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厄介なことになってしまった。焚き火の向こう側にいる男をそっと見遣りながら、ウェアウルフは内心頭を抱える。目の前にいる男は世界中を震撼させている、あの暗黒魔女の仲間。つまりウェアウルフが暮らすクッキー王国の敵であった。こんなことになるなら大人しく仲間と共に村に泊まれば良かったと、今更ながらに後悔している。しかし強者揃いのクッキー王国ならともかく、ここは辺境の地。もし自分の力が暴走してしまったらと考えると、のどかな村で夜を過ごすなんてとてもじゃないが出来なかったのだ。夜は特に血が騒いでしまうから。
こんな森の奥で、敵とばったり出くわしてしまうだなんて――悩みがそれだけならまだ良かった。土地勘がないとはいえ、長年人気の少ない場所を転々としてきたウェアウルフにとっては、村や町の中より森の方がよっぽど動きやすい。何より、ここなら誤って誰かを傷つけてしまうこともないから、いざとなれば全力で戦える。
問題は自分が敵として認識している目前の男が、自分を敵だと気付いていないことだった。どうするべきか。ウェアウルフの口からは大きな溜息が漏れ出る。
「どうした、溜息なんかついて。腹でも減ったか? 食料を分けてやりたいのは山々だが、オレが持ってるのはほとんどコイツらの分でな」
コイツらと言いながら、男は自分の膝の上で眠っているわんケーキを見下ろした。小さな体を撫でるその手つきは、戦場で大きなケーキナイフを振り回していたとは思えないほどに優しい。
「……いや。腹は減っていない」
短い言葉を返しつつ、ウェアウルフはまた溜息をついてしまう。もしこの男と一緒のところを仲間達に見られれば、誤解されてしまうかもしれない。そう思ってはいても、重い腰はなかなか持ち上がりそうになかった。
「何だ、随分辛気くさいな。花見をしてた時はもっと楽しそうだったってのに」
「オレは元々こうなんだ。あの時は……その、桜が綺麗だったから、つい」
成り行きで一緒に花見をしたあの時は、ウェアウルフもまさか目の前の男が敵陣営に所属しているだなんて、思いもしなかった。国中が一丸となって暗黒魔女達と戦っているとはいえ、ウェアウルフは大抵クッキー王国の守りについていたから、敵の顔をほとんど知らなかったのだ。
けれど戦場で顔を合わせてしまったのは、つい先日のこと。この森の近くで仲間と共に村を目指しているうちに、ケーキモンスターの集団と戦闘になった。無事に切り抜けたかと思ったら、すぐさまやってきた敵の増援部隊。そしてその中心にいた男こそ、以前満開の桜の下で出会ったうちの一人、ベルベットケーキだった。
――よお。久しぶりに見る顔だな。
だから少し前、そう言って近づいてきた彼をウェアウルフは警戒した。しかし戦場ではオオカミの姿になっていたからか、自分が戦った相手だと気付いていないようなのだ。火の前に誘ってくれた時と同じように、ごく普通に話しかけてくる。
「確かにこの森にはあんな綺麗な花はなさそうだ……オレやお前が食えそうな木の実なんかも、ほとんど見当たらなかったしな」
「それなら、向こうに村が……」
ウェアウルフはハッとして口を噤む。あそこには仲間がいるのに、もしベルベットケーキが向かえば再び戦闘になってしまうのでは。最悪の事態を想像して、すぐに訂正しなければと慌てて口を開こうとした。
「こんななりで行ってみろ、面倒なことにしかならねーよ」
ぶっきらぼうに告げたベルベットケーキは、わんケーキを撫でる手とは逆の赤い大きな手で、自分の顔を指差した。片目は至って普通の青い瞳だったが、もう一方は夜の闇より暗いのにギラつく光を放っている。確かにこの風貌では、受け入れられないものも少なくないだろう。だけど。
「オレは……いや、オレも、お前を怖いとは思わない……!」
まっすぐ前を向き、ウェアウルフは言い放った。クッキー王国のもの達はウェアウルフのことを決して怖れない。そしてそれは、目の前の男も同じだ。
「急に何だ」
