明るい海の底で

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
「アイツら元気にやってんのかなー?」
 賑やかな音楽に負けじと明るい声が、アンダーザシージュースバーの中に響きわたる。ついさっきまで新作のジュースについて語っていたというのに、突然話題が変わった。だがそれでも彼が言う「アイツら」の顔を、深海君主はすぐに思い浮かべることが出来た。半分ほど減ったグラスをテーブルに置き、隣に座る眩しい男に目を向ける。
「彼女達なら問題ないだろう」
「だよなー! こっちも順調にゴミが集まってきてるし、いつアイツらが遊びにきてもまた自慢出来るぜ!」
 楽しげに肩を揺らす電気ウナギだったが、その笑みに陰りが見えた気がして、つい深海君主はまじまじと見入ってしまった。電気ウナギがきょとんとした顔で首を傾げる。
「ん? どーした?」
「……それはこちらのセリフだ。何故君は寂しそうな顔をしているんだ?」
「へ?」
 彼は目をまんまるにして、たっぷり五秒は経ってから大きな声で笑い出した。
「はははっ! 何だ、オマエも冗談とか言うんだな!」
 冗談のつもりではない。深海君主がそう返そうとしたところで、店内に流れる音楽が切り替わった。
「お、スペシャルタイムだ! 踊ろうぜ!」
 テーブルが少ない店の中央にいそいそと向かう電気ウナギを見送りながら、深海君主は溜息をつく。詮索するつもりはなかったが、余計なことを聞いてしまったかもしれない。
「あいつなら、いつもああだ」
 ひっそり肩を落としていると、電気ウナギの向こう側の席で静かに飲んでいたちょうちんあんこうが話しかけてきた。彼は自分に顔を向けた深海君主を一瞥してから、流れる音楽とは合わないリズムで踊っている電気ウナギを見遣る。
「気の合うやつがワンダークラブを出ると、しょげちまう」
「しょげる? ……あの二人を笑顔で送り出していた筈だが」
 シュガーティアからやってきた二人組との最後のやりとりを思い返しながら、深海君主は小首を傾げる。ワンダークラブは来るものを拒まないが、同時に必要以上干渉しないし、出ていくのも自由だ。そのことを含めて、電気ウナギはここをいたく気に入っているように見えたのだが。思わず視線を向けた先にいる眩しい男は、やはりずれた踊りを続けている。
「なあに、そんな特別なことじゃねえ。単にダチが引っ越して会えなくなっちまうのを、寂しがってるようなもんさ」
「おい、さっきから全部聞こえてっからな? オレはそんなガキじゃねーって!」
 勢いよく振り向いた電気ウナギが少しむくれているのは、遠目にも分かった。
「ったく。俺からすりゃあお前なんか、まだまだおこちゃまだ!」
 言いながら席を離れたちょうちんあんこうまで踊り始めたものだから、深海君主もおもむろに腰を上げる。スペシャルタイムにいつまでも座ったままでは、電気ウナギを始めとする常連客達が黙っていない。チョコレートヒラメ社長の今日の選曲は、これまた随分とアップテンポで陽気なものだ。深海君主が軽やかなステップを踏み始めると、電気ウナギが納得したように笑顔になる。まだ彼やちょうちんあんこう達ほど乗り気にはなれないものの、確かに音楽に合わせて体を動かしていると気が晴れるので、深海君主もこのバー特有のイベントが嫌いではなかった。自分でも意外に思うが、傍から見れば尚更だろう。元同胞の女性の驚いた顔は、記憶に新しい。
 大きく体を動かしている電気ウナギが近くにやってきたのを見て、深海君主はふと浮かんだ疑問を口にする。
「私がここからいなくなっても、君はしょげるのだろうか」
 音楽はまだ止まっていないのに、電気ウナギはぴたりと固まった。その後ろで、ちょうちんあんこうがくつくつと笑っている。
「そりゃあもう、とびっきりしょげるだろうな! 何せコイツはお前にベッタリだからなあ」
「な、何言って…! つーか、そもそもイカスミフードはオレがいないとダメだろ! ……オマエ、また出ていこうとか考えたりしてねえよな?」
 がしりと肩を掴んできた電気ウナギを、深海君主はぽかんと見つめ返した。いつ暴走してもおかしくない自分を受け入れてくれたワンダークラブを、好きこのんで離れたい理由なんてある筈がない。ただ、もしも自分がこの地を去るようなことがあれば、電気ウナギは先ほどのように少し寂しそうに笑うのだろうかと、気になってしまっただけなのだ。思いがけない反応に、面食らう。
