ワインはおあずけ

 すっかり陽が暮れたテルムの街を、疲れた顔で歩いていたのはロベルトだった。
「ったく、奴ら一体どこに消えちまったんだか。あ〜、いい加減疲れたぜ……」
 疲労からか、口から出てくるのも文句や弱音が増えてきた。今日はここまでにしよう。視界に酒場が飛び込んできたのは、ちょうどそんなことを考えていたタイミングだった。そうと決まれば、ロベルトの足取りは軽くなる。体力には自信があったものの、さすがに連日の移動続きで疲れきっていて、昨日は一杯飲む元気すら残っていなかったのだ。今日も朝から真面目に情報収集をしていたし、少しだけ。人が多いそこなら、エッグの情報だって手に入るかもしれないし……と、心の中でひたすら言い訳を繰り返しているのは、気が強い仲間の女性が頭に浮かんでしまったからだ。だがそれも、酒場の扉を開いた途端に消えていく。
 サウスマウンドトップの戦いのあと行方をくらました偽ギュスターヴ一行らしき者達の噂を聞いたのは、彼らの情報を求めてロベルト達がヴェスティアに移動してすぐのこと。そして昨日ようやく彼らが向かったとされるテルムにたどり着いたまでは良かったが、噂の一行の正体はごく普通の行商人達だった。偶然にも護衛の一人が卵型に近い形状のツールを持っているのを目撃された為に、勘違いしてしまったわけである。何とも紛らわしい。
 酒場に踏み込んだロベルトは、ざっと店内を見回した。怪しげな一行、もしくは、とびきりの美女でもいないだろうか。すると、よく知った顔を見つけた。見えるのは背中側だから正確には顔は確認していないが、いくら世界広しといえどもあんな奇抜な髪型をしているのは、ロベルトの相棒くらいなものだろう。
 こいつが俺より先にやってるなんて、珍しいな。さっそく近づこうと浮かした足を、ロベルトはすぐに下ろした。カウンターの隅に座るグスタフの様子が、何だか普段と違って見えたのだ。彼は見知らぬ者が多くいる場所では特に刺々しいアニマを放つような警戒心の強い男ではあったが、ここ最近はそれも少しずつ変わってきている。しかし今はどこか緊張しているような、張り詰めたアニマを感じた。気になって少し様子を伺ってみるが、グスタフはじっとしているだけでグラスを傾ける気配もない。
 よほどうまい酒に巡り会えて放心でもしているのか、はたまたその逆か。いくら考えてみてもが明かず、諦めたロベルトはカウンターに向かうことにした。
「よお、お疲れさん!」
「――ああ、ロベルトか」
 大抵声を掛けるより先に気付かれていることの方が多いのに、今日はそんな素振りも見せない。ちらっと視線を寄越してきた相棒の隣にどかりと腰を下ろすと、ロベルトは間髪入れずにビールを注文した。テルムといえば麦。最初の一杯はこれだと決めていた。酒棚を眺めてみれば、さすがはメルシュマンの中心地。種類も豊富のようで、二杯目はどれを飲もうかと早くも悩んでしまう。
「その様子だと空振りか」
「そりゃお互い様だ……って、それワインか? 珍しいもん飲んでんな〜」
 思いがけず、ロベルトはグスタフの目前のボトルを勢いよく指差していた。彼がワインを飲むなんて、これまた珍しい。大分前、一時的に組んでいた仲間達との酒盛りで一緒に飲んだ記憶がうっすらと残っているものの、特段好きそうには見えなかった。とはいえ北大陸ではそもそもワインの流通量自体が少なく、単に飲む機会がなかっただけなのかもしれない。
 けれど。ロベルトはボトルの隣に置かれた空っぽのワイングラスに視線を落とす。どことなく気品のある相棒には、気取ったように見えるそれすら似合ってしまうのだ。実際にはどことなくどころかまだテルムが王都と呼ばれていた頃、この地を統治していた一族の末裔であると知ったのは、記憶に新しい。ロベルトはさらに目を動かした。
