春のあらし - 5/5

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❀五日目

 今日は朝から天気がいい。もちろんそれだけが原因じゃないけど、僕も明るい表情をしていたと思う。登校してきたばかりの僕を見て、「今日は元気そうじゃんか!」と委員長も嬉しそうに笑ってくれた。
「何だよ、もういつもどおりじゃねーか! つまんねー野郎だな!」
 一限目が始まる直前、わざわざ憎まれ口を叩きにきた友人には、とびきりの笑顔を返しておいた。僕のことを気に掛けてくれていたんだろうに、素直じゃない。彼が文句を言いながら教室を出ると、すぐにチャイムが鳴った。少しすれば先生がやってきて、授業が始まる。たった今一限目が始まったところなのに、僕の頭の中はもう放課後のことでいっぱいだった。早く怜士先輩に会いたい。今日こそ、たくさん話せるだろうか。
 上機嫌で過ごす僕の周囲の空気が一変したのは、すべての授業が終わり、靴を履き替えて昇降口を出ようとした時だった。先に出ていった筈のクラスメイト達が、血相を変えて戻ってきたのだ。
「あれ、他校のやつだよな? 何かすげえヤバそう」
「有名な不良じゃない? 遠目でだけど前にも見たことある!」
 興奮し矢継ぎ早に言い合う彼らの様子を見て、まさかと思った。早く確かめたくて急ぎ足で昇降口を出ようとすると、クラスメイト達が慌てて引き止めてくる。
「やめとけって! あいつお前よりでけえし、危ねーよ!」
「今、命からがら通り抜けたやつから連絡来たんけどさ。そいつ〝頭の白いやつ〟を血眼で探してるってよ。だからお前は特に……」
「僕なら大丈夫です! それに、そんなに怖い人じゃないですよ、彼」
 呆気に取られている彼らに手を振って、僕は昇降口を出た。心配してくれる気持ちはとてもありがたいけど、問題ない。だって……。逸る気持ちを抑える為、校門までの道をなるべくゆっくり歩いた。体育館の前を通りすぎ、道を曲がろうとしたところで、ものすごく聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。
「お前が噂の超不良だな!? いいか、オレは――!」
 友人が大きな声で名乗りを上げている。ああ、これはまずい。彼がケンカの前によくやっているやつだ。走り出してすぐに見えてきたのはいつもくぐっている校門と、その近くにあるふたつの人影。
「ケンカはダメですよ!」
 睨み合う二人に向かって叫ぶと、友人が振り向きもせずに怒鳴り返してくる。
「何言ってんだ、こいつが殴り込みにきやがったんだ! やるしかねーだろ!!」
「殴り込みにきたんじゃない。ただ人を探しているだけだと何度も言っただろう」
 やれやれと肩を竦め、やってきたばかりの僕に目を向けたのは怜士先輩だ。僕が笑みを返せば、彼もほんのり顔を綻ばせる。それだけで僕は、舞い上がってしまいそうだった。
「僕に会いにきてくれたんですよね」

