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慣れない雪のせいだろうか。どうも足取りが重い。慎重に踏みしめた地面は白かった。注意を払っている足元だけじゃない。立ち並ぶ家の屋根も木も、街全体が雪化粧している。自分が吐き出した息さえ、雪のように白くなっていた。
俺は滑らないよう気を付けながら、先を進む。ケテルブルクにやってきたのは、随分と久しぶりだ。最後にここを訪れたのは、まだ世界中を駆け巡っていた頃のことで……。
「うわっ!」
俯きがちだったせいか、前から走ってくる子供の存在に気付くのに遅れてしまう。軽くぶつかった子供はたどたどしい謝罪を口にしながらも、そのまま走り去ってしまった。雪の上だとは思えないほどの走りっぷりだ。
その背中を見届ける暇もなく、もう一人似たような背格好の子供が俺を横切る。きっと追いかけっこでもしてるんだろう。元気だなあと感心していると、後ろを走っていた子供がふいに振り返り、俺のことを不思議そうに見つめてくる。
見慣れない人間に何か思うところでもあるんだろうか。警戒されないように微笑んでみせてから、これじゃあ逆に怪しい奴だと思われるんじゃないかと不安になる。だけどそれは杞憂だったようで、子供はにっこり笑顔を返すと駆け出した。ちらつく雪を弾き飛ばすような勢いに、今度は自然と顔が綻ぶ。
小さな後ろ姿を見送り、再び前を向いたところで鼻の頭に雪が張りついた。その冷たさに、慌てて首を振って雪を落とす。ついでに手袋をした手で前髪の雪を払おうとして、ハッとなる。あの子は、これが珍しかったんじゃないだろうか。
毛皮の帽子からはみ出た、火のような赤。銀世界だと特に目につきやすいんだろうなあと考えながら、指先で髪を摘んだ。
――それとも、ひょっとして。ふと頭に過ぎったのは、もうひとつの可能性。肩越しに見た先に、すでに二人の子供の姿はなかった。残された小さな足跡に静かに雪が落ちていく。
まあいいか。ひとつ白い息を吐き出すと、俺は改めて一歩踏み出した。
街の北側にある大きな広場に到着すると、さっそく隣接する門へ目を向けた。旅の途中ロニール雪山へ向かう為に、何度か通った場所だ。そこに人影がないのを確認すると周囲を見渡す。
広場の中心にあたる場所では、子供達が雪玉を投げ合って遊んでいた。その側にある巨大な雪の塊は、確か……かまくらっていうんだっけ。雪で出来ているのに、中は不思議とあたたかかった記憶がある。寒いしあの中で待とうか。一瞬そう考えるも、すぐに思い直す。あそこからだと、外が見えづらそうだからだ。
特にすることもなく、子供達のはしゃぐ声を背に辺りをぶらついてみる。ほとんど風がないせいか、降る雪は舞うように緩やかだった。
その雪に似た色をしていた筈の空が、うっすらと暗くなり始めている。知事邸を出てまだ一時間も経っていない筈なのに、バチカルと比べて日が暮れるのが随分と早い。やっぱり全然違うんだな。
何気なく見た道の隅に、雪だるまを見つけた。ここでは至るところで見かけるものだけど、その中でも特に小さなものだった。雪合戦で使われている雪玉を、くっつけ合わせた程度の大きさだ。
崩さないようにそっと歩み寄る。器用に小さな手や顔まで作ってあるのを見て、思わず笑みをこぼす。雪だるまも笑っている。
よし! 意気込むと、俺はしゃがみ込んだ。手袋越しにも分かる冷たい感触。周囲の雪を掻き集めて、雪玉を作っていく。それが充分な大きさになると、少し大きさを変えて、もうひとつ。
雪玉を重ねて一旦立ち上がった。使えそうな石ころや木の枝を探し回り、見つけ出したそれらで雪だるまに手と顔を作ってやる。
――出来た、けど……。完成品を前に、俺は唸り声を漏らしていた。同じようにやったつもりなのになあ。隣の笑顔の雪だるまと見比べて、首を捻る。何かおかしい。
とにかくバランスが悪い。手頃な石とかがなかったせいか、何とも微妙な表情になってしまった。強いて長所を挙げるなら、隣合う雪だるまより一回り大きい、というだけの出来栄えだ。
「じゃあな!」
突然の大声に、がっくり落としていた肩がビクリと跳ねる。な、何だ?
