思ったのはそんなことだ。微笑んでいるつもりだが、引き攣ってしまっているかもしれない。
「……僕は、あの方には笑っていてもらいたかっただけなんです。ただ、幸せになってほしかった……」
上を向けば、木々に囲われた小さな夜空があった。月こそ見えなかったが、いくつかの星を確認出来る。
「もしかしたらピュアバニラ様の言ったとおり、いずれ安全に呪いを解く方法が見つかったかもしれません」
ミルクは空に向かって手を伸ばす。手のひらを握りしめて閉じ込めたのは、かつてのダークチョコが、望んでも手に入らなかった光。
「それでも僕は、一秒でも早くあの方に青い空を、太陽を、澄んだ夜空を……見てもらいたかった」
手を開いて、星を解放する。ワイルドベリーに向き直ると、同じように空を仰いでいた彼は視線を落として鍋を確認した。湯が沸き始めている。
「オレとお前とでは立場も関係性も、何もかもが違うだろうが、その想いは分かる気がする。……バニラ王国での会談で暗黒魔女の正体を知り、そのうえで戦うことを決断されたあの方の姿は実に素晴らしかったが」
一旦言葉を区切った彼の眉間にしわが寄る。
かつての友と戦うなど、どんなに苦しいことだろうか。改めて想像して、ミルクも顔を歪める。一方的に敬愛していたダークチョコと対峙した時でさえ、つらく感じたというのに。
「……二度とあんなつらい選択はしてほしくないと、強く思ったものだ。だから、これから先はずっと、あの方が笑っていてくれたらと願っている。――正直、飲むのはもう少し控えてほしいが」
「あはは!」
思わず声を上げて笑ってしまい、ミルクは慌てて口を手で塞ぐ。休んでいる二人を起こすわけにはいかない。
手を離すと同時にハーブティーが差し出されたので、両手で受け取った。さっそくカップに口を近づけてみれば、甘酸っぱい香りがする。冷めるように息を吹きかけてから少し口に含んでみると、ミルクはぱちぱちとまばたきをした。
「あ、これ……思ってたより酸っぱくないですね!」
「ああ。飲みやすくていいだろう」
ワイルドベリーも再びカップを手に、僅かに目元を緩める。
「さて。せっかくだし、オレはそろそろ休ませてもらうとするか」
呟くようにそう言うと、彼は残っていたハーブティーを飲み干してしまう。ゆっくりと立ち上がる彼に、ミルクは焦ったように声を掛けていた。
「あの…! さっきの話ですが、ああ言ったとおり、僕は自分がしたことを決して悔いてはいません。……でも」
手に持っている赤を覗き込むようにして、続ける。
「こうやって火の番をして迎えた朝、あの方がちゃんと起きてくるのかどうか、時々怖くなることがあるんです。……一緒に寝ていても、もしかしたらこのまま目を覚まさないんじゃないかって……不安になって、なかなか眠れなかったり」
今日だってそうだ。狭いテントの中で、ダークチョコの寝息に耳をそばだてて。生きていることを何度も何度も確かめた。
「情けないですよね。あの方の寿命を縮めさせておいて、出来るだけ最後の時が遠ければいいなんて願って……それでも、僕は…………最後の最後まで、あの方の側にいたいんです……!」
ハーブティーが波打っているように見えるのは、手が震えているせいだろうか。それとも目が潤んでいるからだろうか。様々な想いがしずくとなって、カップの中に落ちていく。
どうしてこんな話をしてしまったのだろう。どうにかミルクは震えるカップを置いて、服の袖で目元を拭った。ワイルドベリーが困っている筈だ。謝らないと。口を開こうとしたミルクの元に落ちてくる、あたたかい声。
「出会いとは喜びであると、ホーリーベリー様はよく仰られている」
「……?」
顔を上げてみれば、ワイルドベリーはこちらを見下ろしていた。情熱的な色を宿しながらも、その瞳は優しい。
「ならば別れとは悲しみなのか……ずっと前に、そう尋ねてみたことがある」
「……ホーリーベリー様は何と…?」
「――寂しさはあるが、決してそれだけではない。そうでなければ、出会ったことにすら意味がなくなってしまうだろう、とのことだ。……だからオレはあの方と出会えて良かったと、最後まで……いや、そのあともずっとそう思い続けたい」
そう言って、ワイルドベリーが微かに笑う。
ミルクは何度も強く頷き、奥歯と共に言葉を噛みしめる。幼い頃にダークチョコに出会い、そして再び巡り合えたことが、自分にとって何の意味もない筈がなかった。
「ありがとう、ございます……! ゆっくり休んでくださいね」
「ああ。あとは任せたぞ」
ワイルドベリーを笑顔で見送ってから、ミルクは再びハーブティーに口をつける。甘い後味に、笑みがこぼれ落ちた。
夜が明けると、すぐに出発となった。
昨日あれほど苦労したというのに、楽しそうに喋りながら先を行くホーリーベリーについて歩いているうちに、あっさりと森を抜けてしまったのだから驚きだ。
ふたつに分かれた道を前に、四人は立ち止まる。ホーリーベリー達が目指す場所はミルク達とは違う。ここでお別れだ。
「今度会ったら、一杯やろう!」
彼女がミルクとダークチョコに抱きつくように肩に手をまわしてきたかと思えば、バシバシと背中を叩いてくる。なかなかの痛さだ。思わず助けを求めようとするが、頼みの従者は目を細めてこちらを見守っている。
「じゃあな!」
ようやく解放されたかと思ったら、握手する間もなくホーリーベリーはさっさと右手の道を進み始めてしまった。
「どうか、お元気で」
ダークチョコの声に振り返った彼女は、にかっと笑うと大きく手を振る。彼女のあとに続くワイルドベリーは一度だけぺこりと頭を下げると、もう振り向きもしなかった。前を向いて歩くよう注意を促す声だけが、ミルク達の側までやってくる。
何ともあっさりとした別れだった。だけど彼女達は、ただ別の道を行くだけなのだ。ミルクも自分達が進むべき道へと、体を向ける。
目的地は当初の予定どおりのままだ。それでもダークカカオ王国に足を踏み入れることになる日は、きっとそう遠くはない。
「行くぞ」
マントをはためかせながら、ダークチョコが先を行く。その目がまっすぐ前を見据えているのを、ミルクは知っている。しっかりと地面を踏みしめながら、彼のあとに続く。今日も共に歩めることが、嬉しくて堪らなかった。
いつか二人の前に大きな分かれ道が現れるその日まで、同じ道を歩み続けたい。
(by sakae)
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