おくりもの

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 やるんじゃなかった――と、思わず後悔したくなるほど鬱陶しい反応に、アッシュの堪忍袋の緒は呆気なく切れてしまった。だがへらへらした顔とは裏腹に、体にまわされた腕の力は強く、簡単には解けない。
 手段を選んでいる余裕など、ある筈がなかった。腕を解くのを諦めると、早々に最終手段に出ることにした。
「調子に乗るなっ! この屑ッ!」
「ッぶ!」
 罵声を浴びせると同時に、至近距離にある間抜け面に頭突きを食らわした。最終手段と呼ぶには些か大袈裟だったが、効果は絶大である(自分の頭も痛くなるのは難点だが)。ルークは悲鳴にならない声を上げて、額を押さえながらうずくまった。
「……っに、すんだよっ!」
「自業自得だ、ボケが」
 アッシュがそう吐き捨てると、彼は涙目のまま心外だと言わんばかりに眉を吊り上げる。
「何だよ! しょうがねーだろっ! すっげー嬉しかったんだから!」
「……だからそれは、ノワール達がしつこかったからだと……」
 ばつが悪くなって言い淀むアッシュに、ルークは頭突きの衝撃から死守した包みを見せつけるように高く持ち上げた。落ち着いた青色の包み。
 その中身をアッシュは知っている。チョコレートだ。
 そしてそれは、間違いなくアッシュ自身の手で、ルークに渡した物である。

