※無断転載・AI学習を固く禁じます。
11. 空が晴れた日のこと
イチゴジャムマジックソードの解呪法をミルクが知ったのは、まだ暗黒魔女を倒す前のことだ。ダークチョコが時々寂しげな面持ちで空を見上げているのが気掛かりで、どうにか彼が太陽を取り戻せる方法はないかと、クッキー王国にやってきたピュアバニラに相談をしたことがあった。
彼は様々な魔法の知識に富んでおり、禁じられたダークムーン魔法についても詳しいので、期待があったのだ。そして、それは的中した。しかし――。
「……カカオにも同じことを聞かれたんだけどね、呪いを解く方法がないわけではないよ。……でも」
普段穏やかなピュアバニラは珍しく難しい顔になり、言いにくそうにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「今の時点で思いつくのはとても強引な方法だ。そんなことをすれば、きっとダークチョコ自身もただでは済まないよ」
だからつらいとは思うけれど、今は我慢してほしい。彼はそう続けてミルクの肩に手を置く。
彼を危険に晒すくらいなら――ミルクもそう考えるようになった。ダークチョコが寂しげな顔をすることが少しずつ減っていったのも、それを後押しした。
けれど暗黒魔女を打ち倒し、平和な日々を過ごしていたある雨の日。ダークチョコの胸のうちを聞いてしまったのだ。
「オレも、星が見たいな……。月や、太陽も……」
激しい雨の中、傘も差さずに黒い空を見上げていた彼は頭から爪先まで、全身ずぶ濡れになってしまっていた。その頬をすべり落ちるいくつものしずくを、ミルクは今でもはっきりと思い出すことが出来る。
「この国でお前達と共に生きるだけでも、オレには過ぎた幸せだというのに……何故だろうな。身勝手な想いは強くなる一方で……オレは、本当に、……駄目だな」
こんなふうに、彼はいつも人知れず涙していたのだろうか。冷えきった体をきつく抱きしめながら、ミルクは戸惑う。
大したことではないと、人には言っていたのに。いや、もしかしたら、彼は自らにそう言い聞かせていたのかもしれない。望んではならないと、本当の気持ちに蓋をして。
そんなダークチョコを目前にして、もう黙っていることなど出来るわけがなかった。
「……もしかしたら、呪いを解くことが出来るかもしれません」
腕の中の体が、ぴくりと跳ねる。
ミルクが口にしたのは、悪魔の囁きだったのだろうか。今でも時々、そんなふうに考えてしまうことがある。
あの日、ダークチョコにそれを伝えなければ、彼は今でもクッキー王国で平穏な日々を過ごしていた筈だ。そしていずれは父親とも普通に顔を合わせられるようになり、ダークカカオ王国に堂々と帰還する未来が存在していた可能性だってある。
いつか見つかったかもしれない他の方法なら、命を削る必要なんて、きっとなかった筈なのに――。
ダークチョコと二人揃って訪れたバニラ王国で、しかしピュアバニラは、一言もミルクを咎めはしなかった。もちろん、ダークチョコのことも。
最悪の場合、呪いを解いた瞬間に命を落とすことになるかもしれない――厳しい面持ちでそう言って、それでも覚悟が揺らがないダークチョコに、ピュアバニラは少しだけ寂しそうな顔をしながらも、それなら僕に任せてほしいと言ってくれたのだ。そうしてすぐに、彼は国を発った。
すべてのソウルジャムの力を使って、イチゴジャムマジックソードを破壊するつもりだとミルクが聞いたのは、ピュアバニラがバニラ王国に戻ってからのことだ。彼はダークチョコをそれとなく自室の外にやってしまうと、ダークカカオ王国に保管されていた件の剣を取り出しながら、こっそりと打ち明けてくれた。
「ソウルジャムの力を…? 確かに、それだけの力はあるかもしれませんが……」
ミルクが言い淀んだのは、その力を使うにはピュアバニラ以外の英雄達を説得しなければならないからだ。暗雲こそ晴れないものの、ダークチョコはもう闇に翻弄されることはない。だから自分ならばともかく、絶大な力を使うことに彼らがすんなりと納得出来るとは、どうしても思えなかった。
それでもピュアバニラは表情を緩めると、頭を左右に振る。
「確かに、簡単に「はい」とは言えない問題ではあるよ。かわいそうだけどね。……でも、カカオがベリーとチーズを説得してくれたんだ」
「ダークカカオ様が……?」
目を丸くして立ち尽くすミルクを置いて、ピュアバニラはくすくすと笑い出す。
「あのカカオがって、意外に思ったかい? だけど本当のことだよ。前にも言っただろう、彼にもダークチョコの呪いを解く方法はないかと聞かれたって」
「え、ええ! そうでしたね…!」
呪いについて最初に相談した時に、確かにピュアバニラから聞いてはいたのだ。それなのに、どうしても驚いてしまう。
「あれでも彼なりに、ダークチョコを想っているんだよ。……けど、このことは本人には内緒だって約束してくれるかな?」
「どうしてですか? ダークカカオ様が率先してお力を貸してくださると知ったら、ダークチョコ様だって、きっと……」
