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05.ただ傍にいたかっただけ
もう限界だった。ついに起き上がることの出来なかった体は、無様にも地面に崩れ落ちた。
――試してみようよ。アンタ達と空っぽのボク、世界がどっちを生かそうとしているのかさあっ!
目の前の連中に言い放った時分の言葉が、頭の中に響き渡る。
滑稽だ。結果なんて分かりきっていた。だってボクは必要とされなかった。代用品にすらなれなかった、ただの肉塊にすぎないこのボクを、今更世界が選ぶ筈がなかったのだ。
馬鹿馬鹿しい、本当に。何だかおかしかった。そうだ。おかしいのだ、この世界は。
「……シンク」
傷だらけの両手を支えに体を起こしたボクを哀れむような目で見下ろしているのは、アッシュのレプリカ。コイツは必要とされたレプリカだ。七番目のイオンもそうだった。同じようにレプリカとして生まれてきた筈なのに、ボクだけが肉塊と成り果てた。ボクの存在だけが無意味なものだった。
それなのに、今の今まで生かされ続けてきたのだ。地核に堕ちた時だって、この身が朽ちることはなかった。
おかしい、おかしい――。くつくつと喉を鳴らすと、アッシュのレプリカが訝しげに眉を寄せた。
この世界は狂ってる。それは、預言なんてくだらないものがあるからだ。そして、そんなくだらないものに縋る馬鹿なヤツらがいたせいだ。
そんなものの為にボクは生まれてこなければならなかったなんて、生き続けなければならなかったなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
消えてしまえばいいのに。そうだ。こんな世界、とっとと消えてなくなってしまえばいい。
立ち上がり一歩踏み込もうとしたところで、足がもつれた。ボクは再びその場に崩れ落ちてしまう。
「っ、もうやめてよ……っ」
見えたのは、口元を押さえる七番目のイオンの導師守護役だった人形士。泣きそうに歪められた顔に、一瞬だけ重なる見慣れた泣き顔。
すぐに泣き出す、うるさい女だった。何度泣かせたか分からない、というより勝手に泣き出すんだからしょうがない。なのにすぐに近寄ってくる、変な女だった。
だけどもう、彼女はいない。
「……っく、……」
息がしにくい。やっとのことで上体を起こす。
アッシュのレプリカ達は、ボクから距離をとったままだった。それでも二人の剣士は警戒を解かずに剣を構えていたし、術士も二人共詠唱を終えすぐにでも譜術を発動出来る状態で、さらにもう一人は手にした弓の矢をこっちに向けているという、いつでもボクを殺すことが出来る状態だった。
一人俯いたまま武器を握りしめてるだけの馬鹿がいたけど、どうでもいい。いずれにせよ、ボクはここで死ぬ。
ぽたりと、赤いしずくが地面に落ちた。複製された大地――ホド島のレプリカ。ボクの墓場に、うってつけの場所だろう。――ああ、レプリカには墓なんて必要ないか。
レプリカ、つくられた存在、つくりものの生命。色々とムカつくけど、もうどうだっていいや。だって、もうすぐ終わる。この愚かしい世界から、ようやく解放されるんだ。
これでおしまい。何だ、簡単じゃないか。
そう思ったところで咳込んだ。体中に響いて、痛い。
「馬鹿っ……!」
震える声に顔を上げれば、今にもこぼれてしまいそうに溜まった涙を、必死に堪えている意地っ張りの姿があった。ボクに七番目のイオンを重ねているんだろう。だって、そうじゃなければ泣く理由がない。
『シンクは、もしアリエッタが死んだって……悲しくないかも、しれません。でも、でもアリエッタは、シンクが死んだら……悲しい、です』
息を飲む。視線を動かしたところで、声の主は見つからない。当然だ。
――馬鹿だよね。アンタが先に死んでんじゃん。笑おうとして、また咳込む。
アリエッタもこの痛みを味わったんだろうか。激痛を堪えながら、そんなことを考えた。だとしたら、泣き虫な彼女のことだ。ずっと泣いていたに違いない。
ああ、でも。最期に見たのは穏やかな顔だった筈だと思い出す。胸の奥が痛くなる。苦しい。
アッシュのレプリカ達がハッと目を見開いたのが見えた。淡い光がボクの全身を纏っている。
音素の乖離――。そうか、この肉塊すら残すことなく、ボクは消えていくのか。漏れ出た笑い声が掠れる。
やっぱり生まれてきて得たものなんて、何もなかったじゃないか。無意味な生を受けたボクは、空っぽのまま死んでいく。
『だから、……シンクは死なないで』
今、目の前にアリエッタがいるなら言ってやりたい。ボクが死んだところで、アンタが悲しむもんかって。
