親愛なる君へ

「ええっと、八十CRのおかいもののあとに十三CRのパンをふたつかったから、のこったおかねは……」
 厳かな雰囲気の書斎に響くのは、たどたどしい声。
 デーヴィドが少し距離が空いている隣の席に目を向けると、背中を丸めて机とにらめっこしていた従弟は、しきりに首を捻っている。先ほどから聞こえてくる計算問題はデーヴィドからすれば簡単なものだったが、五歳になったばかりのギュスターヴにはまだ少し難しいらしい。ひとつ解いたと思ったら、またすぐに問題を口に出しては唸り声を上げている。家庭教師が課題を残して退室してから、ずっとこの調子だ。
「ギュスターヴ、もう少し静かにね。それと、机と顔が近すぎるよ」
「……ん」
 注意されたのが面白くないのか、ちらっと振り向いたギュスターヴは小さく頷いたものの、すぐに顔を逸らしてしまった。
 そんな従弟の態度に思わずデーヴィドもむっとなったが、控えめに首を振ると読みかけの本に視線を落とした。自分の方が年上なのだから我慢してやらなければ、と思い直したのだ。それに。
 部屋の片隅に控えている使用人達にこっそり目を向ける。公の場ではないとはいえ、貴族として立ち居振る舞いには常に気を付けておかないと。そう考えているからこそ、従弟の姿勢も気になって仕方がないのだが。再び隣を見遣れば、今度は顔のすぐ側まで紙を持ち上げている。だけどそれも、まだ幼いギュスターヴが熱心に勉学に励んでいる証なのかもしれない。
 そうして時々聞こえてくる問題も聞き流すことに決めたデーヴィドは、今度こそ本に集中した。家庭教師による勉強の時間が終わったあと、もう少し知識をつけようと今日の読書に選んだのは、簡易ながらもサンダイルの歴史がまとめられている貴重な本。大昔に栄えたという古代帝国については漠然とした記述も相まってなかなか頭に入ってこないが、段々馴染みのある人名や地名が増えてきて親近感が湧いてくる。しかし同時に記されている戦いの数も増し、デーヴィドはぎゅっとくちびるを引き結んだ。今も東大陸では大きな戦が続いている。その中心にいるのはヤーデ伯――祖父ケルヴィンだ。
 とんとん、と控えめなノック音に顔を上げると、応対した使用人が優しい面持ちでこちらを振り返った。
「お二人に、フィリップ様からお手紙ですよ」
「ちちうえから!?」
 ぱあっと笑顔になったギュスターヴがバタバタと使用人の元に駆け寄るが、今度はデーヴィドも注意する気になれなかった。従弟と自分の父が共にヤーデを離れて久しい。まだまだ幼いうえに母の顔を知らぬ従弟からすれば、尚のこと寂しかったに違いないのだ。
 封を切ってもらった手紙を立ったまま読もうとして席に促されている従弟を横目に、デーヴィドは閉じた歴史書を机の端に寄せてから受け取った手紙を広げた。『親愛なるデーヴィドへ』の書き出しから始まった手紙はひたすらこちらの身を案じ、まるですぐ側に叔父がいて励ましてくれているかのようなあたたかい言葉ばかりで、自然と頬が緩んでしまう。フィリップからの手紙を読むと、いつもこうだ。彼はまだギュスターヴが生まれる前から、時折ヤーデ家に送ってくる大事な書状などとは別に、デーヴィド個人に向けて手紙を書いてくれた。
『兄上も、お前のことをとても気に掛けていらっしゃったよ』
 終わりがけの一文にデーヴィドは苦笑いを浮かべる。文言こそ多少違うものの、兄弟揃っての遠征の際には必ずと言っていいほど書かれているくだりだった。それが叔父の優しさであると、デーヴィドはとっくに気付いている。父チャールズは強く頼もしい存在ではあるが、叔父や祖父のように分かりやすく優しい態度を示してくれるような人ではなかった。だからといって、デーヴィドは父を冷たいと思ったことはない。
 それでも少しだけ、従弟を羨ましく思う瞬間がある。今だって、とびきり幸せそうに顔を綻ばせていることだろう。そう思って隣に視線を向けたのに、予想に反して曇った横顔が目に入ったものだから、デーヴィドはひどく驚いた。
