ひとやすみ

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
 ああ、疲れた。イオンは握っていたペンを手放すと、長々と息を吐き出す。時計に目を遣れば、もう三時を過ぎていた。かれこれ二時間以上、書類と向き合っていたことになる。
 こんな面倒くさいこと、ヴァンかモースがやればいいのに。もう一度溜息をついたあと、イオンは視線に気付いて顔をそちらに向けた。
「……驚いたな。いつからそこにいたんだい? アリエッタ」
 ドアの前で人形を抱きしめ静かに佇んでいた少女は、イオンが声を掛けると小さく肩を震わせた。
「少し前、です。……ごめんなさい。アリエッタ、イオン様の邪魔をするつもりなんて」
「怒ってないよ。……おいでアリエッタ」
 手招きすれば、彼女は素直に駆け寄ってくる。座ったまま椅子を引くとキイッと嫌な音がして、ほんの一瞬イオンは眉をひそめた。
「すぐに声を掛けてくれたら良かったのに」
 やわらかな桃色の髪を撫でながら優しく話しかけるイオンに、アリエッタは、だって……と口を尖らせる。
「モースが、アリエッタは、イオン様のお仕事の邪魔になるからって……」
 そこまで言い終えた途端に、彼女はしゅんと肩を落としてしまった。ただでさえ小柄なアリエッタがさらに小さく見えてしまい、イオンは胸を痛める。
 モースを筆頭にアリエッタが導師守護役であることを日頃から良く思っていない連中は、イオンがいない隙を見計らってねちねちと嫌味を言っているらしく、アリエッタはそんな彼らが嫌いだと前に言っていた。
 ――まったく。ああいう輩は一度強く言ってやらないと分からないらしい。イオンは内心舌打ちしながら、しかし目の前の少女には優しく語りかける。
「モース達の言うことなんて気にしなくていいよ。第一、僕がキミのことを邪魔だなんて思う筈がないだろう?」
「……はい!」
 よしよしと頭を撫でてやると、ようやくアリエッタは笑顔を見せた。
「いい子だね」
 ――やっぱりアリエッタは、こうじゃないとね。愛しい少女に笑みを返してから、イオンは手早く机の上の書類をまとめる。
「イオン様、お仕事終わった、ですか?」
「まあ、大体はね」
 曖昧な返答に、アリエッタは不思議そうに首を傾げた。本当はもう少し残ってたりするんだけどね、とイオンは口には出さずに続ける。
「アリエッタは気にしなくて大丈夫だよ。――それより」
 イオンは書類を片手に立ち上がると、もう片方の手をアリエッタに差し出した。だが彼女は、きょとんとしたままイオンを見つめ返してくる。
「こんな所にいても面白くないからね。一緒にどこかに行こうよ」
「……! 行くですっ」
 イオンは嬉しそうに自分の手を握るアリエッタに、微笑んでみせる。
 残った仕事は押しつけてやればいいだけだ。だって少しでも多くの時間を彼女と過ごしたいのだから、仕方がない。
「どこへ行く、ですか?」
「そうだなぁ……とりあえず、アッシュでもからかいに行こうか」
「はい!」
「でもその前にヴァンの所へ寄るよ。……ちょっとお願いごとをしたいからね」
 ――だから、これぐらい大目に見てもらわないと困るよ、ヴァン。
 アリエッタが開いたドアを通り抜け、イオンは笑顔で執務室をあとにした。
(by sakae)


END
(08-04-03初出)

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