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02.気付いてすらいなくて
普段、ほとんど人の出入りのない書斎。ボクは今日、そこで一人静かに過ごすつもりだった。それなのに……。
背後からは強い視線。こっちをじっと見ているのはアリエッタだ。さっき彼女が部屋に入ってきた時、相手にするのが面倒だからと近くの本棚から適当に一冊本を抜き取って、気付かないふりをした。
手にしたのは以前読んだことがある本だ。けど取り替えるのも面倒で、本に集中しているふりを続ける。
「……シンク」
しばらく読み飽きた本に目を通していると、ずっと黙っていたアリエッタが口を開いた。諦めてさっさと立ち去ってくれることを期待し、ボクはその声が聞こえなかったことにする。
「シンク」
もう一度、さっきと同じような声でボクを呼ぶ。今にも泣き出しそうな、そんな声。……仕方がない。
「……何?」
結局、無視し続けていても面倒なことになるのだ。諦めて本を閉じる。振り返れば、アリエッタはギュッと人形を抱きしめながらボクを見ていた。
彼女の潤んだ瞳に見つめられていると、何故か胸が苦しくなる時がある。今もそうだ。単にイラついているだけ。そう思うのに、気付けば逃げるように彼女の瞳から目を逸らしていた。
「やっとこっち向いてくれた、です……!」
アリエッタが笑う。何が嬉しいのやら、さっぱり理解出来ない。いつもボクに泣かされているくせに近づいてくるなんて、本当におかしな奴だ。
「用は? 何もないならボクは行くよ」
ただにこにことこっちを見られていても、煩わしいだけだ。一向に去る気配がない彼女を置いて部屋を出ようとすると、アリエッタは慌てたようにボクの服を掴む。
「待ってシンク! あの、少しお話がしたくって……」
「話? ……話がしたいならディストとでもしてくれば?」
きっと、嫌になるくらい語ってくれるよ――そう付け加えれば、アリエッタはふるふると首を横に振った。
「ディストのお話、長いから嫌、です……。アリエッタは、シンクがいい」
「――ボクがいい?」
自然と口元には歪んだ笑みが浮かぶ。
「導師の声が聞きたい、の間違いじゃないの?」
押し黙るアリエッタ。導師に話しかけたところで、アニスに追い返されたんだろう。簡単に想像がつく。
「ボクの声は導師様に〝そっくり〟だもんねぇ?」
ボクと話がしたいなんて、嘘だ。彼女はただ、イオンの声を聞きたいだけだ。必要なのはボクじゃない。
分かりきったことだった。それなのに、まるで否定するかのようにアリエッタは強く頭を振った。
「シンクの声、イオン様に似てて好きです。でも、でも……アリエッタは……!」
「ねぇアリエッタ」
ボクはアリエッタの声を遮ると、彼女の細い両肩に手を乗せる。投げ捨てた本が、乾いた音を立てて床に着地した。
「シン、ク……?」
不安げに人形を強く抱いた彼女に、そっと顔を寄せる。
――似てるんじゃない。ボクのこの声も仮面の下にある顔も、被験者と同じモノだ。失敗作とはいえ、ボクは奴の複製品なんだから。
「ボクはね」
耳元で囁く。被験者と同じ声で、だけど彼が決して言わなかったであろうセリフを。
「――ボクはアンタのことなんて、嫌いなんだよ」
アリエッタが呆然とボクを見た。
「だからもう、付きまとわないでくれない? 迷惑なんだよね」
「――ッ!」
薄紅色の瞳から涙が溢れ出す。ゆっくりとアリエッタから体を離した直後、弾かれたように彼女は部屋を飛び出した。
遠ざかかっていく彼女の足音と扉が大きな音を立てて閉じられたのを最後に、書斎は静寂に包まれる。
静かだ。まるで何も存在していないかのように。……ああ、存在していないのと同じようなものか。
ぎっしりと本が詰まった本棚。だけど今、ここに本を読もうとする人間はいない。ただ本があったところで、読む人間がいなければ存在意義はないに等しいだろう。
何だ。ボクと一緒じゃないか。おかしくなって、笑いが込み上げてくる。
勝手に生かされているボクも、この書斎も、ただ在るだけで、何の価値もない。誰からも必要とされていない――空っぽの存在。
床に落ちた本をじっと見下ろす。ページの角が汚く折れたそれと、同じ。そうだ、ボクは必要とされてない。だけどボクだって、何もいらない。
だからさアリエッタ。アンタも、もうボクに近づくな。この胸の苦しみだって、ボクには必要のないものだ。
静寂に満ちた書斎で、ボクは一人笑い続けた。
(by sakae)
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