自分の為に父が動いてくれたことを知れば、彼は喜ぶのではないか。だがピュアバニラは、やんわりと首を横に振った。
「ソウルジャムの力を――何より自分の手を借りることに躊躇してしまうかもしれないって、カカオがそう言っていたんだ。……もしそれで呪いを解くことを諦めてしまったら、悔やんでも悔やみきれないだろうって」
「…………」
確かにソウルジャムや英雄達の力を使うとなると、ダークチョコはためらってしまうだろう。「自分一人の為などに」と、太陽を見ることを諦めてしまうかもしれない。
ミルクは渋々とだったが頷くしかなかった。
それでもバニラ王国に集まるという英雄達に、ダークチョコが気付かない筈がない。そう思ったが、呪いを解く準備も兼ねて、彼には特別な術を施した部屋にしばらく閉じこもってもらうのだという。そして剣を破壊する際には、何が起こるか分からないからと元々魔法で眠らせるつもりらしかった。
「ミルク、キミは大丈夫かい?」
いくつか言葉を往復させたあと、ピュアバニラの突然の問いかけにミルクは動揺した。何故僕が心配されているのだろう。
ピュアバニラはミルクから視線を外すと窓際に顔を向けて、左右で色合いの違うその目で花瓶に生けられた花を眺める。白く儚げな、百合の花だ。
「僕らはリリーのソウルジャムの――彼女のもうひとつの声を聞いて……だから彼女とお別れすることを決めたけど、それでも時々、とても寂しくなってしまう瞬間があるんだ」
「……」
「キミは……ううん、キミもダークチョコも、僕の元へ来た時点で心は決まっているよね。変なことを言ってごめん」
確かに、覚悟ならすでに出来ている。だけどそれは、ピュアバニラ達だってそうだった筈だ。だからきっと、いつか言いようのない寂しさに押しつぶされそうになる瞬間が、ミルクにもやってきてしまうのだろう。そう考えた途端に、手が小さく震えだす。今までと変わらない平穏な日常を、ダークチョコと共に生き続けたい気持ちだって、当然ある。
けれど、それでも。あの日のダークチョコの涙を思い出せば、すぐにでも呪いを解いてやりたいという気持ちの方が勝ってしまうのだ。
「僕は……あの方に太陽を見せてあげたいんです。いつかじゃなくて、今すぐに……! たとえいつか、悲しみに暮れる日が来るのだとしても。それでもあの方が背負っているものを、ほんの少しでも軽くしてあげられるのなら、僕は絶対に、後悔はしません!」
震えた声で言っても、説得力がないだろうか。しかし顔をこちらに向けたピュアバニラは、優しく微笑んでいた。
「うん! 僕も後悔はしていないよ。自分の為にも、彼女の為にも、悔いのない選択をしたつもりだ。……ミルク。寂しくなった時は友達に会いに行くといい。みんなも、そして僕も、キミの力になれる筈だよ」
そうしてついに、その日はやってきた。
結果として、イチゴジャムマジックソードは破壊され、ダークチョコは闇から解き放たれた。だがその事実にミルク達が喜ぶ間もなく、彼はもがき苦しんでいる。
「今すぐに命を落とすことは、ないと思う。だけど」
ダークチョコに癒しの光を与えながら、ピュアバニラは落ち着いた声で続ける。
「彼に残された時間はそう多くはない筈だ。……悔いのないよう生きられることを願っているよ」
「…………」
大人しくなったものの苦悶の表情で目を閉ざしているダークチョコに、真っ先に駆け寄ったのはミルクではなかった。彼の体を抱き起こし、その頬を優しく撫でているのはダークカカオだ。後ろで控えているミルクに向けて、彼は振り向くことなく言葉を紡ぐ。
「この方法を使ってすぐに呪いを解いてやる決断が、私には出来なかった」
「それは――」
危険な方法だと知っていたのだから、当然だ。むしろ何故ダークチョコをそそのかしたのだと、彼には責められてもおかしくなかった。それなのに彼は息子の頭にそっと手を置くと、やわらかな声音で続ける。
「この子が目を覚ましたら、どうか思う存分、日差しを浴びさせてやってほしい」
彼の願いどおり、二日後、ミルクは目覚めたばかりのダークチョコを外へ連れ出した。よく晴れた真昼の空は、久しぶりに青空を目にする彼には眩しすぎたかもしれない。
それでも太陽を目にしたダークチョコは、笑っていた。初めて見る笑顔だった。
ダークカカオ王国を離れてしまうと、もう雪が降ってくる気配はなかった。とはいえ、まだまだ寒いのに変わりはない。
冷えた空気を暖めようとするかの如く、よく晴れた空に浮かんでいる太陽が頭上からさんさんと照りつけてくる。あまりにもの眩しさに、ミルクは大きな木を見つけると同時にそこへ避難した。眩しすぎるのも困りものである。
だがダークチョコはというと、気持ち良さそうに日差しを浴び続けていた。その表情は今日も明るくて、彼を見守っているうちにミルクの顔にも笑みが戻ってくる。
太陽を取り戻した彼の笑顔は、ミルクにとっては何よりも眩しく、そして輝いて見えたが、それだけはいくら眩しくたって構わなかった。
(by sakae)
→NEXT
※コメントは最大3000文字、5回まで送信できます