 鞘から出せばその髪型と同じくらいに目立つ二振りの大剣は、カウンターに立てかけられている。最近譲り受けた鉄製の剣は、あの鋼の十三世が自ら鍛え上げ、愛用していた物らしい。それも驚いたが、出会った時にはすでに彼の手にあったクヴェルの剣の方は、フィニー王家を継ぐ者の証だという。エッグの手がかりを探す為、あれこれ話を聞いて回っているうちに長年王が不在なことを嘆く住民とも出くわしたが、まさか王位継承権を持つ者が今テルムに滞在しているだなんて、誰一人として信じないに違いない。まさに灯台もと暗しというやつだろう。
「ロベルト?」
 呼びかけに視線を持ち上げたロベルトは、訝しげな顔をしている相棒に笑いかけた。
「おいおい、そんな顔したいのは俺の方だって! まさか、お前さんが進んで酒をボトルで買っちまってるとはな〜。それもワインときたもんだ。一体、どんな美酒なんだ、よ……」
 横からボトルを覗き込んだ格好のまま、ロベルトは固まる。銘柄を確認したところでワインなんてほとんど知らないから、どうせ分かりっこない。そう考えていたのに、ラベルにられた文字に釘付けとなった。
「おまっ、それ、めちゃくちゃ高いやつじゃ」
「ヤーデ・ロイヤルの中では手頃に楽しめるものだよ」
 有名なヤーデのワインの中でも特に名が知れたそれに思わず仰け反るロベルトに、笑って応えたのはマスターだ。目の前に置かれたジョッキにビールが並々と注がれるのをロベルトはただただ呆けて見つめていたが、マスターは続ける。
「先の戦でヤーデ伯が活躍なさったおかげですごく人気があってね。またたくさん仕入れておかないとなぁ!」
 ご機嫌なマスターを見送ると、ロベルトはグスタフに視線を戻した。
「何だ、お手頃なのもあったのか。てっきり高級ワインしかないのかと思ってたぜ!」
「……まあ、それなりに値は張ったが」
「へえ、いくらしたんだ……え、それって一本分の値段??」
 小さく呟かれた金額に、戻りかけていたロベルトの笑みが凍りつく。一気に半分ほどビールを飲んで、どうにか落ち着きを取り戻した。元高貴な身分とはいえ、グスタフだって今はただの冒険者だ。いくらロベルトより財布の紐が固くとも、易々と買えるような代物ではないだろうに。
 横目で見遣れば、彼は難しい顔でボトルを見下ろしている。もしかすると、ずっとこの調子でにらめっこしていたのかもしれない。
「んで? 肝心のお味の方はどうなんだよ」
「さあ。実は飲んだことはないんだ」
「飲んだこともないのにボトル買いしたのかよ……」
 ボトルに視線を落としたまま、グスタフが苦笑する。それがどこか寂しげに見えるのは、きっとロベルトの気のせいではない。
「昔、デーヴィドが飲んでいたのを思い出してな」
 グスタフの口から飛び出したのは、現ヤーデ伯の名だ。
「えっと……確か、兄弟ではないんだよな?」
「ああ従兄弟だ。一緒に育ったから兄弟同然ではあるが」
 ロベルト達の会話が耳に入ったのか、近くで酒を飲んでいた壮年の男がちらりとこちらを振り向いたものの、「またか」という様子で一笑してから顔を戻した。あの戦いのあと時の人となったヤーデ伯の身内や友人を自称する者は、この酒場の中だけでも何人もいることだろう。酔っ払いどもの言葉なんて、誰も本気にしない。だからこそ、ロベルト達もわざわざ声を潜める必要がないのだ。
「結局成人を前に出てきてしまったし、思うところがあってヤーデの物はなるべく避けていたんだが……」
「連合軍の勝利を祝って、ってところか」
 ロベルトの言葉にグスタフは小さく頷く。おそらく家を出た罪悪感から故郷に関する物を避けていたであろう彼が、今になって積極的に手に取ることが出来たのは、自らあの戦場に飛び込んだからなのだろう。そう察しながらも、気付けばロベルトの眉間にはしわが寄っていた。
