春のあらし - 2/5

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❀二日目

「わあ! すごく綺麗に咲いてるなぁ」
 つい独り言をこぼしてしまうのも、仕方がないと思う。フェンスの向こうに並んでいる桜の木は、どれも立派で。桜の名所だと噂には聞いたことがあったけど、確かにこれはお花見には持ってこいな場所だ。しばらく立ち止まっていたことに気付いて、僕は慌てて歩を進める。
 僕は今日、初めてキングダム学園を訪れていた。といっても、まだ敷地の中に入ったわけじゃない。授業が終わり、部活動に勤しむ生徒達が校内に残る時間帯。空いているだろうと思って近づいた正門に、まさかの人だかりが出来ていた。興奮した様子の女の子が多かったから、もしかしたらあの間堂蓮がいたのかもしれない。僕の通う高校にもファンクラブが出来るほど人気な生徒会長に興味がなかったわけじゃないけれど、僕は裏手の方に回ることにした。昨日の今日で、黒王怜士に会いにきてしまったのだ。
 たどり着いた裏門の周りには、人気がない。彼がまだ校内に残っているのか分からなかったものの、とりあえず中に入ってみることにした。さっき誰かに聞けたら良かったんだけど、話を聞いてもらえそうな状況じゃなかったからなあ。
「おい、そこの白いの!」
 門を通りすぎると、遠くから声を掛けられた。良かった、話が出来そうだ。近づいてくる二人の男子生徒達に軽く頭を下げる。
「こんにちは! あの、お尋ねしたいことが――」
「あ? ……お前その制服、うちの生徒じゃねえな? 勝手に入ってきやがって生意気なやつめ!」
「ほら、通行料払えよ!」
「え?」
 目の前に差し出された手を、僕はぽかんと見つめる。通行料? 確かに学校の人に断りもなく、勝手に入ってきたのは良くなかったかもしれない。でも……。
「すみません。お金なら少し持ってはいるんですが、無駄遣いしないよう心掛けてるんですよー!」
「何だと!」
 差し出されていた手が引っ込んだと思ったら、拳骨が飛んでくる。予測出来た動きだ。僕は慌てず、それを片手で受け止めた。
「なっ……!」
「てめえ!」
 拳を取られた一人は驚いたのかそのままの格好で固まっていたが、怒ったもう一人も同じように握りこぶしを作るのが見えた。そっちも難なく避けると、二人組は本格的に怒ってしまったみたいで顔を赤くして怒鳴ってくる。興奮しきっていて、何を叫んでいるのかうまく聞き取れない。
 大振りのパンチをかわしながら、僕はひっそり溜息をつく。困ったなあ、ケンカを売りにきたわけじゃないんだけど……。
「あ」
 僕がある一点を見つめていると、それをチャンスと思ったらしい一人が勢いよく拳を振り上げる。が、その拳が僕に振り下ろされることはなかった。
「いっ……!!」
「さっきからうるさい」
「こ、黒王様……!」
 腕を捻り上げられていない方の男子生徒が、慌てたように後ずさる。顔が真っ青だけど大丈夫だろうか?
「静かにしろ。いいな?」
「わ、分かったから、は、離してくれ……いや! 離してくださいませ!」
 言い直した途端解放され、その場に尻もちをついた男子生徒はすぐさま立ち上がり、ヘコヘコと頭を下げていたもう一人と共に門の外に飛び出していった。
「さ、さようなら!!」
 鞄は元から持ってきていなかったのか、それとも忘れていることに気付いてもいないのか、どっちだろう。でも今は、そんなことを気にしている場合じゃなかった。会いたかった人が、僕の目の前にいるのだから。
「助けてくださってありがとうございます、怜士先輩!」
「……うるさいのはお前の方だったか」
「あれ、黒王先輩の方が良かったですかね? 名前の方が親しくなれるかなと思ったんですけど」
「何なんだ、お前は」
