世界はまわる

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
 心地好いまどろみの中、少しずつ意識がはっきりとしてくる。それでもまだ閉じている筈のまぶたの裏が、ぼんやり明るい。ああ朝だ、早く起きないと――。そう思って開きかけたまぶたは、結局閉じてしまった。もう少しだけ、このまどろみに浸っていたかったから。
「おい、屑! いい加減に起きろっ!」
 聞き慣れた怒鳴り声が頭上に降ってくる。もうちょっとだけ、と頭まで被った布団が瞬時に剥ぎ取られた。
「……おはよう、アッシュ」
 いつもならまだ抵抗を続けていただろうけど、今日は大人しく起きることにした。よく眠れたのか、気分がすっきりしていたからだ。
「何がおはよう、だ! 今何時だと思っていやがる」
 対して、目の前の彼は不機嫌そうな顔をしている。まあ、いつものことではあるけれど。
「何時って……うわっ、やっべ!」
 ベッドサイドに置いてある時計を見れば、短針はもうほとんど十に近かった。まずい、そろそろ部屋を空けておかないと。
 慌てて体を起こしていると、アッシュがふんと鼻を鳴らした。
「今日ここを発つと言い出したのは、お前だろうが。さっさと仕度を済ませろ」
「それはそうだけどよー。お前も、もうちょい早く起こしてくれたっていいだろ? 何もこんなギリギリになって……」
「甘ったれるな、屑!」
 口を動かしながらも寝巻のボタンを外していく。
 えっと、着替え、着替えはっと……。きょろきょろと辺りを見回していると、自分の荷物を整理していたアッシュが呆れたように溜息をついた。
「着替えならそこにあるだろうが。お前はまだ寝てやがるのか」
「あ」
 すぐ目の前をアッシュが横切る。その時初めて、それに気が付いた。
「何だ」
 俺の視線に、不思議そうにアッシュが振り返る。ちょうど俺の着替えを手に取ったところだった。
「あのさ。実はお前も起きたの、ついさっきだったりする?」
「なっ、お前と一緒にするな! 俺ならちゃんと……!」
 俺の発言に、アッシュは思いきり顔をしかめる。そう。確かにいつもの彼なら、〝ちゃんと〟している筈だった。
「寝癖ついたまんまだぜ? そこ」
「!!」
 正面からだと分かりにくいけど、後ろの髪がぴょんと跳ねている。それを指差すと、アッシュはバッと髪を押さえた。やっぱり気付いていなかったらしい。
「そこじゃねぇって。――ほら、ここ」
 アッシュの腕を取って引き寄せると、彼の真っ赤な髪に手を伸ばした。
 多分アッシュが目を覚ましたのは俺より少し早かった程度で、慌てて身だしなみを整えたんだと思う。だから寝癖も見落としてしまったんだろう。だっていつもなら、こんなことない。
 悔しそうに寝癖を押さえる彼に、つい吹き出してしまう。
「へへっ、今日は朝から珍しいもんが見れたなあ」
「うるせぇ! てめぇはとっとと着替えろ!!」
 顔面に着替えを叩きつけられた。いくら何でもあんまりだ。だけどこんな扱いにも、すっかり慣れてしまった気がする。
 それもまあ仕方ないのかもしれない。こいつと二人で旅を始めて、もう二ヶ月になる。

 旅に出たい。
 そう思い始めたのは、バチカルに帰ってようやく生活が落ち着いた頃だった。
 アッシュと二人揃って帰還したその日は俺達の成人の儀が執り行われた日で、驚いたことにローレライを解放してから二年の月日が流れていた。
 俺が知らないうちに過ぎていった時間。その中で、世界はどう変わったのだろうか。ある日、そんなことを考えた。
 世界中に溢れ出したレプリカ達、停止したプラネットストーム、それから、預言から外れた未来――。二年前、世界に繰り出されたたくさんの課題。
 それに対して人々が、世界が、どんな答えを示そうとしているのか、それを知りたくなった。そしてそれは、自分の目で確かめたい。
 意を決して打ち明けてみると、意外にも母上達は反対しなかった。少し寂しそうに笑いながらも、俺の意見を尊重してくれたのだ。ナタリアも伯父上も賛同してくれて、たまには顔を見せにくるようにと、それだけは強く言って送り出してくれた。
 あの旅の始まりと違って、穏やかな旅立ちとなった。
 だけど予想外なことも、ひとつ。アッシュが同行することになったのだ。彼も俺と同じように旅立つつもりだったらしく、それなら一緒に行動してくれた方が安心だという母上とナタリアの意向によるものだった。
 正直な話、すごく困った。だって俺は、アッシュのことが苦手だったから。