「どうしたの、ギュスターヴ?」
 温厚な叔父の性格からして、幼い息子の不安を煽るようなことが書かれてあったとは到底思えない。けれど声を掛けても大きな目で手紙を睨むように見つめている従弟の姿に、デーヴィドは急いで立ち上がった。使用人達も心配そうに顔を見合わせている。傍らに立って再度呼びかけると、やっと顔を上げたギュスターヴは自分宛ての手紙を勢いよく差し出してきた。
「デーヴィドがよんで」
「え、読んでって……もしかして、読み聞かせしてほしいってことかい?」
 思いもよらない要求に戸惑うデーヴィドだったが、大きく頷いた従弟がさらに手紙を押しつけてくるので、仕方なく読み上げ始めた。
「親愛なる我が息子ギュスターヴへ。元気にしているだろうか。私は今――」
 フィリップから手紙が来るようになってしばらくの間、デーヴィドもこんなふうに人に読み聞かせてもらったものだ。ギュスターヴも少し前までそうだった。だが彼がついに一人で手紙を読めるようになったと、わざわざ別室にいたデーヴィドに報告しにきたのは、二ヶ月ほど前のことだ。証拠にと、その場で手紙を音読までしてみせて。
 なのに、今日はまたどうして。そんな疑問は、手紙を読み進めていくうちに解消した。前に聞かされた内容より、言い回しが少し難しくなっている。読み上げている合間にも「それはどういう意味?」と質問が飛んでくるから、なかなか忙しい。そういえばデーヴィドも、近頃叔父からの手紙に回りくどい表現が増えた気がしていたのだ。ずっと前には、今読み上げているような簡単な言葉だけが使われていた筈だった。
「――それから、得意な剣術やアニマ学だけじゃなく、他のことも頑張りなさい。叔父上は最後にそう仰っているよ」
「うう」
 最後の最後にがっくりと肩を落とした従弟に手紙を返したデーヴィドは、一旦自分の席に戻って読みかけの歴史書を手に取ると、数ある本棚のひとつに向かった。もう少し歴史を頭に叩き込んでおきたい気持ちもあったが、今日はここまでだ。元の場所にそっと本をしまうと、従弟の方を振り返った。
「さて、さっそく叔父上にお返事を書こうか」
「うん!」
 デーヴィドの提案にギュスターヴは大喜びだ。この状況で従弟に勉強を再開させたところで集中出来ないのは目に見えているし、デーヴィド自身、少しでも早く叔父に自分達の成長を見てもらいたいという気持ちの方が勝ってしまっている。手紙を書くのに必要な筆記具の用意を使用人達に頼むと、デーヴィドは再び従弟の傍らに立った。
「ギュスターヴは、もう少し丁寧に書くようにした方がいいかな。手紙を書く時は特に」
「ええー。……せいかいなら、べつにへいきだよ!」
 課題の紙に従弟が書き込んだのはほとんど数字だけだったが、同じ数字でも大きさがバラバラで散らかった印象を受ける。かつての自分も同じように書いていたのかもしれないと思うと、デーヴィドはくすぐったい気持ちになった。
「平気じゃない。読む人に通じなかったら、意味がないだろう?」
「うーん、そうなのかな?」
「そうだよ。たとえばギュスターヴが楽しかったことを手紙に書いても、叔父上が読めなければ一体君がどうして楽しい気持ちになったのか、分かってもらえないよ?」
 それどころか、楽しかったという気持ちすら伝わらないかもしれないね。そう続ければ、ようやく真剣な面持ちになったギュスターヴがまっすぐ見上げてくる。
「それはいやだ! ……ぼく、ていねいにかくようにする」
「ああ。叔父上もきっとお喜びになるぞ」
 微笑みを浮かべたデーヴィドが自身のものより濃い金の髪を優しく撫でると、安心したように従弟も笑った。
 実際、そのあとギュスターヴが書いた手紙の字は今までよりずっと綺麗で、数ヶ月後久しぶりにヤーデに帰ってきたフィリップが心底嬉しそうな声で息子を褒めるのを、デーヴィドは自分のことのように嬉しく思いながら聞いていた。