「あんたも、たまには坊やに優しくしてやればいいのにねぇ」
「何の話だ」
 唐突な言葉にアッシュが顔をしかめたのは昨日のこと。鋭い視線の先にいるのは、漆黒の翼のノワールだ。突然バチカルまで押しかけてきたかと思えば図々しくもソファでくつろぎ、さらには欲求してきた紅茶を啜ってからの第一声がそれである。さっぱり訳が分からない。
 彼女同様、優雅にティータイムを堪能していたヨークとウルシーが頷き合っているのを横目に、アッシュはノワールを睨むように見つめ続ける。しかし彼女はそれを気にも留めず、ゆったりとした動作でカップをソーサーに戻すと、頬に手を添えてを振った。
「あんたとルークの坊やの話に決まってるじゃないか。口を開けば屑だの馬鹿だの……何てかわいそうな坊やなんだろう…!」
「ああ、気の毒だ」
「哀れゲスよ」
 三人の芝居がかったセリフに、アッシュはうんざりと長い息を漏らした。決して長いとは言えない付き合いではあるものの、こういう時の彼女達は必ずと言っていいほど何かを企んでいる。それも、大抵アッシュにとっていいことではないものばかり。
 そもそも、ルークのことをそんなにひどく言った覚えもない。今日のところは、ではあるが。
「……今度は一体何を企んでやがる」
 出来れば聞きたくなかったが、彼女達のことだ。気が済むまで居座り続けるつもりに違いない。それも困る。だからさっさと話を終わらせてしまおうと、アッシュは率直に訊ねた。
「おやん、企んでるだなんて随分な言い方じゃないか! あたしらは坊や達のことを思ってだねぇ」
「御託はいいから、さっさと答えろ」
「相変わらずせっかちな坊やだよ。……まあいいさ。ヨーク!」
 楽しげにアッシュを見遣ったあと、ノワールは連れの一人の名を呼ぶ。へい、とやる気があるのかないのか分かりにくい返事をしたヨークが、ごそごそと何やら包みを取り出した。自然とその様子を目で追っていたアッシュは首を傾げる。しっかりとラッピングされたそれは、贈り物のようにしか見えない。
 自身の髪とよく似た色のその包みを受け取ったノワールが、微笑みかけてくる。
「明日は何の日か知ってるかい?」
「……」
 知らないわけではなかったが、何となく答えづらい。黙り込むアッシュに代わって、明るい声が部屋中に響く。
「旦那、知らないゲスか? 明日はバレンタインでゲスよ! チョコを貰える日!」
「ウルシー、あんたには情緒ってもんがないのかい! ……バレンタインってのはねぇ」
 ノワールの視線が、まっすぐアッシュに向けられる。その目は緩んでいる口元とは違って、真剣そのものだ。
「自分の心を相手に伝える日なんだよ」
 僅かな音を立ててテーブルに置かれた包みに、アッシュは視線を落とした。この流れから察するに、中に入っているのはチョコレートだろう。
「あんたも、たまには素直な気持ちをぶつけてみなよ」
「……俺には」
 関係のない話だ。そう続けようとしたが、結局口を噤んでしまう。ノワールだけではない。他の二人の眼差しまでもが、まるで大人が子供を見守るかのような、優しいものになっていることに気付いたからだ。
 さっきまで三人揃って、イタズラ好きな子供のような目をしていたくせに。何だか居心地が悪くなって、アッシュは俯く。
「……俺は女じゃねぇ」
 言った直後、どっと溢れる笑い声。カチンときてつい顔を上げれば、やはりノワール達は面白そうに笑っている。
「あっははは! そんなの知ってるよ、ボ・ウ・ヤ」
「だ、だったら分かるだろうが! 俺があいつにやるもんなんてねぇんだよ!」
 ムキになる様子がおかしいのか、ノワールはさらに大きく肩を揺らした。気に食わない。
「けど旦那」
 不機嫌を丸出しに、ちっと舌打ちしたアッシュに声を掛けてきたのはヨークだ。彼はすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干すと、口元を拭って改めて喋り始める。
「ナム孤島じゃあ、男も女も関係なく贈り物をしてるぜ」
「そうそう。子供達だって、友達同士でお菓子のやりとりをしてるゲスよ。旦那は深く考えすぎゲス」
「そんなことは……」
 すぐさま反論しようとしたアッシュだったが、うまく言葉が出てこない。確かにチョコのひとつやふたつレプリカにくれてやっても、どうということはない筈だ。
 そこまで考えて、はたと思い直す。
 ヨーク達はああ言ったもののキムラスカでバレンタインといえば、やはり女性が大切な男性に、大切な意味を込めてチョコレートを贈る日なのだ。自分がルークに贈るのは、不自然ではないか。そもそも、何故あいつにチョコをやらなければならないというのか……。
 珍しくうだうだと考え込むアッシュだったが、あることに気が付く。
「……そうだ。大体俺は、チョコなんか用意してないぞ」
 元々渡すつもりなんてなかったから、当然だ。用意していない物は渡しようもなかった。
 それにもし今から用意するとなれば、きっと大した物は用意出来ないだろう。それでは駄目だ。そうに決まっている。
 だから、どのみち渡せない。そう告げるアッシュに、何故かノワールは勝ち誇ったかのような余裕のある笑みを浮かべる。
「あらん? まさかこのノワール様に、抜かりがあるとでも思ってるんじゃあないだろうねぇ?」
 彼女がパチンと指を鳴らせば、再びヨークが何かを取り出す。それを見たアッシュは、一瞬言葉を失った。
「…………ふざけてんのか」
「失礼だねぇ本気だよ。さすがにかわいすぎると恥ずかしがるだろうと思って、ラッピングにも気を使ってやったし、中身もちゃあんとあの坊やが好きそうなのにしておいたし――ああ、こっちはあたしらからアッシュにだよ!」
 ずいっと目の前に置かれたふたつの包みに、アッシュの口から出たのは盛大な溜息だった。自分にと渡されたのは、さっきからテーブルに載っていたピンクの方。もうひとつの落ち着いた青の包みは、どうやらルークの分らしい。それもアッシュの手から渡す、というのがノワール達のお望みのようだ。
 わざわざ用意されていたチョコレートに、呆れるやら逆に感心してしまうやらでぼんやりとしていたアッシュの頭が、背後からポンと軽く叩かれる。振り返ると、いつの間に移動したのか、ソファ越しに三人組が立っていた。
「それじゃあ、ルークの坊やにもよろしく言っといてくれ」
 わしゃわしゃと髪を撫でるノワールの手を、アッシュは乱暴に払いのける。
「ふざけんなっ! てめえらが渡せばいいだろうが!」
「あらん。怖いねぇ」
 と言いつつ、くすくすと笑い合うノワール達に怒る気も消え失せて、アッシュは頭を抱える。どうもこの三人組――特にノワールは、苦手なのだ。
「……お前らが用意した物を俺が渡したところで、何の意味もねぇだろうが」
 半ば投げやりに言い放った言葉に、ノワールはとんでもないと首を左右に振り、後ろで控えていた二人は声を上げた。
「そんなこたぁねえ。旦那はさっきの話を聞いてなかったんですかい? 一番重要なのは、チョコじゃあねえさ」
「そう。明日は気持ちをぶつけるゲスよ。重要なのは旦那の心ゲス」
「…………」
 じとりと睨めつけると、ノワールは笑顔になって再び頭を撫でてくる。
「大丈夫。あの坊やになら、ちゃんと伝わるさ」
 嵐のようにやってきて、好き勝手していった彼女達とのやりとりなんか、なかったことにしてしまえばいい。アッシュはそう考えた。自分はルークにチョコを贈りたいだなんて、一言も言っていないのだ。
 だけど結局はその翌日、ルークにチョコレートを手渡していた。突き返し損ねてしまったからには、仕方がない。そう思ったからだ。
 アッシュが押しつけた包みを見下ろしたまま、ルークは呆然と立ち尽くしていた。驚くのも無理はない。まさか被験者からバレンタインチョコを渡されるとは、きっと夢にも思わなかっただろう。
「言っておくがノワール達からだ。俺が用意した物じゃねえぞ」
 きっちり説明したにもかかわらず、次の瞬間、ルークに抱きつかれてしまった。
「アッシュ! ありがとなっ」
 至近距離で笑顔を向けてくる彼の熱が伝わってきたせいか、アッシュは顔が熱くなるのを感じた。
「ふん、おめでたい野郎だな!」
 それだけ吐き捨てると、アッシュは目を閉じた。思いのほか心地好くて、たまにはこういうのも悪くないと思ってしまったのだ。おめでたいのは一体どっちだと、心の中で自嘲する。
「……そろそろ離れろ」
 しばらく経っても手を離さないルークに、小さく告げた。結構な時間抱きつかれているような気がするし、いい加減に彼も満足しただろう。けれど彼は、首を横に振った。
「もう少しだけ……な、いいだろ?」
「ちっ、仕方ねぇな」
 もう少しだけなら待ってやらんこともない、とアッシュも強くは言わなかった。ここまではまあ良かったのだ。表情にこそ出さなかったが、アッシュも上機嫌だった。だが――。
「おい、いい加減どけ」
 元より気の長い性格ではない。一向に離れる気配のないルークに段々とイライラが募り、自然と語尾も強まる。
「……やだ。もう少し」
 そしてこの一言にブチ切れて、ルークに頭突きを食らわしたのだった。

