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 気のせいだ。最初のうちはそう思い込む為にも、俺は必死に仕事を続けた。だけど数分もすれば、自分を誤魔化し続けるのも限界になってしまった。――ああ駄目だ。
 書類の上を走らせていたペンを、ついに止めてしまう。さっきから頭痛が治まる気配がない。思わず舌打ちしてペンを手放すと、代わりに頭を押さえる。完全に集中力が途切れてしまった。
 どうにか気を紛らわせやしないかと、窓に目を向ける。そこからは、真っ青な空が見えた。いい天気だ。今日は朝からよく晴れている。
 こんな天気のいい日にデスクワークなんてさせるから、頭も痛くなるんだよ。自分でもよく分からない八つ当たりの言葉が浮かんで、でも仕事なんだから仕方がないだろうとすぐに思い直した。虚しくなって、がっくりと肩を落とす。
 何やってんだ、屑――。今ここにアッシュがいたなら、きっとそう言っただろう。想像すれば、余計に頭が痛くなったような気がする。二年前、旅の途中に起きた頭痛の原因の大半が、あいつだった。
 屑、劣化レプリカ――勝手に回線が開かれると、鈍い痛みと共にそんな冷たい言葉が頭の中に響いたものだ。いろんな意味で痛かったなと少し悲しくなる反面、懐かしくも感じる。今はもうあの頃のように、回線を通じてアッシュの声を聞くことはなかった。
「……ッ」
 ズキリ、と痛む頭を再び押さえる。……何か悪化してねーか?
 諦めて大きく息を吐き出してから、俺はもう一度ペンを手に取った。さっさと片づけてしまって、それからゆっくり休もう。そう思うのに一度途切れてしまった集中力は、なかなか戻ってこない。書類一枚に目を通すだけでも途中何度も気が散って、時間が掛かってしまう。
 駄目だ駄目だ! やる気なんてあっという間に消え失せ、俺は机に突っ伏していた。その拍子に書類がいくつか宙を舞ったけど、あとで拾えばいい。とりあえずは目を閉じて、見なかったことにしてしまう。
 相変わらず頭は痛いままだ。なのに、俺が望む声はいつまで経っても聞こえてこない。
 俺達の同調フォンスロットは閉じられた状態になっていると、ジェイドが言っていたのを思い出す。互いの音素が流れ込むこともないから、そのままにしておいた方がいいとか何とかで、閉じたままにしてある。俺にはよく分からなかったけど、あいつが言うならそうなんだろう。
 だから被験者であるアッシュの方からも、回線を繋ぐことは出来なくなってしまった。音譜帯へと消えたもう一方の同位体からも、あの日以来通信は途絶えたままだ。
 頭痛を伴うあの呼びかけは、おそらく二度と聞こえてこない。そう理解しているつもりなのに、頭痛を感じるたびに期待してしまう。今だって、そうだ。旅の途中、頭痛がするたびに身を強張らせていたのが嘘みたいだと、自分でも思う。あの頃は、今度は何を言われるのだろうかと、不安で不安で堪らなかった。怖くて仕方がなかったのだ。
 でも、今は違う。今でもアッシュは屑とかひでぇことは言ってくるけど、前みたいに冷たく感じない。何よりも、俺があいつと話せることが嬉しくなっている。回線が繋がるなら、あいつが話しかけてくれるんなら、頭痛なんて我慢するのに。今だからそう思う。
 普通は回線とかないから当たり前の状態になっただけなのに、何か物足りない。正直に言えば、少し寂しかった。
 頭に手を遣る。いつの間にか痛みは随分と和らいでいた。やっぱり何も聞こえてこない――筈だったのに、「おい」とか「屑」とか聞こえる気がしたのは何でだ?