 どうにか友人を宥めて誤解を解くと、僕と怜士先輩は学校から離れることにした。これでみんなも安心して帰れるだろう。
「昨日の怪我は大丈夫ですか?」
 僕らは並んで歩いていた。どこに向かうのかは話し合ってもいない。ただ道なりに進んでいく。
「ああ、さすがに少し痛むが問題ない。そういえば、応急処置が適切だったと医者が言っていたぞ」
「あ、ちゃんと病院行ったんですね! 良かった」
「……連れていかれたんだ」
「……? 昨日の先生にですか?」
 怜士先輩の歩くスピードが目に見えて落ちたので、僕一人が先に進む形となった。どうしたんだろう。立ち止まって待っていると、彼は頭を掻きながら「いや」と小さく言った。
「父さんに……」
 それはよくあること、ではないのだろう。現に彼は戸惑っているように見える。でも多分、いい方向に向かっていくんじゃないだろうか。照れくさそうに話す姿は、そう物語っているふうにも見えた。
 それからまた歩き続けているうちに、小さな公園にたどり着いていた。昨日の雨で地面がぬかるみ、遊具も濡れたままのせいか、誰もいない。怜士先輩と頷き合うと公園に足を踏み入れた。
「ところで、今日はどうして急に僕の学校へ? 驚きました!」
 もちろん嬉しかったですけど、と付け加えて僕は尋ねる。今日もキングダム学園に行くことは、昨日ちゃんと伝えておいた筈だ。
「それは……別にどうだっていいだろう。誤解を招いたのは悪かったと思うが」
 居心地悪そうに目を逸らす怜士先輩を見て、確信した。彼も僕と同じように、早く会いたいと思ってくれていたんだって。すっかり頬が緩んでしまっているであろう僕に、彼は視線を戻した。何だか不機嫌そうだ。
「そもそもお前が名前を教えないから、あんなことになったんだ!」
「え、言ってませんでしたっけ?」
 怜士先輩が大きく頷く。そういえば元々僕が一方的に知っていただけで、確かに名乗った覚えがない。それでも彼は僕の着ている制服や鞄から学校を割り出して、やってきてくれたのだ。本当に嬉しい。
「それなら改めまして、僕は――」
「待て」
 学校名と学年を告げたところで、待ったが掛かった。肝心の名前がまだなのに。首を傾げると、何故か睨まれる。
「お前、二年なのか」
「そうですけど……?」
 あれ、これも言ってなかったんだっけ。僕の返答に、怜士先輩はさらに眉を寄せた。
「だったら先輩呼びはやめろ」
「ええ! どうして急に」
「同じ学年のやつに、そんな呼び方されたくない」
「でも、怜士先輩って多分僕より――」
 僕が言い淀んだのは、怜士先輩の視線に怖気づいたからじゃない。ムッとしたその様子が、何だかかわいらしく見えたのだ。
「分かりました、怜士さん!」
 そう言い直せば、ようやく彼は表情を緩める。改めて自己紹介の続きをすると、彼は教えたばかりの僕の名前を小さく繰り返すように言った。ただ名前を呼ばれただけなのに、胸が熱くなる。
 聞いてみたいことはあったし、話したいことだってたくさんあるのに、僕は怜士さんの顔を見たまま黙り込んでしまった。彼も同じように僕を見ているだけでしんとしているのに、気まずさは感じない。
 しばらくそのまま見つめ合っていたけど、少し強めの風が吹いた時、怜士さんの視線が動いた。何かに目を奪われているように見えたので、気になって彼の視線を追ってみる。その先にあったのは、公園の隅っこに植えられている二本の木。はらはらと舞い散るピンクの花びらに誘われるように、僕達は木に歩み寄る。間近で見上げた桜の花には雨の痕跡が残っていて、日差しを浴びたそれが時々きらりと光るのがとても綺麗だった。
「怜士さん」
 桜を見上げていた彼の目が、ゆるりとこっちを向いた。髪に花びらがついてしまっている。手を伸ばしながら僕は続けた。
「僕、お菓子は甘い方が好きなんですよ」
 何の話だか分かっていない様子の怜士さんは、きょとんとした顔で目を瞬く。
 彼と出会ってまだ一週間も経っていないのに、この数日間で僕の心境は目まぐるしく変化して、体の中で嵐でも発生したんじゃないかと疑いたくなるほどだった。そして、やっと落ち着いてきたと思っていたそれは、どうやらまだ治まっていなかったらしい。今も僕の心臓は、ドキドキと脈打っている。
 風にさらわれていったのは、取ろうとしていた花びら。それでも僕は怜士さんの髪に触れながら、顔を寄せていく。
「だから今度は、甘いチョコレートを作ってくれませんか? ――僕のことを想って」
「……っ!」
 くちびるで触れた頬は、少しだけ熱い。固まっていた怜士さんは慌てて顔の下半分を隠すように腕で覆ったけど、そこが色づいてしまっているのはバレバレだった。やっぱりかわいいな。
 照れながらもまっすぐ僕を見つめるその瞳は、まるで甘いチョコレートのようだった。
(by sakae)


END
(23-04-11〜04-16初出)

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