※同人誌「その手はいつか太陽を掴む」のこぼれ話になります。1ページ目は未読でも問題ありません。
※無断転載・AI学習を固く禁じます。
あの店は幽霊が切り盛りしているらしい――飲食店が並ぶ通りから少し外れた場所にある、日当たりの悪い食堂には、そんな噂があった。
それはまったくもってデタラメな作り話ではない。というのも、そこを管理しているのはブラックベリーで、彼女を手助けしているのがいわゆる幽霊だったからだ。食堂が開いて間もない頃こそ注文した料理を運んでくる幽霊を見たものが水をこぼしたり、席ごとひっくり返ったりと小さな騒ぎがあったものの、今となってはみんな慣れっこなもので、今日も店内はよく賑わっている。作っているのはブラックベリーなのか幽霊なのかは定かではないが、この店もまた他の店に引けを取らずおいしいものばかりであった。
昼時なのも相まって混み合っている店内をざっと見渡した紅イモは、空いている席を見つけて大股で突き進んでいく。空席を見つけたにしてはムッとしたままなのも仕方がない。向かった先の二人掛けテーブルに一人で座っていたのが、ミルクだったからだ。
この王国に来る前から付き合いのあるその青年は、一見穏やかで害がなさそうに見えるが、紅イモにとっては害だらけであった。むしろ害しかない。何せ隙あらば、いや、隙などなくとも延々とダークチョコの話ばかりを聞かされ続けていれば、たとえ怒りっぽい自分でなくとも苛立つに違いないと紅イモは常々思っている。もはや怒りを通り越して、うんざり、げんなりだが。
しかしせっかくここまで来ておいて、座れずに食べられないのはもっと癪だ。なので仕方なく、ミルクの向かいにどかりと腰を下ろした。断りなど必要ない。
「ああ、紅イモ! あなたも今からお昼ですか」
すでに食事を始めていた彼は顔を上げて紅イモの姿を認めるなり、人懐っこい笑みを向けてくる。おう、とぶっきらぼうに返したのに、何故か嬉しそうなのがどうにも気に入らない。気に入らないがいつものことなので、怒りをあらわにするほどのことでもなかった。
余計な話さえしなければ、こいつだって静かに食ってるだけだろう。そう考えて、無駄話はしないと紅イモは心に決めた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
すぐ近くからした女の声に飛び出しそうになった声を既のところで呑み込み、顔を横に向ける。音もなくすっと水を差し出してくるブラックベリーには、慣れていても驚いてしまうことが度々あった。注文を取りにくるのはいつも彼女なので、料理を作っているのはどうやら幽霊の方らしい。ふいに思い出したのは、そんな噂話だ。
「あ、ああ……じゃあいつものを頼む」
「かしこまりました」
ぺこりと頭を下げ、しずしずと去っていく後ろ姿を見送って、ようやく紅イモは一息つく。なかなかに疲れるが、それでもこの店の、特にいつも食べているアレは格別にうまいのだ。向かいにいる面倒な男からおすすめされて食べ始めたそれを、気に入ってしまったのは少々不服ではあるものの、ここに来るたびの勢いでもう何度も頼んでしまっている。
まあこいつだって似たようなもんだろう。そう思って水を飲みながら目を向けたミルクの前にある料理は、しかし紅イモが想定していたものではなかった。
「何だよ珍しいな、お前がアレを食わねえなんて!」
無駄話をしないと決め込んだことも忘れ、つい声を掛けてしまっていた。それほどミルクはアレが好きで、自分以上にそればかり食べていたからだ。
驚きを隠せないでいる紅イモを見返してきた彼は、何故か照れくさそうに笑う。その瞬間、どういうわけか嫌な予感がした。これは聞いてはいけなかったと、直感がそう言っている。思わず立ち上がりかけたのを見計らったかのように、再びブラックベリーがやってきた。
「お待たせしました」
まだほとんど待っていない。噂どおり作っているのは幽霊なのだろうか。