 驚いてバッと顔を上げれば、今度はかちゃりと音がしてドアが開かれたのが分かった。そうか、部屋の外から呼ばれてたのか。
「……何やってんだ、屑」
 慌てて顔を上げたのが悪かったみたいだ。ひらひらと落ちていく数枚の書類を見て、部屋に入ってきたばかりのそいつが呆れたように呟く。
 ……本当に何やってんだか。見事に想像どおりのセリフを吐いてくれたアッシュに、俺は引き攣った笑みを返すしかなかった。
 重い腰を上げて、散らばっている書類を掻き集めていく。あーあ、終わってたのも手付かずだったのもごちゃまぜ状態だ。こんな状況じゃあ、また頭痛が悪化しちまいそうだ。
「ふん。居眠りとは余裕だな」
 足元の書類を拾い上げながら、アッシュが言う。俺がノックや呼びかけに応じなかったから、眠ってたって思われてしまったみたいだ。まあ、ほとんど捗らなかったことに変わりないから、別にそれでも構わねーんだけど。
「頭が痛くって。お前が何かしたんじゃねーの」
 書類を受け取りながら返した言葉に、アッシュは不機嫌そうに眉を寄せる。冗談なんだから怒らなくてもいいのに。ある意味すごい律義な奴だよなあ。
「何でも人のせいにするな。大体、全然繋がりやしねぇし」
「……へ?」
 つまらなそうに呟くアッシュを、ぽかんと見つめた。今の言い方って、もしかして。合わさった視線がすぐに逸らされたから、きっと俺の勘違いじゃない。
 アッシュも回線が繋がらないか、試したことがあるんだろう。俺がこいつからの呼びかけを待ってたみたいに、多分、何回も何回も。まあアッシュのことだから、いちいち顔を合わせて話すのが面倒だからとか、どうせそんな理由からなんだろうけど、それでも何か嬉しい。
「おい、ボサッとするな。さっさと片づけろ!」
「あ、うん。……って、そういえばお前、俺に何か用があるんじゃないのか?」
 書類をまとめて机に置くと、俺の喜びなんてちっとも分かってなさそうなアッシュに向き直った。俺ならともかく、こいつが仕事中に訪ねてくるのは珍しいことだ。うっかり用件を忘れていたのか、一瞬ハッとした顔になったアッシュは、何故か俺を睨みつけてくる。
「一緒にメシを食おうだの何だのほざいてたのは一体どこのどいつだ! 時間を過ぎても来ねぇから、わざわざ俺が来てやったんだろうが!」
「……あ」
 やべぇすっかり忘れてた。ちらっと時計を見てみれば、約束してた時間はとっくに過ぎてしまっている。これはアッシュが怒っちまうのも無理はない。繋がる筈のない回線なんて、悠長に待ってる場合じゃなかった。すぐに謝ったけど、アッシュはまだまだ不機嫌そうだ。
「どう考えても悪いのは俺だよな、本当にごめん! 遅くなっちまったけど今からメシにしようぜ、な?」
「うるせぇ! 頭痛がするならするで静かにしてろ!」
 だったら怒鳴らないでくれよ、と言い返したいのをのところで呑み込んで、代わりにもう大丈夫だからと告げる。実際、少し違和感がある程度になっていた。それが回線が途切れた時の感覚に似ていることに気付いて、少し笑う。懐かしいな、でも――。
「なあアッシュ。……回線が繋がってた時より今の方がずっと喋ってるよな、俺達!」
「あぁ?」
 一体何だと言いたげに顔をしかめながらも、アッシュは大きく頷く。
「嫌でも顔を合わせるんだ。そんなの当然のことだろう」
「嫌でもって、お前なぁ……」
 もうちょっとマシな言い方はないのかよ。だけど、そのとおりだ。
 回線さえ繋がれば、お互いに遠く離れた場所にいたって会話は出来るけど、今は二人共一緒に暮らしてるんだ。顔を合わして話すことが出来る。だから本当は、もう回線なんて必要なかった。いや、たとえ離れてたって同じことだ。寂しい気持ちも確かにあるけど、それはガイやティア達もそうだし。
 遠く離れていたとしても、前よりずっと近くにアッシュがいるような気がする。そう思えるようになったからこそ、寂しいとも感じるようになっちまったんだろうけど。
「いてっ!」
 矛盾した思考につい苦笑いを浮かべていると、頭を殴られた。さっきまでとは違う痛みに頭をさすると、アッシュはいい気味だと言わんばかりに口の端を吊り上げる。性格わりぃ!
「さっきからにやついてて気持ちわりぃんだよ、馬鹿。とっとと行くぞ」
「殴ることねーだろ!」
 抗議の声すら無視して先に行くアッシュの背を目で追いながら、俺は溜息をひとつこぼした。もちろんそこまで力が入ってたわけじゃないから、今度の頭痛はすぐに治まる。ついでにさっきまであった筈の違和感も、消えてしまっていた。
 やれやれと手を下ろした瞬間、さっさと外に出てしまったアッシュの声だけが室内に飛び込んでくる。
「おい! 何グズグズしてんだ、早くしろ!」
「すぐ行くって!」
 ――この分なら、少しくらい離れていたって声は届きそうだ。そう思って吹き出しそうになりながらも、急いで部屋を出た。
(by sakae)


END
(09-12-07初出)

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