涙雨の午後

ティアが病んでいて、終始暗いです。それでも大丈夫だけお読みください。


※無断転載・AI学習を固く禁じます。
 雨が地面を叩きつける音が、ひっきりなしに聞こえてくる。昨日の夜遅くから降り続けている雨は、まだ止む気配はない。遠くで雷が鳴った。
「ルーク」
 弱々しい彼女の声は雨音に掻き消されそうになりながらも、どうにか俺の耳まで届く。それほど距離をとっていないのに、まるで遠い場所にいるようだった。
 掛けるべき言葉が見つからない。どうしてやればいいのか、俺には分からなかった。窓辺で佇む彼女に、ただ目を遣ることしか出来ない。
 視界にある後ろ姿は、旅をしていた当時の彼女からは考えられないほど儚げで。大袈裟かもしれないが久しぶりに彼女を見た時は、一瞬とはいえよく似た別人かと思ってしまったくらいだ。
 そんな彼女の姿を段々見ているのがつらくなってきて、俺は目を逸らす。そうして一度は窓辺に置いた小さな花瓶に視線を移したものの、完全に目を背けることなんて出来る筈もなく、結局は窓ガラスに映り込んだ彼女を見つめた。
 ガラス越しに見た彼女は、この三日間ほとんど同じ表情をしている。ただ一点だけを飽きもせず、見つめているのだ。虚ろな目が映し出す世界に、一体何が見えているというんだろう。
 ……もしかしたら、彼女にはあいつが見えているのかもしれない。いや、違う。きっと見えるのを待っているんだ。
 約半年ぶりに彼女と再会したのは、三日前。
 最後に会ったのは、あいつの成人の儀が執り行われた日――タタル渓谷に〝彼〟が現れた夜だった。
 俺達は、彼が帰ってきたことを喜ばなかった……喜ぶことが出来なかったのだ。ナタリアでさえ、率直な喜びの言葉は口にしていなかったと思う。
 二年前に死んだ彼の、奇跡の生還。それは同時に、二度とあいつが帰ってこないことを示していた。彼にあいつの記憶が宿っていると知った時も、ただ複雑でしかなかった。この二年間、必ずあいつが帰ってくると信じていたから。ずっとずっと、信じていた。願っていたのに。
 そんな中。お帰りなさいと、彼を迎え入れたのはジェイドだった。ジェイドは最初から知っていたのだ。この悲しい結末を。
 ――きっと誰も悪くなかった。
 少し時間が経った今なら、そう思う。少なくとも、理解しようとはしている。
 だけどあの時は、そうじゃなかった。俺は冷静になれずジェイドにも、そして彼にも、ひどい言葉を投げつけてしまったのは忘れてない。最低だ。あの時の俺には誰かを気遣う余裕なんて、まったくと言っていいほどになかったように思う。彼女のことすら見ていなかったのだ。
 あの日以来、俺はみんなと会っていなかった。同じグランコクマに住む、ジェイドにさえ。
 つらい現実から目を背けるように、あの事実を知るみんなを避けるようになっていた。俺を、いや多分みんなを気遣ったアニスから届いた手紙すら、無視をして。ジェイドが俺と顔を合わさないようにしてくれているのも、気付いたのは本当に最近のことだ。
 だけど先日、ピオニー陛下の命令でユリアシティを訪れた際、ふと気になってしまった。彼女は一体、今どうしているだろうかと。
 誰かに訊ねなくとも、彼女の居場所はすぐに分かった。まっすぐ向かった先は、まだユリアシティが魔界にあった頃、唯一咲いた花の――セレニアの花畑。思ったとおり、彼女の姿はそこにあった。
 彼女はそこで一人、口ずさんでいた。ローレライとユリアの契約の証である、大譜歌を。どこか懐かしい響きのするその旋律が、その時はとても悲しく聞こえた。
 あの二年の間、俺はその小さな花畑で、彼が現れた渓谷で、かつての旅で巡ったあらゆる場所で、彼女と共にあいつが帰ってくるのを待っていた。あいつがまっすぐ帰ってこられるように、迷わないように道しるべにと、歌う彼女の傍らで。
 歌に誘われてきたのがあいつではなく俺だと分かると、彼女は少しだけ寂しそうに微笑んで、言った。
 ――一緒にルークを待ちましょう、と。きっともうすぐ帰ってくる筈だわ、と。
 俺は暇さえあれば世界のどこかにいる彼女を見つけ出し、共に待ちぼうけたものだ。……結局、あいつが帰ってくることはなかったけれど。
 半年ぶりに見た彼女は、悲しいくらいに弱々しく、哀れで……。
 俺は思わずその腕を掴んで言っていた。ここを離れよう、と。これ以上、彼女を一人にはしておけないと思ったのだ。
 先に会った彼女の祖父もどうしようもないと困り果てていたし、俺が彼女にしてやれることなんてないのも分かりきっていたが、セレニアの花が咲くあの場所で彼女を一人きりにするのは、俺から見ても不安だった。どこか。どこか、遠い世界に行ってしまいそうで。
 彼女は頷きはしなかったものの、拒絶もしなかった。俺の手に引かれるまま、彼女は再び第二の故郷をあとにした。ただ一輪のセレニアの花だけを手にして。