「いや、私は――」
「イカスミフードだって、いつかは力を制御出来るようになるかもしれねえ。そうすりゃあ、この広い海を旅したくなるかもしれねえだろう? 確かにここは海でもっとも自由な場所だが、ワンダークラブだけが世界のすべてじゃねえさ」
 ちょうちんあんこうが喋り終えるのと同時に、スペシャルタイムが終了する。すっと席に戻ろうとした彼は、通りすがりに電気ウナギの背中をぽんと叩いた。この力が制御出来るようになった時――夢物語のような未来を想像しているうちに、深海君主の肩にあった手が滑り落ちていく。
「あー、うん。……そーだな」
 珍しくボソボソと言葉をこぼした電気ウナギも、元の席についた。深海君主も彼らに続いて席に戻ると、飲みかけのジュースに口をつける。氷が溶けて少し水っぽくなってしまってはいるが、それでもマスター特製のジュースは格別だ。体を動かしたせいか渇いていた喉を、ゆっくり潤していく。
 グラスの中身を空にした直後だった。同じように空っぽのグラスをテーブルに置いた電気ウナギが、こちらに目を向けてくる。その表情は、いつものように明るい。
「もしオマエがいつかどっか行きたい場所が出来たら、その時はちゃんと言えよー? このオレがしっかり見送ってやるからさ!」
 それから彼はふっと息を漏らし、僅かに目を伏せた。
「……確かにちょっと寂しくなっちまうだろうけど、それでもオマエが楽しい時間を過ごせるなら、それが一番だもんな! けど、ここにいる間も最高に楽しくやろうぜ! だから」
「電気ウナギ」
 呼びかければ口を噤み、顔を上げた彼の目を、深海君主はまっすぐ見つめ返す。
「私には友人と呼べるほど親しい間柄のものはいなかったから、君の気持ちは理解しきれていないかもしれないが……」
 電気ウナギは目をぱちぱちと瞬かせるだけで、相づちすら打たなかった。普段なら一言告げれば三倍は返ってくるのに珍しいことだな、と思いながら深海君主は続ける。
「いつかこのワンダークラブを離れると、君達に会えなくなるのだと想像しただけで、私はひどく寂しくなってしまった。……ふふ、私もまだまだガキなのかもしれないな」
 この深い海の底に、こんなにもあたたかな場所があるだなんて、長い間知らなかったのだ。
 電気ウナギの向こうで驚いたような顔をしていたちょうちんあんこうが、口の端を吊り上げたのが分かった。深海君主はそっと手を伸ばし、トゲトゲした髪に触れる。
「私はどこにも行かない。君が望む限り、君の側にいよう。――だから、しょげないでくれ」
 頭を撫でてやれば、弾かれたように電気ウナギが立ち上がった。
「――ッ?! か、勘弁してくれよ! 二人して人のことガキ扱いして……!」
「ハッハッハ!! 良かったじゃねえか!」
「良くねーよ! いや、そりゃあ嬉しーけどさ!!」
 赤い顔で声を荒らげているのに、確かに電気ウナギはどこか嬉しそうだ。そんな彼の様子を、深海君主は目を細めて眺める。この賑やかな都市で過ごす時間は、何よりも大切で幸せで。特に目の前で騒いでいるその男の隣は、妙に居心地がいいのだ。
 目が合った途端、電気ウナギはうっと声を詰まらせ、大人しく席につく。
「あー、何だよ。……そんなふうに笑われたら、これ以上文句も言えねえじゃねーか」
 多少気が緩んでいる自覚はあったものの、そこまで締まりのない顔をしているのだろうか。急に恥ずかしくなってきて、深海君主は口元を手で覆い隠す。ドタドタと、幼い仲間が近づいてきたのはそんな時だ。
「ダ…これ! マスターから…! ダダ!!」
「おお、さすがは我らがアンダーザシージュースバーのマスター! 太っ腹だぜ! おいお前ら、今日はとことん飲み交わそうじゃねえか!」
「よっしゃー!! イカスミフード、オマエも最後まで付き合えよなー?」
「……頭が痛くなりそうだ」
 やれやれと肩を竦めながらも、深海君主は笑った。
 今日もアンダーザシージュースバーは、夜遅くまで賑やかな音楽と笑い声が絶えないことだろう。
(by sakae)


END
(23-10-01初出)
ファニヤミ2の無配でした!

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