「素直に喜ぶのが、そんなにいけねーのかよ?」
 チョコレートが入った包みを片手で抱くようにして、ルークが言う。まだ痛むらしい額をもう一方の手で押さえる姿は、何とも間抜けである。
「くどいんだよ、お前は! 礼ならあいつらに言え!」
 先ほどはしどろもどろになってしまったアッシュだったが、すぐに調子を取り戻し、はっきりと言い放つ。
 ――これ以上こいつといると、調子が狂いそうだ。くるりと体を反転させると、一直線にドアまで向かう。ノブに手を掛けたのと同時に、背中に声が掛かった。
「アッシュ! ……俺、ちゃんと受け取ったからな」
 ドアが閉まりきる直前に盗み見た自分と同じ色の瞳が、昨日の真剣なノワール達と似ていたような気がして、アッシュは思わず息を呑む。
 ギャップの激しい奴らめ!
 バタンと大きな音を立てて閉まったドアを睨みながら、心の中で悪態をつく。すると、昨日のノワールの言葉が脳裏に過ぎる。
 ――大丈夫。あの坊やになら、ちゃんと伝わるよ。
 続いて浮かんだのは、今さっき見たばかりのルークの顔。受け取った、と彼が言ったのはチョコレートのことだったのか、それとも。
 アッシュは慌てて、ぶんぶんと首を振った。――馬鹿か、俺は!
 しかし頬が緩むのが自分でも分かってしまい、ノワール達の言葉を認めざるを得なかった。
(by sakae)


END
(08-02-14初出)

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