突然の告白にベルベットケーキは面食らったようだった。しまった、とウェアウルフは肩を落とす。自分が嬉しく思ったことが相手も嬉しいとは限らない。そう、ウェアウルフはただただ嬉しかったのだ。自分を友達だと称してくれた男と再び話せたことが。だからたとえ気まずくとも、この場を立ち去ることが出来なかった。桜の下で飲み交わしたジュースの味が、今も忘れられない。忘れられる筈がなかった。
「フッ、変なヤツ。……だがまあ、嫌いじゃねーな」
「……っ」
向けられたその笑みは、わんケーキを見つめている時とよく似ていた。敵だと思っていないから、そんな表情を見せてくれるのだろう。友情の為にと乾杯してくれたのだって、きっと。騙したつもりはなかったが、ウェアウルフは罪悪感がどんどん膨らんでいくのが分かった。このまま敵同士であることを黙っていてもいいのだろうか。
いや、良くない――意を決したウェアウルフが伏せていた顔を上げた時だった。ベルベットケーキが不敵な笑みを浮かべた。
「オレも、オオカミなんてちっとも怖くなかったぞ」
「なっ…! お前、気付いて――!?」
思わず立ち上がり後ずさったウェアウルフに、ベルベットケーキは顔をしかめる。
「騒ぐなよ。アルフォンスが起きちまう」
「だが……!」
「今戦うつもりはない。ケーキモンスターにも休息が必要なんだ。オレ達と同じようにな」
身じろぐわんケーキに「まだ寝てていいぞ」と告げる声は、やはり優しかった。ウェアウルフは迷った挙句、再び火の側に座り込む。不意打ちする機会だって充分にあった筈なので、戦意がないのは本当のことだろう。今のところは、だが。
「一体いつから気付いてたんだ。さっきは久しぶりだと言っていたのに……」
「実際にお前のその顔を見るのは久しぶりだろう? 姿は変わっても、匂いは違わない。風上には立たない方がいいぞ、お前」
つまり正体を知ったうえで声を掛けてきたということだ。ウェアウルフは小さく唸る。
「ああ、でも敵にくしゃみをさせたいなら正解の立ち位置だろうな。おかげで、さっきからずっと鼻がムズムズしっぱなしだ」
「す、すまない……」
「敵に謝る必要なんてあるのか? やっぱり変なヤツだ」
はっきり敵だと告げられ、ウェアウルフは目を伏せる。長い時間共に過ごしたわけではないものの、目の前の男がそれほど悪人だとは思えなかった。戦わなくたって、いいんじゃないか。そう考えながらも、それは叶わぬ願いだと分かりきっていた。
「夜が明けたら、他の仲間達と合流して帰還する。お前らにこっぴどくやられたから、戦力を補強しないとな」
謝る必要はきっとない。こっちだって負傷した仲間がいるのだ。ウェアウルフは黙ったまま青と黒の瞳を見つめる。
「お前も一緒に来るか? 幹部連中はうるさいのばかりだが、お前に怯えるような小心者はいないぞ」
「……いや。オレはあいつらが傷つくのを見たくないんだ」
生まれ育った村を出てからは定住出来る場所なんてなかったのに、すっかりクッキー王国に居着いてしまっている。それほどまでにウェアウルフにとって、あの王国は大事な居場所となっていた。だから、たとえ友達の誘いであっても乗ることは出来ない。それはベルベットケーキの方も同じだろう。じっと見つめ返してくるその表情は、どこか満足げに見えた。
「それならオレ達の友情も、太陽が昇るまでってわけだ」
静かに頷き返しながらも、ウェアウルフはさっきより気分が晴れていることに気付いていた。たとえ道は違っても、まっすぐ自分の進むべき道を突き進もうとしている友の姿を、そして自分を、誇らしいと思ったからかもしれない。
けれど、それでも。ウェアウルフは空を仰ぐ。木々に囲まれ、小さく見える空はまだ暗い。今はただ、この夜が一秒でも長く続いてほしかった。
(by sakae)
END
(24-05-26初出)
「 文字書きさんの性癖シチュ四大癖書 」で募集して「共に朝を迎える/ベルウェア」で書かせて頂きました!
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