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08. 迷子の迷子の
時々、訪れた町や村の中で何やら困った様子の人を見かけることがある。大抵はミルクが話しかけるまでもなく親切な住民らによって解決されるのだが、誰にも声を掛けられずに途方に暮れている姿が目に入ってくることも、稀にあった。そんな時、ミルクは必ず声を掛ける。たとえ土地勘がなくたって、その人が安心して笑えるようになるまで付き添うのだ。
そして昼近くに訪れたばかりのこの町でも、ミルクは人探しをしている真っ最中だった。
隣を歩いていた男はおもちゃ屋に足を踏み入れた途端に、きょろきょろと慌ただしく辺りを見渡す。ミルクはミルクで眠たそうに店番をしていた若い男に尋ねてみるが、男から聞いていたような特徴を持つ子どもは見かけていないらしい。念の為にと店の奥まで行っていた男が、溜息をつきながら戻ってくる。やはりここにもいないようだ。
「他に心当たりは」
「……本屋かもしれない。あの子は絵本が好きなんだ」
足早に進む男に続いて店を出る。すたすたと目的地に向かって歩きながらも行き交う人々に素早く目を向ける彼を横目に、ミルクは空を見上げた。そろそろ少しずつ暗くなり始める時間だ。
「一人でお家に帰っている可能性は――」
「ない。さっきも言ったが自宅まではかなり距離があるし、あの子を連れてこの辺りに来たのは、今日でまだ二度目だ」
だからまだこの辺りをさまよっている筈なんだと、振り向きもせずに男が言いきる。眉間にしわが寄ったその顔をちらりと見て、改めてミルクは早く彼を子どもに会わせてやりたいと思った。
最初、男は素っ気なかった。何かを探している様子だったので声を掛けたのに、誰の手も借りないと言わんばかりの態度で軽くあしらわれた。それでもミルクはどうしても気になって彼の近くにいたのだが、しばらく経っても事態が好転する気配がない。どうやら子どもと離ればなれになってしまったようで、ミルクは心配になり、もう一度声を掛けてみたのだ。
「もしかしたら、どこかで怪我をしてしまって動けないのかもしれません。僕は治癒の力を使えますし、どうか一緒に探させてもらえませんか」
「……そこまで言うのなら」
渋々といった様子で、男は首を縦に振ってくれた。あれからもう二十分近くが経っている。
もう少し探しても見つからないようであれば、一度酒場に顔を出した方がいいかもしれない。互いに用事を済ませたらと、ダークチョコと待ち合わせをしているのだ。すでに彼がいたなら事情を説明すればいいし、いない場合はマスターにでも言付けを頼んでおけばいいだろう。
そうこう考えているうちに本屋にたどり着いていた。男が子どもの名を呼びながら、店内を突き進む。大きな声だ。呆気に取られていた店員にミルクが事情を話していると、男の行動に眉をひそめていた女性客が、今度は心配そうに顔を歪ませて口に手を宛てがう。
「私はその子らしい子は見かけなかったけれど……早く見つかるといいわね」
「そうですね」
店内を一周して戻ってきた男はミルクと目が合うと、首を横に振る。その表情からは疲れが滲み出ていた。
本屋を出るなり急いでどこかに向かおうとする男の肩に手を置いて、ミルクは落ち着いた声を出す。
「一度、時計台の方に寄ってみませんか。もしかしたら伝言を聞いて、待っているかもしれないですし」
迷った素振りを見せながらも、男はミルクの提案に素直に頷いてくれた。少々頑固そうな男だったが、大分意見を聞いてくれるようになっていた。きっと子どもが心配で堪らないのだろう。今にも全速力で走り出しそうな勢いで進む男の背中を、ミルクも急いで追いかける。
向かう時計台はここからも見えている。高くそびえ立つそれはこの町のランドマークだった。あそこなら仮に子ども一人だけでも目指しやすいだろうと、訪ね回った先々でもし男の子どもが来たらそこで待つようにと、ミルクが伝言を頼んでおいたのだ。
ダークチョコと約束をしている酒場もその近くにある。しかし、彼はまだ酒場に向かっていなかったようだ。
「ダークチョコ様!」
ミルクが声を発したのと同時に、男が子どもの名を叫んで走り出した。驚いて一斉にこちらを振り返った周囲の人々の反応など、今の男の目には映っていないだろう。
時計台に向かう途中の道端で、見慣れた黒い後ろ姿を見つけた。そしてその隣には、見慣れぬ小さな人影。探し求めていた子どもは、何故かダークチョコと一緒に歩いていた。
「最初に向かったのは、大量の菓子が並んだ店だった」
「それって黄色とピンクのくまゼリーのお面が飾ってあったところじゃないですか? だったら僕も行きましたよ。次に看板にうさぎさんがいる」
「そこも入った」
持っていたジョッキをテーブルに置いたダークチョコが、やれやれと言わんばかりに盛大な溜息をつく。なかなかにお疲れな様子だ。初めて訪れた町の中を、あっちへこっちへと子どもの足に合わせて行き来していたのだから、当然だろう。ピザを一切れ食べ終えて、でも、とミルクは首を傾げる。
「途中からは僕の伝言を聞いてたんですよね? どうしてすぐ時計台に向かわなかったんですか?」
「……父さんを見つけてあげなきゃと、なかなか言うことを聞かなかったんだ」
「あはは。それはそれは……本当に大変でしたね」