 怜士先輩は大きく息を吐き出すとくるりと背を向けて歩き出したので、僕もそれに続く。石の階段をいくつか上ったところで立ち止まった彼はそこに腰を下ろし、ポケットから棒付きキャンディを取り出して口にくわえた。僕も同じようにキャンディ――残念ながら棒の付いていないミルク飴しか持っていなかったけど――を口の中に入れて、彼の隣に座る。
「……ふざけてるのか?」
「?」
 ああ、飴玉が大きくて喋りにくいな。仕方なく黙ったまま首を捻る。すると怜士先輩は、はあ、とまた大きな溜息をついた。昨日のことでお疲れなのかもしれない。苦い顔でキャンディを舐める彼の様子を横目でちらちら伺いながら、僕も口の中で甘い飴玉を転がしていた。
「お前、意外とケンカ慣れしてるんだな。まあガタイはいいしな」
 飴玉が大分小さくなった頃、怜士先輩が話しかけてきてくれた。彼の視線は自分が持つ細い棒を向いている。彼の方が先に食べ終わってしまった。僕は喋りやすいよう、頬の内側に飴玉を転がす。
「いえ! でもまあケンカっぱやい友人のこともあって、巻き込まれちゃう時もたまに。幼い頃から護身術にと武道をんでいるので、それが役立ってますね。怜士先輩もやっぱり何か習ってるんですか?」
 昨夜の光景を頭に思い浮かべながら尋ねる。返事は返ってこないかもしれない。そう思ったけど少しの沈黙のあと、怜士先輩は口を開いた。
「昔、部活で剣道や柔道を少しだけ。……短い間だったが」
 昔というのは、小学校や中学校でのことだろうか。それとも。彼についての噂は多い。中には留年を繰り返し続けている彼は、十年間高校二年生のままだという話もあった。噂には尾ひれはひれがつくものだから全部が全部鵜呑みにしてはいけないとは思うけど、確かに怜士先輩は人より大人びて見える。
 そんな彼が寂しそうな顔で話してくれたのは、とてもつらい話だった。高校生になって入部した剣道部で強すぎるがゆえに先輩達の目の敵にされ、叩きのめされてしまったこと。そして、そのあと入った柔道部でも同じことがあったと語った彼の傷が、月日が経った今もまだ癒えきっていないのは、苦しそうな横顔からも見て取れる。なんてひどい!
「――僕が、あなたの先輩だったら良かったのに」
 吐露してしまった想いは、情けなくも震えていた。僕が悲しんだところで、どうしようもないことぐらい分かっている。それでも願わずにはいられなかった。僕が彼の先輩だったら、もしくは、同級生だったなら――彼を理不尽な暴力から守りきることが出来た筈なのに。
 さすがにそこまで口にしてしまうのは、おこがましいという自覚はある。黙りこくった僕に視線を向けた怜士先輩は驚いたように目を見張ったあと、僅かに口元を綻ばせた。
「オレにもお前みたいな可愛げがあれば、また違ったのかもしれないな」
「怜士先輩、でも……!」
 先輩達を家族のように思っていたというのなら、怜士先輩はたとえ自分の方がどれだけ強くとも、彼らを慕っていた筈だ。それなのに、彼らは抵抗しないこの人を寄ってたかって、痛めつけて……。可愛げがないのは一体どっちだ!
 ぎりっと歯を食いしばる僕の肩に手を置いた怜士先輩は、そのまま僕を支えにして立ち上がった。
「つまらん話をして疲れたな。今日はもう帰るか」
「あ。それなら、僕も――」
「捨てておけ」
 歩き出した怜士先輩が後ろ手に放り投げたのは、棒付きキャンディの残骸。彼は振り返ることなく、さっさと門を出ていってしまった。……今は追いかけない方がいいかな。僕はそう考えて、門とは反対側にある校舎を少しの間見上げる。怜士先輩も、今日はあそこで授業を受けたんだろうか。
 少しして、彼が捨てていった棒きれをポケットティッシュで包むようにして拾い上げる。その瞬間、やっと僕は口の中にあった筈の飴玉が、いつの間にかなくなっていることに気付いたのだった。
(by sakae)


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