春のあらし - 3/5

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
❀三日目

「こんにちは!」
「また来たのか」
 呆れたような顔で頬杖をつき、僕のことを見下ろしているのは怜士先輩だ。僕は今日も学校が終わると、キングダム学園へとやってきた。そして昨日と同じように入った裏庭で、一緒にキャンディを食べた階段に座っている彼を見つけたのだ。笑顔で手を振ってみたものの怜士先輩は振り返してはくれず、さらには目を閉じてしまった。照れているのだろうか。
 僕は階段を上がると、彼の隣に腰掛ける。これも昨日と同じだ。だって近い方が話しやすいから。気怠げに目を開いた怜士先輩が傍らにあった何かを持ち上げたかと思ったら、こっちにぽいっと投げてきた。僕は反射的に手を出して、受け取る。
「ええっと、これは……」
 僕はゴミ当番に任命されたのかもしれない。一瞬そんなふうに考えてしまったけど透明の袋に入ったそれは、チョコレートのように見える。手のひらサイズのちょっと不思議な形をしていて、これは……数字の8かな? まじまじ見つめていると、怜士先輩が言った。
「食いたければ、食ってもいいぞ」
「わあ、いいんですか! ――あ。でもこれって、誰かにいただいたものなんじゃあ……」
 甘いものは好きだ。そう喜んだのも束の間、僕は袋を開けるのをためらった。というのも、よくよく見てみればチョコレートの形はハート型のようにも思えるし、何より市販のものには見えない。
 誰かが手作りチョコを、怜士先輩に渡した――そう考えた瞬間、体がずんと重くなった気がした。怜士先輩はカッコイイから恋人がいたっておかしくないのに。チョコレートを手にしたまま固まっていると、怜士先輩がどこか気まずそうに口を開く。
「貰ったんじゃない。それはオレが作ったものだ」
「え?!」
 思わず大声を出して、怜士先輩を凝視する。彼は顔をしかめたものの、怒ってはいないようだった。
「授業で作ったんだ」
 真面目に授業に出てチョコレートを作った。それはそれで意外だ。ついそう思ってしまったが、人を見かけや評判だけで判断しちゃいけないと思い直す。怒りっぽい僕の友人だって、良くない噂はあるけどいい人だし。
 それにしても、進級してすぐに調理実習か。やっぱり同じ学年でも学校が違えば大分違うんだなあ。と、そこまで考えて、僕は「あ!」と声を上げた。
「さっきからうるさいぞ」
「あ、すみません。あの、ひょっとして今日って例の〝デザートデー〟だったりします?」
「……よく知っているな」
 片耳を手で塞いだ怜士先輩に慌てて謝ってから僕が話題に出したのは、他校の生徒の間でも有名なキングダム学園特有のイベントだ。誰かを想う気持ちをお菓子を作って表現する日として、その日は全校生徒がお菓子作りに励むという。イベントの立案者である間堂蓮に手作りお菓子を渡したい。そして、あわよくば彼から貰いたい。なんて、同じクラスの女の子達が楽しそうに話していたのは、つい最近のことだ。
 なるほど、だから怜士先輩もお菓子を――と、納得しかけた僕の中で、新たな疑問が生まれる。それならこのチョコレートも、誰かを想って作られたものなんだろうか。途端に胸の奥がざわつき始め、落ち着かなくなる。
 一体怜士先輩が、どんな気持ちを込めたのか。知りたい気持ちと知りたくない気持ちがせめぎ合い、おかしくなってしまいそうだった。こんな気持ちになったのは初めてで、僕は混乱していた。何で、こんな……。
 微かに震える僕の手から、チョコレートが離れていく。ひょいと持ち上げたのは怜士先輩だ。
「いらないなら返せ」
「ち、違います……!」
 慌てて手を伸ばしてチョコレートを取り戻せば、怜士先輩は少し困ったように眉尻を下げる。
「別に怒ってるんじゃない。……ろくに知りもしない人間が作ったものなんて、抵抗がないやつの方が少ないだろう。よく考えもせずやろうとしたオレが馬鹿だった」
「そんなことありません! 僕はこれを食べたいんです!!」
「おい!」
 言いながら僕は袋からチョコレートを取り出し、勢いよくかじりついた。
 ほろ苦いそれは、決してまずいわけではなかった。けれど、僕の好みからは大きく外れている。当然だ。これは僕の為に用意されたものじゃない。他の誰かを想って、作られたものだから。
 それでも望んで口にしたのは、他ならぬ自分自身だ。僕は笑顔を取り繕い、「とてもおいしいです」と告げた。
「お前……」
 小さく呟いた怜士先輩は、どんな表情をしていたのだろうか。今目を合わせたら笑顔が壊れてしまう気がして、彼の顔を見ることが出来なかった。ああ、何でこんなにつらいんだろう。苦い気持ちでチョコレートを食べ進める。
「――これ、本当は誰に渡すつもりだったんですか」
 口から飛び出してしまった問いかけに、怜士先輩は答えなかった。もしかするとうまく聞き取れなかっただけかもしれない。だけど聞き返されることもなかった。
 チョコレートを噛みしめるたび、苦味が増していくような気がした。それと同時に、心の中のもやもやが大きくなっていく。自分用に作った可能性だってある筈なのに、それだけは絶対に違うという謎の確信があった。でも、これを想い人に渡さなかった理由だけが分からない。怜士先輩は誰かに叶わぬ想いを抱いているんだろうか。
 あれこれ考えているうちに、僕はチョコレートを食べ終えていた。
「ごちそうさまでした!」
 両手を合わせながら心の準備をすると、ようやく怜士先輩の方を向くことが出来た。難しい顔をした彼は何か言いたげに口を開いたように見えたのに、すぐに閉じてしまう。何だろう、僕から話しかけても大丈夫かな。迷っていると、怜士先輩が腰を上げた。
「あの、怜士せ――」
 目が合った瞬間、声が出なくなった。僕を見下ろす瞳はチョコレートと同じ色。そしてそれは、さっき食べたものと同じように、とても苦そうに見えた。
「今すぐ失せろ。二度とオレにその面を見せるな」
 冷たい声だった。まるで凍ったように体が動かなくなった僕を残して、怜士先輩は階段を上っていく。
 ――どうして。さあっと血の気が引いていくのが、自分でも分かった。息をしているのに、苦しい。それでもどうにか階段の上を振り返った時には、怜士先輩の姿はどこにもなかった。
(by sakae)


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