確かに元気いっぱいの、弾けるような笑顔が眩しい男の子だった。ミルクは時計台の下で別れた父子を思い出す。
あれだけ心配をしていた父親の方は「もう勝手に動き回るんじゃないぞ、分かったな」と、我が子に対して口調こそ厳しかったものの、その顔はすっかり綻んでおり、微笑ましく思った。お礼に夕飯でも一緒にどうかと誘ってくれたのだが、それは丁重にお断りさせてもらった。普段は仕事が忙しくあまり子どもに構ってやれないのだと、町中を駆け回っていた際に男が言っていたのだ。子どもの方だって、父親と二人だけで過ごしたいに違いない。
なので予定どおり、こちらも二人きりで酒場で夕飯をとっている最中である。
ダークチョコによればミルクが男と出会ったちょうどその頃、おもちゃを落としたことに気を取られて男とはぐれてしまった子どもに、話しかけられたのだという。
「まさか、初対面の子どもが話しかけてくるとは思わなかった」
辺りを行き交う人々の中でも頭ひとつ分は飛びぬけて背が高く、明らかにこの町のものの風貌ではない、そして顔に大きな傷が入ったダークチョコは、お世辞にも子どもが話しかけやすいタイプではないだろう。ミルクからしてみれば、素敵すぎて逆に話しかけられないかもしれない、と言ってみたのだがスルーされてしまった。
ともあれ子どもがダークチョコに声を掛けてきた理由は、いたってシンプルなものだった。
「こわそうな顔が、ちょっとだけ父さんに似てたから」
そう言われた時、一体ダークチョコはどんな顔をしたのだろうか。見てみたかったな、とミルクは少し残念に思った。
そんな想いがうっかり顔に出てしまっていたらしい。ミルクをじとりと睨んでから、ダークチョコはクリームビールが入ったジョッキを再び煽った。
「でも、二人が無事に会えて良かったですね!」
「そうだな」
ミルクが切り分けておいたピザに、ようやくダークチョコが手を伸ばす。ぱくりとひとくち食べた彼は、しかし口の中のものを飲み込んでからも、何故か残りを口にしようとはしない。落ちかけているピーマンの辺りを、じっと見下ろしている。
「ダークチョコ様?」
「!」
不思議に思って声を掛けると、ダークチョコはハッとしたように顔を上げた。その拍子に落ちそうになったピーマンごとピザをかじった彼は、残りを取り皿に置く。
「……さっきのあの少年は、お前の伝言を聞く前から父親が自分を探していると、そう信じて疑っていなかった」
絞り出された声は、店内に響く笑い声に掻き消されてしまうのではないかと思うほど、小さかった。それでもミルクは聞き逃さないよう、しっかりと耳を傾ける。
「昔、オレがまだ剣を持って間もない頃のことだ。剣の稽古の為に父に続いて城の外に出た」
「ダークチョコ様が子どもの頃のお話ですね」
「ああ。いつもの訓練場に向かう途中、猛吹雪に見舞われた。まあ、あの国ではよくあることだな。お前にも経験があるだろう」
軽く頷き、ミルクは黙ったまま続きを聞いた。
「視界が白くなって、先を歩く父の背中すら見えなくなった。立ち止まって吹雪が治まるのをひたすら待ったんだが……、視界が戻った時、目の前に父はいなかった」
ダークチョコの目はテーブルに向けられていたが、きっと過去を見つめているのだろう。残念ながら明るいとは言いがたい表情をしている。
「どうにか訓練場にたどり着いてみると、そこで待っていたあの人が掛けてくれた言葉は「遅い」の一言だけだった。……それからは普段と変わらない、厳しい稽古の始まりだ」
目を細くした、どこか苦しそうなその横顔をミルクはそっと見つめ続ける。
「もしもあの時。道に迷い、そこにオレがたどり着けなかったとして、あの人はオレを探してくれただろうか――少年と彼の父親を探している間、そんなことばかり考えてしまっていた」
ふう、と長い息を吐き出して、やっとダークチョコはこちらを向いた。
「すまない。料理がまずくなるような話をしてしまったな」
「いえ」
食べかけのピザを持ち上げて口に運ぶダークチョコに、ミルクは言う。
「おそらくあの方は、ダークチョコ様なら絶対に大丈夫だと信じていたんだと思います。もし仮に、あなたが迷ってしまったとしたなら」
ダークチョコはピザにかじりついたままの格好で、動きが止まっている。そんな彼を見つめながら、ミルクは喋り続けた。
「きっと、血眼で探し回ったんじゃないかと、僕はそう思いますよ」
「…………」
持っていたピザをゆっくりと食べ終えると、ダークチョコは濡れたふきんで手を拭きながら吐息をこぼす。
「血眼で、というのは想像がつかんが……そうだな。もしかしたら探してくれたかもしれない――今なら、そう考えることは出来る」
困ったように、それでも笑みを浮かべた顔を見て、ミルクはまだ並々とクリームビールが入っているジョッキを手に取った。普段はあまり飲まないが、今日は最初から飲むと決めていたのだ。すっと、ダークチョコの方に寄せていく。意図を察してくれたらしい彼も、すでに中身が半分ほどにまで減ったジョッキを持ち上げる。
「もし僕が迷子になったら、その時はお迎えをお願いしますね!」
「何だ。飲む前から酔っ払っているようだな?」
笑みを交わし合いながら、コツンとジョッキを打ち鳴らした。
(by sakae)
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