声の方に顔を向ければ、また明日ねと子供達が手を振り合っているのが遠目に見えた。住宅地へと通じる道を走る小さな影は、さっきの元気な声の持ち主だろうか。
もう子供が家に帰るような時間なのかと、ようやく辺りが薄暗くなっているのに気付いた。思っていたより、雪だるま作りに夢中になっていたらしい。
子供みたいだな。ふたつの雪だるまを見下ろしながら、俺は小さく笑う。実際に生きてきた時間を考えれば、俺はまだ子供なんだろうけど。
でも。ふと浮かんだくだらない疑問に、また苦笑する。あの二年は生きてきた時間に含まれるんだろうか。
いくつか設置されている街灯から、ぽつりぽつりと光が溢れ出していく。
師匠を倒して、ローレライを解放して――それから、気付けば流れていた月日。街灯に照らされ淡く光るような雪に、月明かりの下でやわらかな光を放つ花が重なる。途切れていた意識が戻ったのは、成人の儀を迎えた夜のことだ。
俺の知らないうちに、あっという間に二年が経っていた。
そしてそのあっという間の出来事からも、もう三年になる。だから気付けば日が暮れていたなんてこと、ちっとも驚くような話じゃない。時間が過ぎるのは早いのだ。俺が思っているよりも、ずっと。
それでも街の外に人影が現れたのは、しばらく経ってからのことだった。これもあとから振り返れば、あっという間なんだろうか。空はすっかり暗くなり、ただでさえ冷たかった空気がさらに冷えてしまって、大した意味もないのに自分を抱きしめるように体に腕をまわしていた。とにかく寒い。そのせいか、辺りからはすっかり人気が消えていた。
今日は風がないからあたたかい方だと聞いてはいるけど、それでも寒いものは寒い。まあロニール雪山よりずっとマシかと、今まさにその極寒の地から帰還したばかりの猛者達が街に入ってくる。
彼らは数日前から、ロニール雪山の奥地にあるセフィロトの調査に向かっていたらしい。ゆっくりこっちの方に向かってくる。街の中心へ行くには広場を通る必要があった。ぼそぼそと聞こえていた話し声が、徐々に大きくなっていく。歩く人影は六人。全員似たような防寒着に身を包んでいた。
少しして俺に気付いたらしく、彼らがこっちの様子を伺っているのが分かった。すっかり日が落ちた広場でたった一人佇む男を怪訝に思うのは、無理もない。それでも俺は彼らから、いや、最後尾を歩く彼から目線を外すことは出来なかった。……間違いない。もう確信していた。
俺が呼びかけるよりも先に、彼が声を上げる。俺にじゃない。自分の前を歩く者達に対してだ。彼らは少し会話をすると、後ろの一人だけを残して再び歩き始めた。
こっちを少し気にした素振りを見せながらも五人の人影が大分遠ざかったところで、最後の一人も動き出す。街灯のひとつが、近づいてくる彼を照らし出した。
――ああ、やっぱり目につくな。防寒帽の下から覗く真っ赤な色は、記憶の中のものと変わりない。
「よお。……久しぶり」
俺の方からは一歩近寄っただけで、冷気を纏った空気を震わせた。彼は応えずに立ち止まる。お互いにあと一歩ずつ踏み出せば手が届く距離だ。表情を確認するには充分だった。
「どうしてお前がここにいる」
「仕事。お前と一緒だよ」
久しぶりに会ったというのに相変わらずな態度だ。それもあって探るような視線を寄こしてくる彼に、想像していたほどの懐かしさは感じなかった。同じ顔をしている、というのもその原因のひとつかもしれない。
「……仕事? 俺を待ち伏せるのが仕事なのか。随分と暇になったものだな」
「そんなわけないだろ」
俺は溜息混じりに返す。今日はキムラスカとマルクト両国合同の取り決めについての話し合いの為、ケテルブルクの知事に、つまりはネフリーさんに会いにきた。というのも、そもそもは明日グランコクマに向かう予定で、その前に確認しておきたいことがあったからだ。