だけど目の前に置かれたそれは、やはり見るからにおいしそうだ。気付けば紅イモは深く座り直し、スプーンを握りしめていた。ケチャップが掛けられた焦げ目のないふんわりとした玉子にスプーンを差し込めば、中からは具がたくさん入ったオレンジ色のライスが顔を出す。立ちのぼってくるバターの匂いからして、すでにうまい。それをひとくち口に入れた瞬間、紅イモは普段一体何に怒りを感じているのかすら、忘れてしまいそうになる。
「うめえ」
自然と口から漏れた言葉に、ミルクが同調するように頷く。彼も普段は同じものを注文する筈なのに、今日は何故か甘そうなパスタを食べている。確かにそれの評判も良かったが、この店で一番おいしいのはこのオムライスだと、最初に力説してきたのは彼だ。
「確かに、そのオムライスは今まで僕が食べた中でも、一番おいしいオムライスです。それは断言出来ます!」
「おう」
食べながら、紅イモも力強く頷く。先ほどの嫌な予感など、とうに遥か彼方だ。そのまま軽く聞き流せたなら、どんなに良かっただろうか。
「でも、僕は出会ってしまったんです。――この世でもっとも幸せな味のオムライスに」
「は…?」
紅イモの手から滑り落ちたスプーンが、皿の中でガチャリと不快な音を立てる。消え去っていた嫌な予感が、一気に押し寄せてくるのを感じた。ああこれはマズイ。
「紅イモ、聞いてください! 昨晩ダークチョコ様が、オムライスを作ってくださったんです…!!」
「はあ?!」
大きく開いた口から、間の抜けた声が飛び出した。
現在ミルクは、ダークチョコと二人で暮らしている。
先の戦いでイチゴジャムマジックソードが砕け散り、その呪いから解放されたダークチョコをこの国へ連れてきた当初こそ色々とあったものだが、今は和やかに暮らしているらしい。その様子を頼んでもいないのにべらべらと喋るミルクから情報を得てしまっているが、紅イモの頭の中ではどうもダークチョコとオムライスとが結びつかない。
別にダークチョコだって料理くらいすることもあるだろう。普段面倒であまり料理をしない紅イモだって、たまには自分で作って食べているし、現に初めてダークチョコ様の手料理をいただいたと、もう随分前だがミルクが嬉しそうに話していた記憶がある。その時は確か、野菜スープだった。他にはシチューやカレーなど、比較的簡単に作れる料理が多かった筈だ。何度も何度もしつこく聞かされるので、このとおり紅イモは〝今までダークチョコ様が作ってくださったもの〟を覚えてしまっている。
だがオムライスは一見簡単そうに見えるが、案外難しい。このブラックベリーの店でオムライスをつつきながら、そんな言葉を漏らしたのもミルクであった。
「それもこんなふうに、ふんわりとした玉子で包むのは、とても難しいです…。僕もコツさえ掴めば同じように作ることが出来るでしょうか?」
「ああ? そんなメンドーなことしなくても、ここへ食いに来ればいいだろ」
「……まあ、確かにそうですね!」
確か、そんなやりとりをした覚えがある。
こんなふんわりとしたオムライスを作るのか? あのダークチョコが?
紅イモの頭の中には疑問ばかりが浮かぶ。ミルクの話からしてさほど料理が得意とは思えないというのもあったが、何よりもはっきり言って似合わない。
「何でまた急にオムライスなんか……」
「それは……僕にも分かりません。でも『お前が好きだと思って』とお出しになられたオムライスは、輝いて見えましたっ!」
「…………」
目をきらきらとさせているミルクに、また話が長くなりそうだと紅イモは辟易しながらもオムライスを口に運んでいく。ああうまい。このままオムライスを味わうだけでいたかった。
それにしても。ちらりと視線を遣ると、ミルクは自分の皿を見下ろしながら例のオムライスでも思い浮かべているのか、微笑んでいる。少し気になったのはその頬が、視線の先にある甘いパスタのような色をしていることだったが、それについては決して触れないでおこうと紅イモは固く心に誓った。
昼食のあとに仕事が入っていなければ、それはもう長々と話を聞かされ続けていただろう。それほどミルクは饒舌だった。
嫌なら彼が夢中で話している間に逃げればいいのにと、傍から見ればそう思うかもしれないが、それも難しい。人の良さそうなミルクは、しかし意外と自己主張、というよりもダークチョコ主張が激しいうえ、見た感じは肩などにやんわり手を置いて語っているように見えるだろうが、実際には強く押さえつけられ無理やり話を聞かされているのだから、堪ったものではなかった。