「ロベルト。お前に何も話していなかったこと、怒っているか?」
 まっすぐこちらを向く双眼が僅かに不安そうなことに気付くと、あっという間にロベルトの硬い表情は崩れ去ってしまった。
「過去ってのはお宝を探すのに必要か? そんなもん、今更気にするかよ」
 確かに謎多き相棒の正体が大貴族であったことにロベルトは驚きはした。驚きはしたが、ただそれだけだ。
「大体過去をべらべら喋るなんて、イイ男がするもんじゃねーしな!」
「飲むたびにお前の昔話を聞いている気がするんだが、それはいいのか?」
 グスタフが吹き出す。ロベルトは酒が入るとあれこれ語ってしまいがちな自分のことには目を瞑り、飲みかけのビールを飲み干すとにやりと笑い返した。
「俺にも分けてくれよ、祝い酒」
「もちろん」
 さっそくマスターを呼び、グラスの追加とワインの開栓を頼んだ。小気味のいい開栓音に、ロベルトの胸が弾む。初めて飲む酒は冒険する時と同じようにわくわくしてしまう。それも今回は高級な酒だから尚更だ。
 マスターから手渡されたボトルを数秒見つめたあと、グスタフはグラスにワインを注ぎ始めた。長らく空っぽだった彼のグラスも、ようやく役目を果たす時が来たようだ。
「……そういえば、あいつは渋みと酸味が強いと言っていたな」
 ふたつのグラスにワインを注ぎ終えたグスタフが、ぽつりと言った。あいつというのはヤーデ伯のことだろうか。グラスを見下ろす緑の目は、もっと遠くを見ているようだった。
「まだ成人して間もない頃だったからか、ブドウジュースの方がよほどおいしそうに飲んでいたよ」
「はは、そういうのは庶民と変わらないんだな」
 成人したからといって、すぐさま大人の味覚になるわけがない。それなのに最初の一杯に選んでしまったアルコール度数の高い、やたらと苦かった酒のことを思い出し、ロベルトは苦笑する。今考えれば、背伸びをしたがる子供の行動そのものだった。
 グスタフがグラスを手に取る。やはり様になるなと思いながらロベルトも同じように持ち上げ、グラス同士を軽くぶつけ合った。香りを楽しむ為なのかグスタフは一度グラスを鼻先に近づけたが、すぐに手を下ろすと赤いワインをじっと見つめた。
「俺が成人したら酌み交わす約束をしていたんだが……結局、果たせなかったな」
 グラスの中に落ちる、寂しげな声。それが誰と交わされた約束なのかを理解したロベルトは、咄嗟にグラスを持つグスタフの腕を掴んでいた。
「ロベルト? 何を」
「――お前、さっき俺に怒ってるか聞いてたよな? そのとおり、俺は怒ってんだよ。それも、ものすごーくな!」
「しかし、お前は気にしていないと……」
 戸惑うグスタフに、ロベルトは続ける。
「ああ、お前の過去なんて気にしてねえぜ。……俺は、お前が無茶やったことに対して怒ってたんだ」
 覚えがないとは言わせない。睨みつけると、ハッとした顔になったグスタフが口を開いた。
「……確かに、無謀なことをしたとは思っている。だが」
「お前なりのけじめのつけ方だったんだろう? それは分かってる。けど仲間が、相棒が、死ぬかもしれねえのを見送らなきゃならなかった俺の気持ちも、ちょっとは考えてみろってんだ!」
 長らくサウスマウンドトップで睨み合っていた二軍がついに動き出したあの日、慎重派の彼がたった一人で戦場に向かったのだ。生半可な気持ちでなかったことは、充分承知している。だからあの時だってロベルトは、グスタフが必ず戻ってくると信じてひたすら待つしかなかった。本当に長い一日だったと思う。
「すまん」
