消えない温もり

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
 一週間ぶりにバチカルに帰ってきたアッシュが眉根を寄せたのは、自室のドアを開いた瞬間だった。そんな彼を出迎える、お帰り~という呑気な声。
 後ろ手でドアを閉めたアッシュはつかつかとベッドまで歩み寄ると、そこで寝転がってくつろいでいるルークを見下ろした。
「勝手に人の部屋に入ってきてんじゃねぇよ。邪魔だ」
「邪魔はひでぇな。……まあいいや。これやるから機嫌直せって」
 苦笑いを浮かべながらも、のんびりと体を起こしたルークがずいっと掲げるように差し出してきたのは、小ぶりの白いバスケット。持ち手の部分には、ピンク色のかわいらしいリボンまでついている。
「……何だ、それは」
 アッシュは訝しげな視線をバスケットと、その向こうにある顔へと向ける。バスケットの中身はやたらとカラフルだ。
「お菓子。クッキーとか飴とか」
 ルークはバスケットをベッドに置くと、小さな赤い包みをひとつ指で摘んでみせた。その形状からして飴玉だろうか。
 それにしても。アッシュは再びバスケットいっぱいのお菓子に目を遣って、小首を傾げる。
「……お前が用意したのか?」
「まさか! アニスだよ。アニスに貰ったんだ」
 返答と同時に手渡された飴玉を見たアッシュが、次の疑問を口にする暇もなくルークは喋り続ける。
「こっちに遊びに来てたんだ、フローリアンと一緒にさ。今朝帰ってったところだから、お前とは入れ違いになっちまったな」
 そういうことかと、アッシュは納得して頷く。ダアトを忙しく駆け回っているであろう少女の名前が出てきたのは少々意外だったが、休みでも取ったのかはたまた任務のついでか、かつての冒険の仲間であるルークやナタリアの顔を見に、バチカルまでやってきていたらしい。つまり、このバスケットは手土産というわけだ。
「それは分かったが、何でてめぇがここにいる。サボりか」
 言いながらアッシュは窓の方を見た。そこから差し込む光の色で、日が沈み始めているのが分かる。それでも戻ってきたばかりの自分はともかく、まだ仕事をしているような時間帯だ。じとりとルークを睨みつければ、彼は面白くなさそうに口を尖らせる。
「今日の分はちゃんと終わらせてきたぜ! ただ、お前が帰ってくるのを待ってただけだよ。……あ、ひょっとして屋敷の外で出迎えてほしかったとか?」
「馬鹿か」
 いたずらっぽく笑う片割れの頭を小突いてから、アッシュもベッドに腰を下ろした。本当に何か用件があるわけではないらしく、ルークはバスケットの中に手を伸ばしている。
 わざわざ菓子を食いに人の部屋まで来たのか、こいつは。渡された飴玉を手のひらで転がしながら、アッシュは深々と息をつく。別にルークの行動に呆れたから、というわけでもなかった。体が重い。思っていたよりも疲れが出ているようだった。
「アッシュ」
 呼びかけに顔を向けると、ルークは飴玉の包み紙を剥がしているところだった。黄色い包み紙から出てきたのは、赤い飴玉。それを手に取って、ルークは言う。
「あーん」
 ……は? 口ではなく目を見開いたアッシュに、差し出される飴玉。
「疲れた時には甘いものがいいって聞いたんだ! だから、ほら」
 嫌がらせでも悪ふざけでもないのは、目を見れば分かる。気を使ってくれているのも分かる。分かるのだが……。
 戸惑うアッシュに、さらに近づけられる飴玉。もう一度促されて、渋々口を開いた。
 甘い香り。イチゴの飴だと気付いた時には、すでに口の中に転がり込んでいた。甘ったるい。けれど、不快ではなかった。
 一応礼を言うべきなのだろうか。そう迷うアッシュだったが、口の中に物が入っている状態で喋るのは、あまり行儀がいいとは言えない。なのでひとまずは、無言のまま飴玉を味わうことにする。
「うまいだろ?」
 アッシュが小さく頷くと、ルークは満足そうに微笑んだ。釣られて少し表情を緩めたアッシュに、手が伸びてくる。
「この一週間、俺も頑張ってたんだぜ? だから、俺にもくれよ」
 抱きついてきたルークが、右手をそっと握ってくる。そこにあるのは、先ほど彼から貰ったばかりの赤い紙で包まれた飴玉だ。
「……」
 肩に顔を乗せてきたルークを呆れたように見下ろしてから、アッシュは包みを剥がし始めた。まったく、しょうがねぇ奴だ。
 包み紙から出てきたのは、黄色い飴玉。少しだけ酸っぱそうな匂いからして、おそらくレモン味だ。ひょいと摘み上げたそれを、ルークの口に放り込む。
「んまい」
 うまいと言ったのか、それとも甘いと言いたかったのか。飴玉を舐めながら発したルークの言葉は、聞き取りづらい。
 というか喋るな。いや、それより動きにくいからさっさと離れろ、と次から次へと目で訴えるアッシュだったが、ルークはといえば抱きしめてくる腕の力を緩めることなく、にこにこと笑顔を返してくるだけだ。
 ――屑。本当にしょうがねぇ奴。
 アッシュは諦めて、顔を背ける。本当はまだやらなければならないことも残っていたのだが、少しくらいなら構わないだろうと、ルークにもたれ掛かった。カラン、と耳に入ってきたのは、飴玉を転がす音。
 そうだ、この飴玉が溶けきってしまうまで。それまでの間だけなら。じんわりと、口の中に広がるイチゴ味。そして背中の温もりが案外心地好くて、アッシュは静かに目を閉じた。
「お疲れ様」
 しばらくして、聞こえてきた囁き。
 ゆるりと目を開くと、窓から差し込む光が随分と弱くなっていることに気付き、アッシュは参ったなと苦笑を漏らした。口の中の飴玉は、とっくになくなってしまっている。それでも背中の温もりは、もうしばらく消えそうになかった。
(by sakae)


END
(09-11-03初出)

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