ムーンロードの先へ - 10/13

10. 春の足音

「本当に、もういいんですか?」
「ああ。もう充分だ」
 きっぱりと断言したダークチョコは、深くフードを被っていて表情は分かりにくいものの、満足そうに見える。
 思わずミルクが振り返ったのは、城がある筈の方向。しかし視界はほとんど変わらず、白い雪原がどこまでも続いているだけだ。
「せめて、慰霊碑に……」
「この国を捨てたオレが、行くべき場所ではないだろう」
 彼は今度は明確に左右に頭を振ってみせた。ダークカカオ王国の戦士達の魂が眠るそこは、確かに彼にとっては足を踏み入れるのもためらわれる場所だろう。それ以上はミルクも食い下がろうとはせず、迷いのない足取りで雪を踏みしめるダークチョコについて歩く。
 ようやく訪れたダークカカオ王国だったが、結局ミルクの故郷やその周辺を少し見て回った程度に留まった。ダークカカオに顔を見せてやってくれとホーリーベリーは言っていたが、これはダークチョコの旅だ。彼がいいと言うのなら、無理をする必要はないとミルクは思っている。
 それに実際に王城に向かうとなると、難しいのも事実だった。
 詳しい内情を知らぬこの国の民達からすれば、ダークチョコはかつて王を斬り、そして長き時を経て再びこの地に姿を現した際には城壁を壊して、国を窮地に陥れた〝元〟王子だ。それはたとえ暗黒魔女との戦いにおいて功績を残した今でも、覆されることはなかった。彼に良くない感情を抱いているものがいても、何ら不思議ではない。
 顔を隠しておいた方がいいと言ったのは意外にも、国境で出会ったクランチチョコチップだった。
「俺や黒糖は、クッキー王国での王子の活躍も見てたからアレだけどよ。他の奴らは……くそっ、本当なら堂々と帰ってきてほしいぐらいだってのに!!」
 心底悔しそうにしながらも、彼は混乱を避ける為にと助言をくれたのだ。
 だからミルクも、人前ではダークチョコの名を呼ばないように注意して、とりわけ故郷の村では絶対に口を滑らさないよう、常に気を引きしめていた。その様子に気を使わせてすまないな、とダークチョコが謝ってきたのが心苦しくて、少しばかり苦い記憶となってしまっている。
 それでも初めて彼と出会った場所で肩を並べ歩けたことに、ミルクはいたく感動したものだ。大袈裟だと苦笑されようが、胸から溢れ出てくるこの想いはどうしようもないのだから、仕方がない。二人きりになった途端に、ミルクはいつもより熱を込めて輝かしい記憶を語った。
「この国は……少し変わったな」
 突然、前を歩いていたダークチョコが足を止めたかと思えば、ぽつりと呟いた。吹雪いていれば聞こえなかったであろうそれは、空から舞い落ちてくる雪と同じくらいに穏やかで、ミルクも微笑んで応える。
「そうですね。魔法のキャンディのおかげで慰霊碑に刻まれる名が随分減ったと、村のみんなも言ってました!」
「ああ。それに……まさか、この国の戦士以外の手を借りるようになるなど、昔は思いもしなかった」
 ダークチョコが言っているのはバニラ王国を始めとする昔からの同盟国、そして、クレーム共和国の騎士達が、この国の戦士達と一丸となってリコリス海の怪物から民達を、いてはこの大陸で生きとし生けるものを守るようになったことについてだろう。あのダークカカオが他国の協力を快諾するとは、息子である彼が一番信じられなかったのかもしれない。
 暗黒魔女を打ち倒したあと、ソウルジャムや魔法のキャンディの力は引き続き〝世界の平和の為〟に使われることとなった。その恩恵を最も受けているのは、ここダークカカオ王国だろう。
 決して個人の為だけに強大な力を使ってはならない。そう取り決められていた。だがしかし、その約束はミルクが知るかぎりでは一度だけ、破られてしまっている。
 苦しそうに目を閉じたままのダークチョコ。そんな彼の頭を優しく撫でる、大きな手――ふいに脳裏に過ぎった光景に、ミルクは口を開いていた。
「……あの、ダークチョコ様。やっぱり一度お城に」
 その時だった。突然、何か獣の――おそらくクリームウルフだ――遠吠えが雪原に響き渡る。近い! ミルク達はハッとして辺りに神経を張り巡らせる。
 降り積もった雪に紛れて見落としかねない白い獣が、颯爽と駆け寄ってくるのが見えた。遠目にも分かる統一がとれた動きに、警戒を少し緩める。野生の獣の動きではなかった。
「クリームウルフ機動隊か」