 遅い時間にようやくロベルト達の元へ戻ってきた時のように、彼は短い言葉で謝ってきた。そういえば、あのあとすぐ偽ギュスターヴの捜索を始めたのもあって、久しくゆっくり話せていなかった気がする。
「お前なあ、他に言うことないのかよ……」
 ロベルトは深い溜息をつく。たった一言、それも前回とまったく同じ謝罪ではあったが、誠意がないとは思わない。その口から続く言葉は出てくる気配がないものの、グスタフは決してロベルトから目を逸らそうとはしなかった。腕を掴んでいる手だって動かそうともしない彼は、真面目なのか頑固なのか、どちらなのだろう。
 やがて込み上げてきたのは、怒りではなかった。ロベルトは声を上げて笑う。珍しく面食らっている様子の相棒の手からグラスを奪い取ると、ロベルトはその中身を一気に飲み干した。
「ははっ、俺は心が広いから特別に許してやるよ。ただし、それと引き換えにだ」
 グラスを置くなりロベルトが指差したボトルを、グスタフは複雑そうに見下ろす。高価とはいえ、ただの酒。だけど彼にとって意味のある一本だ。ためらいが生じるのも無理はない。
「このロベルト様の怒りを鎮めるには安いもんだろう?」
「……。そうだな」
 深々と頷いたグスタフは、ボトルをロベルトの前に置き直した。
「あ、しまった! 思わず勢いで一杯飲み干しちまったよ、勿体ねえ」
 せっかくの高い酒が〜と情けない声で続けるロベルトに、グスタフは首を傾げる。
「要求するほど口に合ったのか?」
 元々自分の分のグラスに口をつけながら、ロベルトは唸った。
「ん〜。……正直ビールのがうまいかな。なんつーか、高そうな味がして」
「そのまますぎるだろう」
 奪われた酒の何とも微妙な感想に、グスタフは呆れはしたが怒ってはいないようだった。相変わらず見た目の印象よりずっと穏やかだ。ちびちびワインを飲みながら、ロベルトは片手を上げる。
「マスター、もう一杯ビールよろしく! ――そうそう、許してやる条件がもうひとつあるんだが」
「後出しは良くない」
 仏頂面で首を振りながらも、しっかり耳を傾けているところが誠実なグスタフらしい。そんな彼に目を向け、ロベルトは条件を告げた。
「約束はちゃんと守ること、だ!」
「約束? 一体何の……」
 指先でボトルをつついてみせると、グスタフは息を呑んだ。
「あんな無茶出来るんだ。身内と仲良く酒を飲むなんて、簡単なことだろうが」
 マスターがビールを持ってくるのが見え、ロベルトは顔を正面に戻した。礼を言って受け取ったジョッキを、そのままグスタフの前に突き出す。
 わざわざ別の酒まで用意してやるなんて、我ながらイイ男だ。こんなところ美女達に見られでもしたら、モテモテになってしまうかもしれない。そんな想像に機嫌を良くしたロベルトは、少々強引にグスタフにジョッキを持たせると、残り少なくなっていたグラスの中身を継ぎ足した。
「向こうは本場なんだろ? お高いワインはそれまでお預けな!」
 ワインがたっぷり入ったグラスを手に体ごとグスタフに向き直れば、彼は納得したように頷く。
「そうか……だからワインを奪ったのか」
「おいおい、人聞きの悪い言い方すんなって!」
「俺は事実しか言っていない」
 言い合いながらも、お互い表情は穏やかだ。
「ま、今はとにかく楽しもうぜ。ほら仕切り直しだ!」
 グラスを掲げたロベルトがウインクを決めてみせると、大きく頷いたグスタフもジョッキを寄せてくる。軽やかな音が騒がしい店内に響いた。


END
(25-09-25初出)
元々は従兄弟が再会しない前提で一人ヤーデ・ロイヤルを飲むグスタフの話でしたが、ロベルトに背中を押される話になりました!

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