ムーンロードの先へ - 4/13

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04.雨のち晴れ

 タンタンと屋根を打つ水音に、ミルクは窓の外を見下ろす。急に暗くなってきたかと思ったら、あっという間に降り始めてしまった。
 通り雨だろうか。傘を差している人の姿は見受けられない。段々と強くなる雨に、町を行き交う人々は走ってどこかに向かったり、足早に屋根がある場所へと避難を始めた。さっさと見切りをつけた露天商が、手早く店を片づけていくのも見える。
 雨を辿るように顔を上げれば、視界に広がったのは鉛色の空。まだ昼を過ぎたばかりだというのに、すっかり暗くなってしまった。
 迎えにいこうかな。ふと思い立って、ミルクは部屋を出る。
 急な雨だ。刃こぼれした剣を持って鍛冶屋へ向かったダークチョコは、確か雨具を持っていない筈だった。旅をしている際に使う雨よけは待っているものの、町に滞在している時には宿で傘を借りる場合も多い。一階にある受付で相談してみると、快く貸してもらうことが出来た。
「あっ!」
 水色の大きな傘を開いて歩くこと三分。ミルクは宿を振り返った。借りた傘は、一本。今ミルクが使っているものだけ。もう一本借りるつもりが、うっかりしていた。
 どうしようか。少しだけ悩んだ挙句、ミルクは再び歩き始めた。急な雨だ。だからきっと、止むのもいきなりだろう。そう思って一本の傘だけを手に、ダークチョコを迎えにいくことにした。
 鍛冶屋の場所は一昨日、この町にたどり着いた時に確認済みだ。少しでも濡れないようにと人々が急ぐ中、ミルクは慌てずにゆったりとした足取りで進んでいく。
 傘越しの雨音に、何だかわくわくしてくる。故郷にいた頃は、空から降ってくるものといえばほとんどが雪で、気温が高くなるほんの短い季節にだけ、雨が降る時もあった。だからか、外の世界を知った今でも物珍しい目で雨を見てしまうことがある。
 そんなミルクにも、雨を疎ましく感じてしまった時期があった。
 ダークチョコがクッキー王国にやってきて、しばらくしてからのことだ。彼は生まれ育った雪の地で呪われた剣を捨てたものの、暗雲はしつこく付きったままであった。そう簡単に呪いまでは手放せないらしい。常に暗雲と共にある彼の近くでは、雨が降ることは決して珍しくはなかった。
 だから、彼が暮らし始めた王国の外れを訪れるようになったミルク達も、雨に晒される機会が増えていた。
「また降ってきちゃった…。お日様がずっとないのって、なんだかしんどいね。ダークチョコは平気なの?」
 ある昼下がり。突然降り出した雨から逃れようと急いで飛び込んだ家の中から、まだ幼い仲間の一人が真っ黒な空を恨めしそうに見上げた。彼のトレードマークでもある紙製の王冠が濡れてしまったのだ。その金色の髪をタオルで拭いてやりながら、ダークチョコが窓に向かって苦笑を漏らす。
「慣れてしまえば、どうということはない」
 そう言ってのけた彼の横顔がミルクにはどうしても寂しそうに見えて、窓から見える細い雨が、まるで彼の涙のように思えてしまったのだ。
 そうして彼の側にいる時間が増えるにつれて、その暗い気持ちも大きくなっていく。ふとした瞬間に黒い空を見遣る寂しげな姿を見ているうちに、次第にミルクはただの雨空さえ目にするのが嫌になってしまっていた。
 どうにかあの暗雲を吹き飛ばせはしないだろうか。浄化を試みたり、仲間と共に色々と調べたりもしてみたものの、結局はどうすることも出来なかった。それでもクッキー王国で過ごすうちに、ダークチョコは様々な顔を見せてくれるようになった。同時に、寂しげな表情はなりを潜めていく。
 たとえ空が晴れなくとも、もう大丈夫。いつの間にかミルクは、勝手にそう思い込んでしまったのだ。
 あの日、彼の涙を見るまでは――。