そのことを説明すれば、目の前の人物は納得したように頷く。本気で俺のことを暇な奴だとは思ってなかったみたいで、ほっとした。久しぶりに会ってそれは何か嫌だしな。
「バチカルから誰か来るとは聞いてはいたが。そうか、お前だったのか」
多分彼もネフリーさんから聞いたんだろう。ローレライ教団がセフィロトの調査に向かっていることはここへ来てすぐに耳にしていたものの、その中によく知った人物が含まれているのを知ったのは、主な話し合いが終わったあとだった。
そして「もうすぐ戻ってくる筈よ」というネフリーさんの言葉に、俺は知事邸を飛び出した。……まあ実際にはのんびり歩いてきたし、思ってたよりずっと時間もあったけど。
「うん。――久しぶりだな、アッシュ」
改めて再会の言葉を口にすると、ようやく彼も口元を緩める。途端に込み上げてきた感情に、俺は一歩踏み出していた。靴の下で雪がギュッと音を立てる。
アッシュがバチカルを出ていくつもりだと知ったのは、共に暮らし始めて四ヶ月になろうという頃だった。急な話にひどく驚いたのを覚えている。やっぱりレプリカの俺がいるから、バチカルで暮らすのが嫌なんじゃないか。最初はそう思って、不安で仕方がなかった。
だけどそれは違った。「お前のことなんてとっくに見慣れたし見飽きた」とアッシュ自身がそれを否定したのだ。今考えてもひでぇ言い方だと思う。でもそれが彼なりの優しさだと、あの時の俺だって知っていた。
バチカルじゃない場所で、バチカルでは出来ない生き方がある。アッシュはそれを見つけた。ただ、それだけの話だった。誰かに押しつけられたわけじゃない、自らが決めた生き方。俺が、今もバチカルで暮らしているのと同じ理由。
それからひと月経ったあと、アッシュは十年と少しを過ごした屋敷から出ていった。顔を合わせたのは、その時が最後だ。
大分落ち着いてきたとはいえ、キムラスカでもマルクトでも、そしてケセドニアやダアトでも、やるべきことは多い。お互い忙しい日々を送っていた。だからといって、時間がまったくなかったわけでもない。単に会うタイミングがなかった、と言った方が正しいと思う。以前俺がダアトを訪れた時には、アッシュはどこか遠くに行ってしまっていたし。
そういえば、便利連絡網ことあの回線が使われることも一度もなかった。今でも繋がるのか分からないけど、少なくとも俺はもう必要ないんじゃないかと思っている。母上も便りがないのは元気な証拠だと言っていたし、噂なら時々聞いていたからそれで十分だった。
それでも近くにいるのを知ったら、つい会いたくなっちまうのも当然だと思う。だから少しでも顔が見たくて、ここでアッシュを待っていた。
同じ筈の顔をじっと見つめる。そして変わってないと思っていたそれが、そうじゃなかったことに気付く。
「何ていうかお前さ、……大人っぽくなった?」
「俺はもう成人済みだ」
いや、そりゃそうだけどよ……。まっすぐ見返してくる翡翠の双眼に、苦笑を漏らした。そんな返答されても困るだけだろう。
「そうじゃなくて、なんつーか凛々しくなったっていうか、そうだなあ……アッシュお前、かっこ良くなったよ」
うまく言い表せないけど、そうだ。かっこいい。顔が、とかそういうのじゃなくて全体的に。うん、雰囲気がと言った方が近いかもしれない。
アッシュは少し面食らったように目を見開いていたけど、すぐに何だそれはと呆れたように目を細めた。一緒に暮らしていた時によく見た表情だった。ああ何だ、そういうところは変わってないのか。
頬が緩んでいくのが自分でも分かってしまう。その顔を指差しながら、俺は訊ねる。
「なあ。俺は? 俺は変わったかな?」
「…………」
まじまじと注がれる視線に、反射的に背筋をぴんと伸ばす。自分ではあの頃から変わったのかどうか、よく分からない。
考え込むように腕を組んだアッシュが、おもむろに口を開く。
「……歳のわりには、大人っぽくなったんじゃねぇか」
「何だよ、それ」