 ダークチョコが呟いたのと同時に、二頭の狼が静かに近づいてくる。ミルク達から少し離れたところで立ち止まると、一頭が遠吠えを上げた。空気がピリピリと震えたものの、恐ろしさは感じられない。
「アオオォォオ」
 遠くから返ってきた雄叫びには、聞き覚えがある。急いでダークチョコの方を見遣ると、大きく頷いてくれたから間違いないだろう。
 少しして、一際大きな白狼が雪原を駆けてくる。その背に一人乗せているとは思えないほどの走りっぷりは、白銀の世界と相まって、美しさすら感じられるくらいだ。
 思わずミルクが見とれてしまっているうちに、狼の背から降りてきたのは小柄な男。彼はさっと視線を動かすと、二頭の狼に笑顔を向ける。
「よし、お前らお手柄だ!! ……ああ良かった、まだ国を出ていかれてなくって」
 大きな狼を伴ってこちらに歩み寄ってくるのは、入国した際に顔を合わせたばかりのクランチチョコチップだった。
「どうした? ……オレを捕まえにでも来たのか」
 分かりにくい冗談を口にするダークチョコに苦笑したミルクだったが、すぐ近くまでやってきたクランチチョコチップは何と、大きく頷いてしまった。
「まあ、そんなところです」
「え」
 ミルクの口からは間の抜けた声が飛び出す。意外そうに右目をぱちくりとさせているダークチョコを見上げたクランチチョコチップは、笑みを浮かべた。
「王子! それからミルク、お前も一緒に来てもらうぜ!」
 ぽかんとしている間に背を向けた彼が短く吠えると、大人しくしていた二頭の狼が、雪をものともせず駆け始めた。

 クランチチョコチップと一頭のクリームウルフに連れられて、ミルク達は再び雪原を歩いていた。ダークチョコは口を閉ざし、ミルクからは表情も伺えなかったが、何かを考え込んでいるように見える。
 行先は告げられていない。てっきり城へ連れていかれるとばかり思っていたのだが、方向が違う。何度か先頭を歩くクランチチョコチップに尋ねてみても「いいから黙ってついてこいよ」の一点張りで、これにはミルクも首を傾げるしかない。
 今日の雪は本当に穏やかだ。ひたすら歩き続けながら思ったのは、そんなことだった。くすんだ色の空からは常に雪が落ちてくるものの、それほど風もない。そういえばこの国ではもうじき春がやってくるのだと、思い出すと同時に頭の中に浮かんだのは、白い世界で一際存在感を放つ桃色の花。
 ダークカカオ王国の春は短い。それでもその間だけは、戦いに明け暮れる戦士達も少しだけ心を休めることが出来る。白い大地に咲き誇る明るい色の花は、凍てつく氷をも溶かしてしまうのだ。
 今年はきっと、よりいっそう人々の心を打つに違いない。まだ見ぬ桜を思い浮かべているうちに、ミルクの心もすっかり温まっていた。
「連れていきたい場所とはあそこか?」
 低い声に我に返ると、ミルクは気を引きしめる。周りに味方がいるとはいえ、今でも危険が多い国だ。あまり気を抜くべきではない。
「ええ。俺らの拠点のひとつです」
 改めて前方に目を向ければ、白い木々の向こうに小さな建物が見えていた。軍の拠点というには頼りなさそうに見えるが、クランチチョコチップの言うとおりこの国を守る為に大事な役割をっているのは、ミルクも、そしてダークチョコもよく知っている。獣達が特に凶暴になる極寒の季節になると、精鋭の戦士達が駐在して近辺の村を守ってくれるのだ。
 建物に近づくと、中から二頭の狼が飛び出すように駆けてくる。出迎えてくれた彼らの頭を撫でているクランチチョコチップを見て、彼が命じて先に雪原を駆け抜けていった狼達だと分かった。彼らは連絡係だったのだろう。
 狼達から少し遅れて建物から出てきた人物を見て、ミルクは顔を綻ばせる。やってきたのはクッキー王国にも時々顔を出していた、若き警備隊長だ。
「お待ちしておりました、王子。ミルクもよく来てくれたな!」
「お久しぶりです、黒糖さん!」
「お前もクランチも、いい加減にその呼び方はやめろと、――まあ、今更か」
 溜息混じりの言葉を吐き出すと同時に、ダークチョコがフードを外す。ここでは顔を隠す必要性はなさそうだ。
 呼ばれた二人は、困ったような、もしくは照れたような笑みを口元に浮かべている。クッキー王国に顔を出していた時から何度も注意されていたのだが、幼い頃からの呼び方はなかなか変えられないようだった。せめてもと、ミルクが「ダークチョコ様」と呼んでいるのを真似をしたこともあるものの、結局二言目には戻ってしまうので、もうダークチョコも本気で改めさせようとは思っていないだろう。