紅イモは疲れきった顔で嘆息を漏らす。正直今日の採掘場の仕事よりも、うんと疲れた。夜にはまだ少し早いが、今日はもう夕飯もどこかへ寄って食って帰ろう。そんな思いから飲食店が並ぶ通りにやってきたのが、運の尽きだったのかもしれない。
どの店にするか少し迷っている間に、背後から声を掛けられたのだ。少し緩んでいた紅イモは一瞬で表情を歪める。
「……何か用か? 勝負ならいつでも受けて立つぞ!」
仏頂面のまま振り返れば、昼に嫌というほど名前を聞かされたばかりの男が立っていた。正直顔を見るのもうんざりだったが、戦えるとなれば話は別だ。
だがダークチョコは首を横に振る。
「いや、悪いがそういった話ではない。お前に少し聞きたいことがあるんだが……」
とそこまで言って、彼は口ごもった。視線も下を向き、はっきりとしないその態度に紅イモは舌を打つ。
「一体何だよ? 言わねえならもう行くぜ」
「――ミルクの、好みを教えてほしい」
「……は?」
こいつ今、何て言った? 思わずまじまじと見つめれば、ダークチョコはハッとして頭を振った。
「食の好みの話だ。……オムライスは好きなようだが、どうも難しくてな」
「……いや、何でオレに聞くんだよ!」
言い直されたところで意味が分からず、紅イモは叫ぶ。大声を上げても特に人目を引かないのは、いつものことだと思われているからだろうか。
「お前がミルクと一番親しいと思ったんだが、違ったか?」
「なっ…! 知るかよッ! つーか、どこからオムライスが出てきたんだよ!」
第三者からしてみれば仲がいいようにしか見えないのに、紅イモは決して素直にそれを認めようとはしなかった。今目の前にいる男に、ミルクのことで本気で怒ったこともあったというのに。
今でこそ仲良く暮らしているようだが、ダークチョコがこの国で暮らし始めた当初、彼を気遣うミルクに対する態度は決していいものではなく、無性に腹が立ったのだ。
「……オムライスが好物ではないのか? 前にすごく嬉しそうに食べていたから、そう思ったのだが」
少し動揺した様子のダークチョコの話に、紅イモはああと思い当たった。どうやらブラックベリーの食堂に行ったようだ。
「それはあそこのオムライスが格別なんだよ。けど、オムライスが好物だとは特に聞いたことがねーな。……確か、クソほど高く積み重なったサンドイッチは好んで食ってた気はするけどよ。まあ、あいつは大抵のもんはうまそうに食うからな」
あそこのサンドイッチもうまかったな、と評判のいいサンドイッチ屋に行った時のことを思い返していると、気付くのが遅くなった。ダークチョコが、すっかり落胆してしまっているではないか。どんよりと暗い空気が、辺りに立ち込めている気がする。
「そうか違うのか……」
「べ、別に嫌いじゃねえんだからいいじゃねーか! それに昨日お前が作ったやつ、すげえ嬉しかったって話を昼に聞かされたばかりだぞ!」
思わずフォローしてしまってから、何でオレがこいつを慰めてやらなきゃならないんだよと胸中で叫ぶ。だが目の前でうじうじされる方がうっとうしい。
紅イモの言葉に効果があったのか定かではないが、俯いていたダークチョコは顔を上げて、再びこちらを真剣な面持ちで見つめてくる。
「なら、ミルクはどんな味付けを好むんだ」
「だから! 何でオレに聞くんだよッ!? 一緒に暮らしてんならお前のが詳しいだろうが!」
「……明らかに失敗したものであっても、表情も曇らせずおいしいと言うんだぞ」
「あー……」
その光景がありありと目に浮かび、紅イモはつい哀れみの込もった視線を向けてしまう。あのミルクが人に、特にダークチョコが作ったものにケチなどつける筈がなかった。旅の途中、さすがに激辛料理を食べた時などには満面の笑みでとはいかなかったが、ミルクはいつも感謝の言葉を口にしていた筈だ。
「……とにかく知らねーよ! よく食うやつだからテキトーにたくさん食わせときゃいい!」
「そ……それでは、困る」