だってそうだろう? アンタは単にイオンと同じ顔をしたヤツが死ぬのが、不愉快だっただけだ。
そういえば、ラルゴが言ってたっけ。アンタがボクと仲良くしたがってたってさ。……冗談じゃないよ。
光が強くなる。忌まわしい第七音素が分解されていく。さっさと消えてしまえ。こんな世界に残すものなんて、ない方がいい。
ボクの声が好きだと言ったアリエッタ。でも違う。彼女が好きだったのは、被験者イオンの声だ。彼女はただボクに、被験者を重ねていただけだった。
「シンク……!」
ついに人形士の大きな瞳から、涙が溢れ出す。七番目のイオンはとっくに死んでるってのに。コイツも馬鹿だ。
目を閉じる。もう何も映さなくていい。もう何もいらない。何も――。
『やっとこっち向いてくれた、です……!』
――何さ、これ。閉じたまぶたの裏に映ったのは、嬉しそうに笑うアリエッタ。
こんなの見たくない。もう何も聞きたくない。それなのに、彼女は消えてくれない。その桃色の髪も、薄紅色の瞳も、鮮明に映し出される。
『アリエッタは、シンクがいい』
『シンクの声、イオン様に似てて好きです。でも、でも……アリエッタは……!』
うるさいな、アンタが求めてたのはアイツだけだろう。
話したがっていたのだって、決まっている。アイツの話だ。言いかけてたのも、どうせアイツのこと。ボクのことなんて、どうだっていいくせに。
桃色の髪をふわりと揺らして、アリエッタの幻がボクに背を向ける。
『アリエッタは……シンクが、好きでした』
――ホント、何なのさ、これ。
好き、だったって? ボクは嫌いだったよ。大嫌いだ。アンタが死んだ時だって、ただムカついただけだった。
それなのに、何でボクはアリエッタのことばかり思い出してるんだろう。馬鹿みたいじゃん。
体が軽くなる。音素の光のせいか、目を瞑っている筈なのに、明るい。いつの間にか、体中の痛みも消えていた。
やっと、終わる――。
一度だけ目を開ける。明るい世界には、まだ泣いている人形士や、何故かつらそうな顔をしたアッシュのレプリカ達がいた。
この先、ヤツらが勝つのか、ヴァンが勝つのかは分からないが、ボクにとっての世界はここでおしまいだ。だからつい、笑っていた。
ボクを生み出した愚かしい預言を、第七音素を、世界を、すべてを消し去ってやりたいと願っていたけど、馬鹿だった。さっさと死ねばよかった。さっさとこの世界から、ボク自身が消えてしまえばよかったんだ。そうすれば、すぐに終わっていたのに。
それなのにどうしてボクは、愚かにも生き続けてしまったんだろうか。
足元から光に溶けていく。光の粒が空へと昇っていくのを見て、目を閉じる。
『一人ぼっちは寂しいから……アリエッタが一緒にいてあげるの』
気が付けば、いつも彼女が側にいた。いつの間にか彼女を見てしまっていた。ムカつくのに、どうしても気になった。
いつか彼女がイオンに似てると言っていたあの花は、その複製品であるボクにも似ていたのかもしれない。だから彼女は、ボクの側にいたんだろうか。
だとしたら。彼女がいたから、ボクは無様にも生き続けていたというのか。
「あ、はは、ははは……」
何だよ、それ。思わず声を上げて笑う。今更ボクは何を考えているんだろう。
桃色の髪をなびかせながら、小さな背中が遠のいていく。あの日、ボクはそれを見送った。アリエッタは死んで、そして、アイツの元へと――――嫌、だ!
気付いた時には目を開き、右手を伸ばしていた。けれど光の向こうの人影に、彼女の姿はない。
あの時、この手を伸ばしていたら、彼女は死ななかっただろうか。アイツの元に、行かなかったろうか。
だけどもう遅い。伸ばした手は、届かない。だってこの世界のどこにも、彼女はいない。もう触れることが出来ない。
光に溶けていく手。消えていく。ボクが失くなっていく。
光の向こうの誰かがボクを呼び、手を伸ばしてきた。もしそれがアリエッタだったなら、ボクはきっと、その手を取ろうとした筈だ。らしくないけど、今ならそう思う。
第七音素の光に染まった世界の中で、それでも鮮明に思い出せる桃色。――ああ、何だ。
泣き虫で欝陶しかったけど、思ってたよりは嫌いじゃなかったみたいだよ、アンタのこと――。
やわらかな風を感じて、少しだけ笑う。光のずっと向こう側で、アリエッタが微笑み返してくれた。そんな気がした。
(by sakae)
END
(07-11-22〜09-09-29初出)
「loca」様よりお題をお借りして書いたお話でした。
「雰囲気的な5つの詞(ことば):無」
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