「それで? わざわざこんなところまで連れてきたのだから、何か理由が……」
「お前達をここまで連れてくるよう、クランチチョコチップに頼んだのは、この私だ」
 そう言いながら建物から姿を現した男に、ダークチョコは続く筈の言葉を呑み込み、そのままぴたりと動きを止める。近づいてくる男に向かって黒糖は一礼し、狼達に構っていたクランチチョコチップは慌てたように立ち上がった。それにならうように、狼達も姿勢を正していく。
 その男が姿を見せただけで、一気に緊張感が高まったのが分かる。知らず知らずのうちに、ミルクもぴんと背筋を伸ばしていた。
 長きに渡ってこの地を治める王が、何故こんな辺境に――そんな疑問は、しかし一瞬で吹き飛んでしまう。ダークチョコを見つめるその眼差しを見れば、答えは簡単に出てくる。彼に会いにきたのだ。
 それでもダークチョコは言葉を失ったかのように、ただ立ち尽くしている。彼から少し離れたところで足を止めたダークカカオは、雪空を見上げた。その視線を受けた雪が凍ってしまうのではないか。一瞬、ミルクはそんなふうに考えてしまったが、鋭い目つきは単なる気まずさの表れかもしれない。
「天候は悪くないようだが、わざわざ雪の中立ち話をする必要もないだろう。……熱い茶もある。中で、体を温めるといい」
 凛々しい雰囲気を纏わせながらも、その口から出てくるのは、どこか歯切れの悪い言葉。それが誰に向けられたものなのかは、この場にいる誰もが理解しただろう。
 何か応えなければ。そう思ったであろうダークチョコが口を開いたものの、咄嗟には言葉が出てこないようだった。
「……っ、」
 諦めたように口を噤んでしまったダークチョコの背中を、とんと軽く押してやる。ぎょっとした顔で振り返った彼に、ミルクはにこりと笑みを返した。
「僕はわんちゃん達と遊びたいので、ダークチョコ様は先に行っておいてください!」
「な……」
「わんちゃんじゃねえって!! こいつらは勇猛な機動隊の――」
「キャンキャン!!」
 愛嬌のある大きな声で隊長の言葉を掻き消してしまったのは、彼の相棒のスノークリームウルフだ。勇ましそうな見た目とは裏腹に人懐っこい彼は、クッキー王国でも大人気だった。クリームのようにふわふわとした頭を撫でてやれば、大きく尻尾を振ってくれる。脱力したように頭を抱えるクランチチョコチップの姿を見るまでが、お約束だ。
 その様子に他の狼も擦り寄ってくるので、思わずといったように黒糖が吹き出す。
「ははは! 皆、満更でもなさそうだぞ? ――陛下。私も少しミルク殿と話したいことがありますゆえ、少しお側を離れることになりますがよろしいでしょうか」
「構わん。――ダークチョコ。その……どうしても嫌なら引き止めはせぬが、」
「……ッ、嫌というわけではっ……!」
 ぎこちのない会話に、黒糖とクランチチョコチップが顔を見合わせて頷き合う。助けを求めるような視線をひしひしと感じるが、ここは本人の気持ち次第だ。ミルクは気付かないふりを続けてスノークリームウルフ達を撫でる。
 やがてこちらに背を向けてゆっくりと歩き始めたダークカカオのあとを、ダークチョコがためらいがちに追っていく。それでも彼は、一度も後ろを振り返らなかった。
 二人が建物の中に入るのをしっかりと見届けると、ミルク達は揃って大きく息をつく。安堵の溜息だ。狼達もキャンキャンと、どこか嬉しそうに吠えては、しっぽを振っている。はしゃぐ彼らを見回してから、ミルクは改めて黒糖とクランチチョコチップに目を向けた。
「驚きました! まさか、ダークカカオ様がこちらにいらっしゃるだなんて、思いませんでしたよ」
「まあ、そうだろうな。クランチから王子達が入国したという報告を受けた陛下が、おそらく城にはやってこないだろうと仰られてな。それなら他の場所でお会いしてはどうかと、進言してみたんだ」
 黒糖の言葉に頷いていたクランチチョコチップが、立てた親指を後方の建物へと向ける。
「で、人目を気にしなくて良さそうな場所がここだったってわけだ!」
「そうでしたか……良かった。やっぱりダークカカオ様も、ダークチョコ様に会いたかったんですね」
「そんなの当たり前だろう!! 陛下はいつも王子の身を案じていたんだからな!」
 クランチチョコチップの大きな返答を聞いて、ミルクはさらに安心した。無事に二人が再会することが出来てほっとしたのは、クランチチョコチップ達も同じだろう。