 ザアァァァ……。
 雨音が強くなる。彼女は少し前からまた歌っていたが、ほとんど聞き取れない。
 いつの間にか大分雷が近づいていたらしい。視界が明るくなった数秒間、激しく鳴り響く雷鳴。それと共に聞こえてきたのは、か細い声。
「ねぇルーク……私はここよ、ここにいるわ」
 ルーク。もう一度その名前が聞こえてくる前に、俺は彼女を引き寄せ、抱きしめていた。強くつよく。力を込めて抱きしめる。彼女が、どこにも行ってしまわないように。
「……馬鹿野郎ッ!」
 俺は叫んでいた。彼女にじゃない。あいつに向かって。
 どうして約束を守らなかったんだ。八つ当たりでしかないのは、俺だって分かってる。あいつは何も悪くない。だけど今は、それでも良かった。
 彼女は俺の胸に顔を押しつけると、むせび泣いた――あいつを呼びながら。
 ――馬鹿野郎!
 もう一度、今度は心の中だけで叫ぶ。ぐっと彼女を抱く腕にさらに力を込めた。痛いだろうに、それでも彼女はあいつを呼び続けている。
「……ティア」
 彼女が俺を見上げた。涙に沈んだその瞳は三日前に再会した時と同じ、悲しい色をしている。
 分かっていた。期待してたわけじゃない。彼女が求めているのは、あいつだ。あいつだけなんだ。
 あのセレニアの花畑で彼女が待っていたのは、彼じゃない。そして俺でもない。ただあいつを、あいつだけをずっと待っていたのだ。
 なあルーク。お前、知ってるか。お前と再会の約束を交わしたあの日から、彼女が優しい歌声を聞かせてくれなくなったということを。
 だからこそ、俺はお前が彼女を迎えにくるのを待っていたんだ。俺はただ、彼女の優しい歌をまた聴きたかった。せめてもう一度、もう一度だけでも。
 だけどきっと、それは叶わない。――だってお前が帰ってこないから。
 けたたましい雷が、窓辺の小さな花瓶を一瞬、白く染め上げる。その中で枯れかけたセレニアの花が健気に空を仰ごうとする姿が、どこか彼女と重なる。いつかはまた、あの歌声が聴けるだろうか。
 花の――そして俺の想いを拒むかのように、黒い空は重たい雨をいつまでも降りそそぎ続けていた。
(by sakae)


END
(08-01-02初出)
loca」様よりお題をお借りして書いたお話でした。
「あいうえお44題/る:涙雨(るいう)の午後」

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