何とも失礼な物言いに、思わず笑ってしまう。この場合の歳のわりにというのは、間違いなく実年齢の方だ。ようするに、まだまだ子供だと言いたいんだろう。
口の端を吊り上げていたずらっぽく笑うアッシュは、それこそ歳のわりには幼く見える。そう指摘してからしまったと思ったけど、意外なことに彼は「確かにそうかもな」と笑った。
それがおかしかったからか、それとも嬉しかったからなのかは、自分でも分からない。とにかく俺もまた笑っていた。
相変わらず雪は降り続けて辺りは白いままなのに、笑ったからなのか、少しだけあたたかくなったような気がした。
話したいことはたくさんある。聞きたいことも、同じくらい。
それでも俺達は戻らなければならなかった。俺は明日までに書類をまとめておかないといけないし、アッシュの方もやるべきことがまだ残っているらしい。俺は再び知事邸へ、アッシュは取ってあるホテルへとそれぞれ向かうことにした。
白い地面をサクサクと進んでいく。横目で隣を歩くアッシュを見る。分かれ道に出るまでは一緒だ。正面に目を戻すと道の脇に雪だるまを発見した。夕方ここを通った時にはなかった気がする。それほど大きくなく目立つわけでもないのに、不思議と目が吸い寄せられる。
「器用だな」
同じようにぽつんと佇む雪だるまに注目しているアッシュに、頷いて同意を示す。その雪だるまは、困ったように眉を下げながら笑っていた。照れて笑っているようにも見える。
目や口の素材は多分紙だ。木や石ころで作ったのが敗因だったのかと、自作の雪だるまを思い出しているうちに、うっかり吹き出しそうになる。今思えば、俺の雪だるまは不器用ながらも懸命に笑おうとしているように見える気がしたのだ。
ちらりと振り返ってみるも、その小さな姿はない。さすがにここからじゃあ見えないか。早々に探すのを諦めて、ぼんやりと白い地面を見下ろす。そこらじゅうに散らばる足跡。その中でもくっきりと刻まれているのは、俺とアッシュのものだ。
「おい、何一人でにやけてんだ。置いていくぞ」
ハッと顔を上げれば、少し先に訝しげな表情のアッシュの姿があった。何でもないと答えながら、足早に近寄る。ここまで続いているのと同じように、二人分の足跡が並ぶ。
追いついた俺に、アッシュは白い息を吐き出しながら言った。
「相変わらず変な奴だな、お前は」
「相変わらず酷い奴だよ、お前は」
くだらないことを言い合っていると、あっという間だった。困ったように笑う雪だるまを通り過ぎ、遠くに見えていた筈の分かれ道が今や目の前だ。
久しぶりに会ったってのに、もうお別れか。そう考えると少し寂しくなるなと思ったのも束の間。じゃあなと一言だけ告げてさっさと左手にある道を進み始めたアッシュを、呆然と見送る羽目となった。何て奴だ!
でもまあ、二度と会えないわけじゃない。遠ざかっていく背中に大きめの声で呼びかける。
「たまには顔見せろよなっ! 母上達が会いたがってるぞ」
すると振り返ったアッシュが、にやりと笑うのが見えた。返答は大体想像がついていたものの、しんしんと降り続ける雪越しに黙って見守る。
「そうだな。お前がいない時にでも会いにいくか」
「……お前なあ」
声じゃなくて、雪でも投げつけてやればよかった。予想どおりの言葉にやれやれと肩を竦めてから、左手を軽く振る。それに微笑んだアッシュは、再び前を向いて歩き出した。
今度はもう振り返らない。雪を踏む音が小さくなっていく。
さて、そろそろ俺も行くか。アッシュの後ろ姿が見えなくなると、右手にある道を見据えた。
――まずネフリーさんにお礼を言って、それから……。
今夜中にするべきことを頭の中で整理しながら、しっかりと雪を踏みしめる。足取りは軽かった。
(by sakae)
END
(10-12-25初出)
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