 城に行くつもりはない。この国を訪れた当初からそう言っていたダークチョコではあったが、決して父と顔を合わせたくないわけでもなさそうに見えた。しかし、城へ行くのは困難な状況だったことは確かである。それでもクリームウルフ機動隊がやってくる直前、せめて遠くから一目だけでもと、ミルクは提案しようとしていたのだ。ちょうどこの場にいる二人に協力してもらえれば、それくらいは何とかなる筈だと考えて。
 だからこうして、二人が顔を合わすことが出来たのは本当に良かった。そう思うと、つい涙ぐみそうになってしまう。
 慌てて首を振っていると、スノークリームウルフがすりすりと顔を寄せてくる。ミルクを慰めようとしてくれているのだろうか。再び頭を撫でてやると気持ちいいらしく、両目を閉じた顔が笑っているように見えて、非常に愛くるしい。
「ミルク」
 夢中になって撫でていると、クランチチョコチップに呼びかけられる。顔を上げれば、彼と黒糖が並んでこちらを見つめていた。
「王子をここまでお連れしてくれたこと、誠に感謝する」
 改まった態度で頭を下げる黒糖に、とんでもないとミルクは首と両手を振った。
「ここまで案内してくれたのはクランチチョコチップさんや、この子達ですよ! 僕は、何も――」
「そういうことじゃねえよ!」
 怒ったような声を出したクランチチョコチップは、けれど次の瞬間には歯を見せてにかっと笑う。
「お前がいたから、王子はこの王国に帰ってくることが出来たんだ。俺らからも礼を言わせてくれよ! なあスノークリームウルフ!!」
「キャン!!」
 クランチチョコチップの声が止むと同時に、スノークリームウルフが一度だけ大きく吠えてみせた。しばらく目を白黒とさせていたミルクだったが、俯き加減になって声を絞り出す。
「正直……お二人には、恨まれてしまっているんじゃないかと思ってました」
「は? 何で俺らがお前を恨むんだぁ? 人の話を聞いてなかったのか、さっきも言ったけどよ……」
「クランチ」
 ミルクににじり寄ろうとするクランチチョコチップの肩を、黒糖が諌めるように掴む。それから彼女は一歩前に出て、ミルクに近寄った。
「王子の寿命が縮まってしまったことは……本当に残念なことだと思う。でも、それは決してお前のせいなんかじゃない。陛下だってお前と同じ想いを持っていたからこそ、王子に纏わりついていた闇が晴れたんだ。私は、そう思っている」
「ああそうだ! 俺達だって出来ることなら、あのしつこい雲を払い除けてやりたかったんだからな! ……ワイルドベリーの奴が少し前に手紙を寄こしてきたんだけどよ、お前のこと心配してたぞ。あんまり気にしすぎるのも良くねーぞ!」
「……」
 そっと顔を上げればミルクに向けられていたのは、あたたかく優しげな二対の眼差し。
 傍から見れば、ミルクがダークチョコをそそのかしたようにしか思えない筈だ。それでも二人は、ミルクのことを責めようとは微塵も思っていないようだった。
「……そうですね。あの方の幸せを願っているのは、僕一人だけじゃなかった」
 言いながらミルクは、建物の方に目を向ける。今頃あの二人は、どんな話をしているのだろうか。想像してみるが、何となく無言のままお茶を飲んでいるような気がしてきて、吹き出してしまった。同じような想像をしたのか、クランチチョコチップも困ったように笑いながら頭を搔いている。
「こういう時は一体どうすりゃあいいんだ? 二人きりにしといた方がいいのか? それとも、こいつらも連れてって盛り上げた方がいいのか?」
 隊長の視線を受けて、狼達が一斉にしっぽを振ってみせる。その光景に黒糖がふふっと笑みをこぼした。
「そうだな……。もう少ししたら、みんなで陛下達に助け舟を出しにいこうか」
「いいですね、それ!」
 笑いながら、ミルクは大きく頷く。さっきの様子だと、お互いにうまく話し出せないかもしれない。ダークカカオもダークチョコも、想いを言葉で伝えるのが苦手なようだったから。それでも今、きっと二人の間に流れている空気はあたたかい筈だ。想像するだけで、ミルクの頬は自然と緩んでいく。
 止めどなく雪が落ちてくる空を見上げる。太陽は雲の向こうだ。けれど確かに感じる温もりは、まるでひと足先に春がやってきたように思えた。


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