返ってきた言葉に、紅イモは思いきり眉を寄せる。何でもおいしく食べるのだから、それでいいではないか。一体何が困るというのか。イライラが募って睨みつけると、ダークチョコは決まりが悪そうに目を逸らしながらも口を動かす。
「あいつがちゃんとおいしいと思うものを……作ってやりたいんだ」
「お前……」
ふざけんな! そう怒鳴ってやろうと思ったのに、ダークチョコの表情にすっかり気が削がれてしまった。いや、単に驚きの方が強かったのかもしれない。まさかこの男が、こんな顔をするなんて。ほのかに赤みがかったその顔は、昼に見たばかりのそれとひどく似ている。
こいつら、揃いも揃って――。紅イモは盛大な溜息を、ゆっくりと夜へと移りゆく空に向かって吐き出した。
「以前よりはましだと思うのだが……」
そんな言葉と共にスープの隣に置かれた皿の上には立派なオムライスが載っていて、ミルクは目を輝かせた。だがそのあと、あれと首を傾げる。てっきりもうひとつ同じような皿が向かいにも置かれると思ったのに、ダークチョコはそのまま席に着いてしまったのだ。
「僕の分だけですか…?」
「……悪いが先に食べさせてもらった」
ダークチョコが僅かに目を背けながら言う。それだけでミルクは察した。おそらく失敗したものをその場で食べたのだろう。これまでも何度かあったことだ。別に失敗したものを出してくれたって構わないのに。そう思いながらも、せっかく作ってくれたオムライスが冷めてしまわないうちに手を合わせる。
「いただきます」
スプーンを差し込む前に、ふと気付く。以前より玉子が綺麗な色をしていることと、その玉子にライスが包まれていないことに。正確には以前もライスは飛び出していたので包まれてはいなかったが、包もうとした形跡があったのだ。しかし今回は、最初からライスの上に載せているように見える。
ちらりとダークチョコの方に視線を遣ると、彼はこちらの様子をじっと伺っていた。今までもミルクの反応を気にしていることは時々あったが、ここまで食い入るように見つめられるのは初めてだ。思いきってスプーンを差し込むと、想像していたより玉子がやわらかい。少し緊張しながら、ひとくち分のオムライスを載せたスプーンを口に運ぶ。
「!」
口に入れた瞬間、まずバターの香りが口の中いっぱいに広がった。そしてふわふわとした玉子の食感と、甘めのケチャップライスの優しい味に、ミルクの顔は自然と綻んでいく。
「すごくおいしいです!」
しっかり味わってから飲み込むと、勢いよく感想を口にした。するとダークチョコも安心したように、少し表情を緩める。
「それならいい」
一見素っ気なく感じる返事だが、共に暮らし始めてそれなりになる。だから彼が満足そうなのも、ミルクには分かっていた。
「以前と作り方を変えられたんですね」
オムライスやスープを食べる合間に尋ねてみる。スープも最初に作ってくれた時には濃いめだったが、最近は少し優しい味付けになっていた。中の具も食べやすいサイズだ。
「ああ、玉子で包むのはどうもうまくいかなくてな……それなら、上に載せた方が簡単だとアドバイスを――」
「アドバイス?」
思わぬ言葉に驚きオムライスに釘付けだった目を持ち上げると、ダークチョコはしまったという顔になって黙り込んだ。どうやら口を滑らせてしまったらしい。
その口ぶりからして、誰かに作り方を教えてもらったのだろうか。意外に思ったが、そういえばと思い当たる節があった。ここひと月ほど、ダークチョコが仕事だと出入りしているうちのひとつに食堂があったのだ。そして、そこは。
「……ブラックベリーに、少しな」
ちょうど彼女の顔を思い浮かべたところで、その名前が出てきた。思ったとおりだったようだ。
「彼女は家事は何でも完璧にこなしますからねー! ……けど、ダークチョコ様がそこまで料理の腕を磨こうとするとは、正直意外でした」
「……お前が、あの店のオムライスを気に入っていると聞いたから」
「……っ!」
それはつまり、自分の為だということだろうか。口に入っていたスープを飲み込んで尋ねようと思った瞬間、ダークチョコが自分の口元を指しながら指摘してくる。
「ここ、ついてるぞ。……違う反対だ」