「随分な格好だな」
 笑いを含んだ声に意識を引き戻される。視線を横に向けると、見慣れた黒い男が近くの軒下に立っていた。
 言われた言葉の意味を呑み込めず、ミルクは向けられた視線を辿って自分の体を見下ろす。そこでやっと、腰から下がびっしょりと濡れてしまっているのに気付いた。水分を含んでしまったところだけ、服の色が変わってしまっている。
「わざわざ迎えに来てくれたのか」
「えっと、まあ……そのつもりだったんですけどね」
 ずぶ濡れなうえに、傘は差している一本のみ。
 自分のことながらひどい有様に、ミルクは笑ってしまった。どのみちこの雨の勢いでは、傘がもう一本あったところであまり役立ちそうになかったが。
 傘を閉じて、ダークチョコの隣に移動する。ここも何かの店のようではあるが、鍛冶屋はもう少し先の筈だ。おそらく宿に戻ってくる途中で雨に打たれたのだろう。頭から濡れてしまっている彼は目が合うと、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
 横殴りの雨は軒下までついてくる。ここにいても濡れてしまうようだ。
「走りますか?」
 宿の方を指差しながら尋ねる。すると、ダークチョコは小さくを振った。
「オレもお前も、もうこれだけ濡れているんだ。急いで戻る必要もないだろう」
 そう言って彼は口を引き結ぶと、上を向いた。その表情は、もう暗くない。ミルクも同じように空を仰ぐ。

 ――オレに日差しを浴びる資格などない。そう思っていても……太陽が恋しくて、堪らない。

 あの日、黒い空の下で聞いた切ない願いを、ミルクはきっと忘れることはないだろう。
 そして今、彼が穏やかな顔で雨空を見上げていることも。
 降りしきる雨を眺めているうちに、辺りから人気がなくなっていた。いや、実際にはミルク達が雨宿りをしているこの建物の中にも、人がいるに違いない。それなのに、まるで二人きりになったかのような錯覚に陥ってしまっていた。
 ちらりと様子を伺ったつもりだったのに、雨でくすんだ世界でもはっきりと捉えることが出来る黒に、目を奪われてしまう。雨に濡れて少し重たそうなそれに手を伸ばそうとしたところで、ダークチョコが振り向いた。
 てっきり「何をやっているんだ」とでも言われると思っていたのに、彼は何も言わずにこちらを見つめ返してくるだけだ。
「…………」
 黙ったまま、見つめ合う。浮かした手が軽く痺れ始めたところで、ダークチョコがふっと息を漏らした。
「そろそろ戻るか」
「……はい!」
 ミルクはじんわりと違和感のある手で傘を開く。雨は少し勢いが落ち着いてきていたが、まだそれなりに降っている。傘を差したまま先に軒下を出て、ダークチョコを振り返った。
 大きめの傘とはいえ、大の男。それも、二人共によく鍛え上げられたがっしりとした体の持ち主だ。あまり役目を果たしてはくれないだろう。それでもミルクは隣に一人分のスペースを空けて、彼を待つ。
「……傘の意味があるのか、これは」
 言いながらも、ダークチョコは隣にやってきた。彼の方が背が高いので、傘をぶつけてしまわないように気を付けなければならない。
 想像どおり傘に入りきらない方の肩がどんどん濡れていく。どうせ二人とも濡れてしまっているのだから、一緒だ。
「いいじゃないですか! たまにはこういうのも」
 何だか楽しくなってきて笑ったミルクに釣られるように、ダークチョコも口元に薄く笑みを浮かべる。
「……確かに。たまには悪くないな」
 傘にぶつかる雨音を聞きながら、二人はゆっくりと歩き始めた。
 傘の下から一瞥した空は、少しずつ明るくなってきている。もうすぐ雨が上がるのかもしれない。雨空と並べてみると、今手にしている傘の色は、よく晴れた空に似ているような気がした。この雨が上がれば、きっと青い空が広がる。
 せっかくだから虹が架かればいい。ミルクは足を止めないまま、そう願った。そうすれば少しだけ、暗い雨の記憶が鮮やかなものに上塗りされるような気がしたから。
 けれどすぐ隣を歩く男の横顔を見て、ミルクは思い直す。彼の前には、すでに虹が架かっているのかもしれなかった。
 ――ああ、雨の日も悪くない。服も靴も雨を含んで重たくなっている筈なのに、ミルクの足取りはすっかり軽やかになっていた。
(by sakae)


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