「おい屑、ボサッとするな」
 少し前を歩いていたアッシュが振り向く。
 屋敷にいた頃は距離を置いていた彼との関係は、旅に出てから少し変わった。というより、何だかアッシュが変わった気がする。
「お前のせいで遅くなったんだ。とっとと歩け!」
 相変わらず口は悪いし態度もデカイけど、以前のような刺々しさはない……ような気がするのだ。
 それとも、単に俺が慣れちまっただけだろうか? どちらにしても、そう悪いことじゃないと思っている。
「何だよ、今日はお前だって寝坊しただろ? お相子様だっつの」
「てめぇはほとんど毎日時間どおりに起きねえだろうが!」
 すっかり高い位置にある太陽が、眩しい。宿を出て、適当な店で朝メシ兼昼メシを食って必要な物を買い揃えた頃には、完全に昼になっていた。
「まあいいだろう? どうせ予定なんて、ないようなものなんだしさ」
 この旅に明確な目的はない。ただいろんな街を、人々を、世界を見て回りたいだけだ。
 もちろん、困っている人がいれば助けたり魔物と戦うことだってあるけど、以前の旅に比べればかなりのんびりとしたものだった。
「ふん! ……で、今度はどこに向かうつもりなんだ」
「んー、そうだなあ」
 唸りながらゆっくり辺りを見回した。十日間滞在していたこの街は、とてもいい場所だったと思う。
 その数があまり多くないという理由もあったんだろうけど、この街はレプリカ達が〝人〟として受け入れられていた。……悲しいけれど、そうじゃない場所もあることは俺も知っている。預言に縋ろうとする人々も見かけなかった。
 ふと、行き交う人々の中で一人の背の高い男が目に留まる。陽の光が照らしている短めの金髪が眩しい。
「……よし! グランコクマに行こう!」
 親友の姿を連想し、まだグランコクマにある彼の屋敷に行っていないことを思い出したのだ。俺がバチカルへ戻ってからは会ってなかったし、行ってみるのも悪くないだろう。ガイなら、きっと喜んで出迎えてくれるに違いないしな。
「グランコクマ、か……」
「何だよ、嫌なのか?」
 眉根を寄せたままアッシュが俯く。もしかして、ガイと会うのが気まずいとかだろうか。何だかんだで、仲良くなれそうだと思うんだけどなあ。
 でもいきなりだと、やっぱ心の準備が出来ないもんな。行き先を変えた方がいいかなと考えていると、先にアッシュが口を開いた。
「わざわざあそこへ行く気が知れねぇな」
「へ?」
 溜息混じりの声に首を傾げる。え、まさかそんなにガイに会いたくないのか?
 俺が目をぱちくりさせている間に、アッシュは続けた。
「あそこはあの死霊使いの根城だぞ? 適当な理由をつけられて、あれこれ扱き使われるお前の姿が目に浮かぶな」
「そ、そんなことはねぇ……って言えないよな、うん」
 あの、いや~な笑いが脳裏に過ぎる。しかもよく考えりゃあ、ジェイド以上に厄介な皇帝陛下もいるじゃねーか!
 いや、もちろん本気で嫌なやつらだなんて思ってない。思ってないけど、非常時でなければ人のことをからかって面白がったりするのは事実だ。アッシュの言うとおり振り回されてる自分の姿がいとも簡単に想像出来て、痛くなってきた頭を押さえる。
「……今回はやめとく」
「そうしろ」
 いつかは訪れるつもりでいるけれど、どうも気が進まなくなった。とりあえず今回は、ここから近くにある村を目指すことでアッシュと合意した。
 ガイとの再会の日は遠くなりそうだ。あいつ、あっちでも大変なんだろうな……。
「決まりだな。――行くぞ」
 そうと決まれば、いつまでもだらだらと立ち話しているわけにもいかない。俺達は再び街を出ようと歩き始めた。
 やわらかい風が吹き抜けていく。先々進むアッシュの長い髪が、さらりとなびいた。
 風に流れる真紅の中で、逆らうようにうねっている箇所に目がいく。大分マシになったとはいえ、寝癖がついたままだった。
 短い時間の中、真剣に寝癖と格闘するアッシュの姿を思い出してしまった俺は、思わず声を上げて笑っていた。何事かと周囲の人達の視線が集まる。同時に、アッシュの足がぴたりと止まった。
「……てめぇ、何がおかしい」
 何が、と言いつつアッシュはしっかりと察しているらしい。射抜くような視線が飛んでくる。でもその顔は、赤くなってしまっているからあんまり怖くない。
「いや、ごめんって! けど、何かっ」
 ムキになる彼がガキっぽくて、また笑う。
 以前の旅ではそんな表情ほとんど見せてくれなかったから、おかしくて。――いや、嬉しくて。
 この二ヶ月、今まで見たことのなかったアッシュの表情を見る機会が多くなっていた。それはきっと、喜ばしいことなんだろう。少なくとも、俺にとってはそうだ。
「……うん。やっぱお前って、案外面白いやつだよな!」
「なっ! ――この、屑がッ!!」
 のどかな街に似つかわしくない怒声が響き渡る。力いっぱい殴られた頭が痛い。いくらなんでもあんまりだ。慣れたからといって、痛くないわけじゃないし、まったく腹が立たないわけでもないのだ。
 それでもこいつと一緒に旅をするのは悪くない。いつの間にか、そんなふうに思うようになっていた。
(by sakae)


END
(08-10-10初出)

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