慌てて拭き取れば、紙ナプキンにケチャップの色がべったりとつく。幼い子どものようで、恥ずかしい。顔が熱くなるのを感じながら、ミルクは食べることに集中した。食べかけのオムライスは、もう残り少ない。静寂の中、スプーンが皿に擦れる音だけが大きく響いた。
「……以前はお前の好物がオムライスだと勘違いしていたが、あの店のものが特別に好きらしいな」
「そう、ですね……」
先にスープを飲み終える。残るオムライスも、あとひとくち分だけ。
「さすがに同じ味とはいかないが、なるべくお前の好みに近づけよう」
どうして、そこまでしてくれようとするのだろう。気にはなったが、それよりも先にミルクは口を開いていた。
「もう、好物ですよ」
「……?」
顔を上げて、首を傾げているダークチョコに向かってはっきり告げる。
「僕の為に作ってくださったこのオムライスが、一番大好きです……!」
そう言い切ってから、最後のオムライスを味わう。さすがに冷めてしまってはいたが、今まで口にしてきた何よりもおいしく感じた。
「ごちそうさまでした」
「あ、ああ……」
言いながら手を合わせると、ぽかんとした様子だったダークチョコがさっと立ち上がり、食器を下げる。
「あ、片づけなら僕が」
「いい。それよりも口の周りをしっかり拭いておけ」
「えっ!」
またケチャップがついているのかと焦って口の周りを紙ナプキンで拭ってみるが、少しは色づいたものの指摘されるほどのものではない。
「……お前は本当に素直だな」
「え…?」
目を細めてこちらを見ているダークチョコにからかわれたのだと気付くまでに、少し時間が掛かった。再び頬が熱くなる。
恥ずかしい。でも、どうしても嬉しくなってしまう。火照った顔を冷やすのも兼ねて洗面所で顔などを洗ってからリビングに戻ると、ダークチョコは食器を洗い始めていた。その後ろ姿をソファから眺めながら、ミルクは深く息をつく。
幸せだ、本当に。確かにそう思う。けれど、その幸せをもっと増やしていきたいと思ってしまう。もっと、もっと――。
揺れる白が混じったその黒髪に無性に触れたくなって、ミルクは立ち上がっていた。
「昨日ダークチョコ様がまたオムライスを作ってくださったんですけど、以前より腕を上げられてとてもおいしくって……あ、でも前の時も本当に嬉しかったんですよ? だけどダークチョコ様が僕の為にとブラックベリーさんに――」
「あああ! うるせえうるせえ!!」
せっかくのメシがマズくなる! 紅イモがそう叫んでも、ミルクの話は止まらない。思わず助けを求めたくなって周囲に目を向けるが、いつものことだとスルーされてしまう。
運悪くミルクに捕まってしまったのは、少し遅くなった昼食にありついた直後のことだった。何となく今日はブラックベリーの食堂には行かない方がいい。そんな気がしてわざわざパン屋に来たというのに、紅イモの予感は半分外れてしまった。
「それでスープの方も、前はとても大きかった具材が」
「聞いてねえから! 気にもなってねえから! もう頼むから黙ってくれよ……」
そう懇願しても、ミルクは喋り続ける。が、ケチャップがついているとからかわれたという話のあと、何故か急に彼は口を噤んだ。
「おい、どうした急に」
あまりにも不自然過ぎるほどぴたりと声が止んだものだから、紅イモはついミルクの顔に目を向けてしまった。そして、そのことをすぐに後悔する。
「いえ、何でも。……ただ、紅イモにも教えてあげられないと思うことが、僕にもあるみたいで」
そう言ったミルクの頬が赤く染まっている理由なんて、これっぽっちも知りたくない。そもそも、教えてもらわなくて結構なのだ。紅イモの口からは、もう何度目になるか分からない大きな溜息が漏れ出る。横目で見た赤い顔は、すっかり緩みきっていた。
――ああクソッ、幸せそうにしやがって! 本当にムカつく野郎だ。
腹いせに白い頭を拳でぐりぐりとする紅イモは、自分が今どんな表情をしているのか自覚がなかった。傍から見れば友の幸せを喜んでいるようにしか見えないのを、今日も知らないままでいる。
(by sakae)
→NEXT
※コメントは最大3000文字、5回まで送信できます