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03.もう何も言えない
「イオン、様……」
呆然と呟くアリエッタ。その大きく見開かれた瞳に映っているのは、ボクだ。仮面を外した、素顔のボク。
アリエッタがボクの素顔を見るのは、これが初めてだった。だからこそ彼女は驚いているのだ。常に仮面に隠れていたこの顔が、導師イオンと同じものであったから。
「シンク、なの……?」
気付けば、ボクの視線は下がっていた。いつもアリエッタが持ち歩いている変な人形は、驚きに目を見開く彼女の手を離れたまま、地面に横たわっている。それを一瞥して顔を上げると、目が合う。さっきと変わらない、信じられないといった様子の表情。
彼女はボク――イオン――の顔を食い入るように見ていたが、しばらくして再び口を開いた。
「シンク、どうして……。どうして、イオン様と同じ顔をしてる、ですか」
「……さあ? アンタはどうしてだと思う?」
言葉を返してから思い出す。アリエッタと顔を合わせるのが、随分と久しぶりだということを。地核から戻ってから会ったのは、今日が初めてだ。
最後に会ったのはいつだっただろうか。地核に落ちる前は、ろくに会話を交わした記憶がない。コーラル城でアッシュのレプリカ達を任せた時以来かもしれない。ボクは極力アリエッタには近寄らなかったし、一度強く突き放してからは、彼女もボクを避けるようになっていたから。
「シンクは……イオン様の……レプリカだったんだ」
訊ねるというよりも自分の出した結論を飲み込むように、アリエッタは言う。
「だから似てた、です。声だって……」
「そうだよ。ボクは導師イオンのレプリカだ」
納得したのか、アリエッタがボクの顔をじっと見つめてくる。
――ああ、そうだ。今までアンタが似てると言った声も、仮面で隠していたこの顔も、被験者から複製されたものに過ぎない。造りものの瞳で、アリエッタを見下ろした。
「どうして……言わなかった、ですか」
「アンタに言わなきゃいけない義務なんてあるわけ?」
そう吐き捨てれば、アリエッタが俯く。ボクも黙ったまま足元の人形を見つめる。そこでようやく、彼女に訊ねたいことがあったのを思い出した。
「それで、アンタは行くの? ――仇討ち」
ボクの問いかけにはアリエッタは答えずに目を暝ると、小さく口を動かす。ちゃんとは聞き取れなかったけど、間違いない。彼女が口にしたのは、あの女の名前。
「……アニスが悪いんだ」
今度ははっきりと、聞き取ることが出来た。
「アニスのせいで、イオン様……死んじゃった。だからアリエッタは、アニスを許さない……!」
アリエッタが顔を上げる。虚空を睨みつけるその瞳にいつもの涙はなく、代わりに宿っていたのは怒りだ。彼女が友達だと言い張る魔物のそれと、よく似ている。
「……無駄だよ、アリエッタ。アンタに仇は取れない」
対して、ボクの声は驚くほど弱々しかった。それが何故なのかは自分でも分からない。魔物の目がボクを捉える。
「どうして? アリエッタは、……アリエッタはアニスなんかに負けないもん…!」
「アンタが勝っても同じことだ」
まるで仇討ちはいけないことだと説く偽善者のような言葉に、アリエッタは顔をしかめる。
別にボクだって、そんなことが言いたいわけじゃない。そんなこと、どうだっていいんだ。ただ――。
「アリエッタは絶対に、イオン様の仇を取るんだからっ……!」
イオンは、あの導師は七番目のレプリカイオンだ。――アンタが愛した被験者じゃない。ボクと同じ、偽物だ。
それなのにアンタが血を流すなんて、馬鹿馬鹿しいじゃないか。
そう考えるだけで、苦しくなってくる。相変わらず理由の分からない胸の痛みに、イラつく。こんなにひどいのは、久しぶりだった。
アリエッタ、アンタのせいだよ。だから近づくなって言ったのに――。薄紅色の目をみかえす。
「だったら勝手にすればいいさ。――せいぜい、犬死にしないように気を付けるんだね」
笑って言ってやる。お前は馬鹿で、愚かだと。
――パンッ!
乾いた音と同時に、左頬に衝撃が走る。
「シンクには関係ないっ……!」
うっすらと涙を滲ませながらも、アリエッタがボクを睨みつけてくる。
ああ、叩かれたのか。どうりで痛いわけだ。ぼんやりとそんなことを考えていると、人形を拾い上げたアリエッタが、くるりと背を向ける。
「……行くの?」
口が勝手に動いていた。
怒っているのだろう。振り向きもせず、彼女は歩き始めた。だけど数歩進んだところで、歩みを止める。
「……アニスに勝って、イオン様とママ達の仇を取るの。……でも」
そこまで言って、やっとアリエッタは振り返った。傍目でも人形を抱いた腕に力が込められているのが、分かる。
「シンクとは、ここでお別れです。アリエッタはもう、……戻りません」
「……そう。まあ、導師が死んだ直接の原因を作ったのはモースだしね」
新生ローレライ教団に力を貸すつもりがなくなったのも、当然だろう。アリエッタは導師を守る為、リグレットと対峙したくらいなのだから。
「シンク」
まっすぐボクに向けられる視線。まっすぐ過ぎて、彼女が見ているのがボクなのか、虚空なのか、それとも導師なのかは分からなかった。
「シンクは、もしアリエッタが死んだって……悲しくないかも、しれません。でも、でもアリエッタは、シンクが死んだら……悲しい、です」
急に何を言い出すんだ。
咄嗟に言葉が出てこないボクのことなんてお構いなしに、アリエッタは続ける。
「だから、……シンクは死なないで」
「……それは、ボクが導師のレプリカだから?」
同じ顔のレプリカに、死なれるのが嫌だということだろうか。意味が分からなくて訊いてみる。
けれど軽く首を振っただけで、アリエッタはそれには答えなかった。ふわりと桃色の髪を揺らしながら、彼女は再びボクに背を向ける。
「アリエッタは……シンクが、好きでした」
その言葉を最後に、華奢な後ろ姿がどんどん小さくなっていく。
返す言葉はなかった。見つからなかった。そしてアリエッタが振り返ることも、二度となかった。
(by sakae)
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