ひとりにしないで

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 ざああ。両手で耳を塞いでも、聞こえてくるのは雨の音。
 ――早く止んじゃえばいいのに。膝を抱えてベッドの中でうずくまりながら、アリエッタは切に願った。嫌、いや! 早く止んじゃえ!
 その夜、ダアトは大雨に見舞われていた。夕刻からぱらぱらと降り始めた雨が、次第に激しさを増していったのだ。
 一際大きくなった雨音に、アリエッタは肩を震わせる。
「ママぁ……イオン様ぁ……」
 救いを求めるように呼んだ者達は、しかしここにいない。ここにいるのはアリエッタ一人だけだ。
 みんなも、いない。必死に不安を堪えようと、膝に額を押しつける。
 一人は嫌いだ。独りぼっちは、いや――。
「何だ、起きてんじゃん」
「!!」
 ふいに、雨声以外の音が耳に入ってきた。驚きに、アリエッタは顔を上げる。その瞬間、暗かった部屋の中が明るくなった。
「アンタさぁ、起きてんなら返事ぐらいしてくれない? ムカつくんだけど」
 知らないうちに部屋の中にいたのは、シンクだった。明かりを点けたのは彼だろう。面白くなさそうに腰に片手を当てて、こちらに歩み寄ってくる。
「何? また泣いてんの?」
「っく、……シンクぅ」
 思わず泣きつこうとしたアリエッタだったが、シンクはすっと体を逸らしてしまう。恨めしげに見上げても、仮面のせいでその表情は読めない。
「悪いけど、ボクは明日の任務についてアンタに伝え忘れたことがあるからって、伝言を頼まれただけなんだよ。わざわざ子守しにきたわけじゃないんだよね」
 そこまで暇じゃないからさあ、と冷たく言い放たれ、アリエッタはさらに頬を濡らした。
「シンクの、意地悪っ……!」
「ああ、それは悪かったねー。それじゃあすぐに帰ってあげるからさ、黙ってボクの話聞いてくれない?」
 また強くなる、雨。
 明日はと続く言葉を無視して、アリエッタはさらに身を縮こまらせる。その様子に、シンクは僅かに首を傾げてみせた。
「……雷、は違うか」
 彼は窓の方へ目を遣って、それからアリエッタに視線を戻すと静かに呟いた。てっきりアリエッタが、雷を怖がっていると考えたのだろう。だがいつまで経っても、雷鳴なんて聞こえてこなかった。
 聞こえるのは、激しい雨の音だけ。アリエッタは嫌々するように首を振る。
「…………あめ」
「雨……? 何だ、アンタ雨嫌いだったの」
 珍しく呆気に取られた様子のシンクに、アリエッタは再び首を横に振ってみせた。
「そうじゃない……です。でも、この雨は、嫌い。だって……」
 ぎゅっと自分の肩をきつく抱く。そうでもしないと、不安に押し潰されてしまいそうだったから。
「ここにはみんな、いないから……っ!」
 ――ダアトに連れてこられる前、まだ森でライガ達と暮らしていた頃。雨は恵みとなる一方で、彼らの狩りを妨げる要因ともなった。時には冷たく激しい雨が、彼らの体力を奪っていった。体温を奪われ、冷たくなっていく肉体
 だからアリエッタは、大雨の日はどうしても好きになれなかった。弱っていく仲間の姿を見るのが、怖くて堪らなかったのだ。自分だって、いつああなるかも分からない。
 それでも傍らにはたくさんの仲間達がいてくれたから、守ってくれたから、アリエッタは平気だった。
 けれど今、ライガ達はここにいない。昼間は教会の中でも共に行動している彼らだが、最近は任務中以外の夜には街から離れた場所に待機させるか、もしくは教会の外に繋いでおかなければならなかったからだ。
 そして、一番の信頼を寄せていた母――ライガクイーンは、もうこの世にはいない。人間達に殺されてしまったから。
「っイオン、様……イオンさまぁ……」
 ダアトに来てからは、寂しい時にはいつだって側にいてくれたイオン。だが彼もまた、ここにいない。アニス達とダアトを出て行ってしまったのだ。