 それから時が経ちヤーデ軍の拠点が東大陸に移っても、手紙のやりとりは続いた。
 フィリップからの手紙が途絶えたのは、デーヴィドが成人した二年後。忙しい政務の合間に書いた手紙の返事に代わってデーヴィドの元に届いたのは、悲しい知らせであった。

* * *

「先ほど旦那様にお手紙が届いたのですが……」
 言い淀むなんて珍しい。報告書を読んでいたデーヴィドは視線を持ち上げると、机の向こうに立っている執事に続きを促した。
「手紙を持参致しました行商人は、北大陸の方でグスタフと名乗る冒険者から預かったものだと申しておりましたが……お心当たりはおありでしょうか?」
 馴染みのない土地から届いたという手紙は、差出人の方にも覚えがない。眉をひそめた主人に、執事が「わたくしの方で確認致しましょうか」と進言する。不審な手紙に違いないと確証を得たようだった。
「いや……少し見せてくれ」
 少々悩みつつもデーヴィドはひとまず申し出を断り、恭しく差し出された手紙を受け取った。確かに思い当たる節はなかったが、身分を偽った誰かが送ってきた可能性もある。ハン・ノヴァ条約の締結からまだ一年も経っていない。デーヴィドの与り知らぬところで何かが起こっていても、何ら不思議ではないだろう。
 荒めの紙質のそれからは、少なくとも強い敵意は感じられない。先代当主の時には抗議の手紙が送られてくることが度々あったが、そういった類のものからは僅かながらも負のアニマを感じるものだ。
 書かれてある送付先にさらっと目を通し、間違いなく自分宛ての手紙であることを確認したデーヴィドは、ふと懐かしい気持ちになった。しかしその理由が分からないまま、手紙を裏返す。薄いに小さくGの一文字だけが刻まれている。この手紙を送ってきたという冒険者は、南大陸に縁のある者なのかもしれないとデーヴィドは考えた。グスタフというのはヤーデ領内だけでなく、ナ国連邦に属する国々で聞く名前だ。かの有名な鋼の十三世とりは同じであっても、南大陸ではグスタフと発音するのが通例である。
 そういえば従弟が小さい頃、自分の名を書きながら首を捻っていたことがあった。グスタフと読むのが普通なのに、どうしてみんなは僕をギュスターヴと呼ぶのだろう、と。
 ――まさか。デーヴィドは再び手紙をひっくり返すと、送付先を書いた字をまじまじと凝視した。手紙を持つ手が微かに震える。
「旦那様?」
 気遣わしげな声に顔を上げたデーヴィドは、安心させるように微笑んでみせた。
「やはりこれは知り合いからの手紙のようだ。すまないが、少し席を外してくれ」
「さようでございますか……」
 執事はまだ心配そうに眉を寄せてはいたが、室内にいた他の使用人達に目配せをして退室を促す。そして自らも最後に一礼すると、執務室をあとにした。
 一人きりになってしばらくして、ようやくデーヴィドは手紙の封を切った。期待のしすぎは良くない。そう自制しようとしても、胸の鼓動は速まるばかりだった。深呼吸をひとつしてから、手紙を開く。
 ――親愛なるデーヴィドへ。
 決して特別ではないその書き出しに、強ばっていたデーヴィドの表情は瞬く間に緩み、口からは震えた息が漏れ出る。端正だが力強さを感じるその筆跡は、やはりよく知ったものと酷似していた。ゆっくり丁寧に書くようになった彼の字は、その後めきめきと上達していったのだ。
「……本当に、上手になったね」
 綴られた文字を指先でそっとなぞりながら、デーヴィドは笑う。ずっと昔、待ち焦がれた手紙を読んだ時と同じように、その胸はあたたかいもので満たされていた。


END
(26-02-08初出)
まだ再会してない従兄弟達のお話でした!
ところでリユニで「グスタフはギュスターヴの南方読み」とあるんですが、でもそれならケルヴィン達はギュス様のことをグスタフと呼んでしまうのでは?となったので、「生まれの方の呼び方を尊重する世界観」という解釈をすることにしました!グスタフの生まれはヤーデでも、あくまで「ギュスターヴ」からとった名前なのでギュスターヴ呼び。
今更ながら海外版ってこの辺どうなってるんだろう、となってます。

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