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コーヒーというのは、なんて苦い飲み物なんだろう。マドレーヌはそんなふうに思っている。
というのも、いつもコーヒーの芳ばしい香りを漂わせている男が淹れたそれが、とても苦かったからだ。彼の研究所で出してもらったコーヒーは砂糖やミルクをたっぷり入れて飲んだにもかかわらず、苦く感じた。呆れたような顔をした彼の口から出てくる辛辣な言葉のせいかもしれない。
だからといって彼と共に過ごしたあの日々が、決して苦い記憶となっているわけではなかった。
今だって記憶に焼きついているそれと似た香りがするカフェを前に、口元を綻ばせたばかりだ。
マドレーヌは店内に入ると、五人ほど並んでいる列の最後尾に立つ。店員が席まで注文を取りにくるのではなく自ら注文を伝えにいく形式の店は、クッキー王国で初めて知った時には驚いたものの、慣れてしまえば悪いものでもない。並んでいる間にカウンターの真上にある大きなメニューボードを眺めながら、「今日はあれを飲んでみようか」なんて考えておくことも出来るし、近くのものと談笑することだって出来る。すぐ前に並んでいる男の肩を、ポンと叩いた。
「やあ! この店のおすすめを教えてくれないか」
クッキー王国にいた頃なら全メニューを制覇することも出来たが、旅をしている今、それは難しい。けれどもせっかく来たからにはおいしいものがいいと、いつも大体誰かにおすすめを尋ねては、それを頼んでいる。
長旅で少し薄汚れてしまってはいるものの、生まれ持ってのきらびやかさと屈託のない笑みを前にして、初対面のマドレーヌを警戒するものはそう多くない。今日も一番人気のハニーラテを片手に、窓際の席につくことが出来た。
名前のとおりハチミツの甘い匂いがするそれは、コーヒーとは思えないくらいに飲みやすい。なのにいざ飲み込んでしまえば、どうしてかほろ苦く感じる。結局、いつもこうだ。
クッキー王国で、ラテにカフェラテを淹れてもらった時でさえそうだった。まろやかな香りのそれをひとくち飲んで、しかしマドレーヌは首を捻る。
「あら、少し苦かったかしら?」
ラテが砂糖を足してくれても、苦さは消えない。
もしかしたら、コーヒーそのものが苦手なのかもしれない。元々マドレーヌは甘いものの方が好きだった。だが、嫌いというのとも違うような気がする。
――どうせ甘くして飲むんでしょう、あなたは。
そう言いながらも、コーヒーを出してくれる彼の顔が浮かんでしまったせいかもしれない。
――まったく……コーヒーの良さを微塵も分かっていないあなたが、どうしてコーヒーを淹れてほしいだなんて言うのか、さっぱり理解出来ませんよ。
肩を竦め、大きな溜息をひとつ。それでも研究所を訪ねれば、大抵はコーヒーを淹れてくれたエスプレッソ。苦さが混じる彼の声が、ひどく懐かしかった。
「久しぶりにキミが淹れてくれたコーヒーが飲みたいな……」
マドレーヌの口からこぼれ落ちた声は、切なさを孕んでいた。胸が苦しい。だから甘いものを飲んでも、苦く感じてしまうのだろうか。痛みを伴う苦味は、エスプレッソの淹れてくれたコーヒーにはなかった。
彼のコーヒーは、今まで飲んだ何よりも苦くて、それでいて、不思議と幸せな気持ちにしてくれる味なのだ。
やはりコーヒーは苦いな。甘いハニーラテを飲みながら、マドレーヌは呟く。
それでもこの旅が終わったその時には、あのとびきり苦いコーヒーを飲みに行くつもりだ。
(by sakae)
END
(23-01-24初出)
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