 いや、仮にダアトに留まっていたとしても、彼は側にいてくれなかったかもしれない。最近の彼は何故か、アリエッタのことを避けているようだった。以前のイオンなら、ライガ達を教会に連れ込むことも快諾してくれたし、ずっと雨が降っている夜は一緒に眠ってくれた。優しく頭を撫でて、抱きしめてくれた――。
 なのに今は、ここにいない。アリエッタは独りぼっちだった。
「……っに、ひとりぼっちに、しないでよぉ」
「――ホント、アンタってうるさいよね」
 泣き止む気配のないアリエッタに、シンクは肩を竦める。さらに雨音が大きくなった。部屋の中でも大雨だ。
「だって、だって……!」
 しゃくり上げながらも、アリエッタは考える。今からでもみんなの所に行こうか、と。そうだ。そうすれば、きっともう寂しくなくなる。
「どこに行くつもりさ」
 ベッドを降りたアリエッタに向かってくる、不機嫌そうな声。その声音に、アリエッタは傍らに置いてある人形に伸ばそうとしていた手を、ビクッと震わせた。
「みんなの所、です。アリエッタ、ひとりぼっちは……嫌だから」
「……」
 改めて手を伸ばして人形を掴むと、アリエッタはドアへと急ぐ。早くはやく。みんなの所へ――。
 ドアノブに手を掛ける。途端に、その腕を掴まれた。驚いて振り返れば、すぐ後ろにシンクが立っている。
「な、何?」
 やはり機嫌が悪そうな彼におそるおそる訊ねるも、返答はない。アリエッタは首を傾げながらも、焦れて部屋を出ようとしたのだが、再び腕を引っ張られてしまう。
「シンク、どうして邪魔するの……!」
「だからさあ、ムカつくんだってば」
 早くみんなに会いに行きたいのに、どうして――。再び涙を浮かべるアリエッタに、シンクは続ける。
「ノックしても返事もしないし、独りぼっちだの何だのって……。アンタって、そんなにボクの存在を無視するのが好きなの?」
「……?」
 シンクの言いたいことが理解出来ず、アリエッタはぽかんと仮面を見上げた。それでも彼が何を考えているのか、さっぱり分からない。
 少しの間シンクは黙り込み、それからアリエッタから顔を背けると口を開いた。
「……アンタは目の前にボクがいたって、独りぼっちだって言い張るんだね」
「だ、だって……! シンク、さっき帰るって、そう言ってたから――」
「うるさいなぁ。そんなにボクに帰ってほしいわけ?」
 反論しようとしたアリエッタだったが、すぐさま遮られしまった。だが涙に沈んでいた瞳は、期待に輝く。
「じゃあ、シンクが! シンクがアリエッタと一緒に、いてくれる……の?」
「……伝言、まだ伝えられてないから。アンタがちゃんと聞いてくれるまで、ボクは帰れないんだよ」
 仕事だからね、と呟くような小さな声で理由が続けられる。先ほどとは反対に、シンクの腕を取ったのはアリエッタだ。ぎゅうとしがみつく。
「痛いんだけど」
「あっ、ごめんなさい、です……!」
 仮面に隠されていない彼の白い頬が僅かに赤くなっているのを、慌てて手を離したアリエッタは、そして本人すら気付かないままだった。

 とどまることなく降りしきる、雨。
 閉めきった窓を突き抜けてくる雨音は、相変わらず大きい。そしてアリエッタの傍らには、ライガ達も、イオンの姿もないまま。だけど。
「……ちょっと。その緩みきった顔は何? 雨、嫌なんじゃなかったの」
 ――もう平気だもん。アリエッタは微笑む。
 そう、だけど今はシンクが側にいる。彼は決して頭を撫でてはくれないし、抱きしめてもくれない。それなのに、あたたかかった。一緒にいてくれるだけで、こんなにも心強いなんて。
 窓の外を見遣る。あの雨はきっと、とても冷たいだろう。だがアリエッタは、もう雨を怖いとは思わなかった。
(by sakae)


END
(08-10-10初出)

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