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夕陽に色づく小道に、人影がふたつ。
真昼間と比べれば幾分か気温は下がってきたものの、ミンミンとおびただしい数の叫びが暑さを助長しているようだった。その声の主を、ミルクは生まれ育った村では見たことがない。だがクッキー王国で暮らし始めて、それは珍しいものではなくなっていた。
「少し休みましょうか」
右手方向にある大きな木を指で示しながら、ミルクは顔だけを後方へと向ける。後ろを歩いていたダークチョコは目が合うと、小さく頷いた。普段あまり感情の起伏のないその顔は、それでも疲れが滲み出ているように見える。
木の元へたどり着くと二人は腰を下ろした。顔に当たる風は生ぬるい。上の方からは、けたたましい蝉の鳴き声が降ってくる。
ちらりと横目で見たダークチョコは、眩しそうに目を細めて太陽を眺めていた。海の向こうに沈む為遠くに行ったそれは、頭上で眩い光を放っていた時より色濃く、そして大きく見える。夕陽をじっと見つめ続ける彼が一体何を考えているのか、ミルクには想像すら出来ない。だけどこの空が、彼にとって特別なものだということだけは分かる。
ダークチョコを取り巻く暗雲が晴れたのは、まだほんの数日前。今日よりも、さらに暑い日のこと。時を同じくしてこの王国で暮らすようになった彼を、皮肉にも取り戻したばかりの太陽が苦しめることとなった。街中で見かけた彼が突然目の前で倒れた時には、ミルクも肝を冷やしたものだ。
「少しずつ陽の光に慣れていった方が、いいかもしれませんね」
典型的な日射病の症状をみせたダークチョコを介抱しながら、ミルクは言った。
雪国で生まれ育ったミルクも暑いのはあまり得意ではなかったが、長い間日差しを浴びることを許されなかった彼には尚更、炎天下はきつかったに違いない。癒しの力で多少ましになったとはいえ、まだ顔色が悪かった。陽が沈み始めた頃なら日差しも少しは優しいものになっている。しばらくは外を出歩くなら、夕方になってからの方がいいかもしれない。そう思ってアドバイスしてみると暑い日差しがよほど堪えたのか、ダークチョコは思いのほか素直に頷いた。
それが毎日一緒に散歩をしようという話になったのは、どうしても彼のことが心配だったから。もし一人きりの時に再び倒れてしまったら……そんな恐ろしい考えがミルクの頭から離れなかったのだ。
そうして共に歩くようになって今日で五回目になるが、元々口数が少ないダークチョコは、散歩をする時にはいつにも増して静かだった。それほど久方ぶりの日差しに参っているのかもしれない。
「水をどうぞ」
「ああ……」
保冷性のボトルに入れてきた水を携帯用のコップにそそいで手渡すと、ダークチョコはすぐ口をつけ喉を潤していく。初日には栄養価の高いミルキー牛乳を持ってきていたのだが、彼が飲みにくそうにしているのを見て、二日目からボトルの中身を水に変えたのだ。聞けば別にミルキー牛乳が嫌いというわけではなく、喉が渇いている時に飲むのはきついらしかった。
そう、少ないがちゃんと会話はしている。だからこの決して長くはない散歩の時間が、ミルクにとっては楽しみとなっていた。ちょっとずつでも、ダークチョコを知ることが出来るから。
「少しは慣れてきましたか?」
「……」
コップから口を離したダークチョコが訝しげな目を向けてくる。日差しに慣れてきたのか、あるいはここでの暮らしに慣れてきたのか。自分で尋ねておきながら、ミルク自身にもどちらの意味で聞いたのか分からない。
「……私には眩しすぎるな」
返ってきたその答えは、果たしてどちらに対してのものだろうか。それもはっきりとしなかった。
次の日は朝から降り続く雨のせいで、昼には今日の散歩はやめておこうという話になっていた。
それでも、せめて夕飯くらい一緒に。そう思って、ミルクは仕事を終えるといつものようにダークチョコを迎えにいった。ちょうど建物から出てきたばかりの彼の姿を捉え、しかしミルクは立ち止まってしまう。雨空を見上げた彼の表情が、どこか安心しているように見えたのだ。ダークチョコにとっては、未だこの薄暗い世界の方が自然なのかもしれない。
ミルクは立ち尽くしたまま、結局話しかけることが出来なかった。昨日あれだけ聞いた蝉達の合唱を、今日はほとんど聞かなかったな。雨空を仰ぎながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
翌朝には晴天が広がって、まるで昨日の雨で出来た水たまりを一気に蒸発させようとするかのように、ギラギラと太陽が輝いている。蝉達もまた朝から一斉に鳴き始めていた。
茹だるような暑さは夕方になってもそれほど衰えず、普段は元気いっぱいに外で遊びまわるパンケーキやバブルガム達も、さすがに屋内で大人しくしていたようだと、そういった噂話さえ流れてくる。
そんな中でも、ミルク達は王国の一角を歩いていた。
「今日は特に暑いですし、早めに切り上げましょう」
そう言って歩き始めたミルクのあとを、いつものようにダークチョコが続いた。
王国の案内を兼ねて、散歩コースは毎回違う。今日は風車がある方にでも行こうか。何となくそう考えながら、ミルクは道を曲がった。街中と比べて手入れがされていない道には、まだそこらじゅうに水たまりが散らばっている。
「ダークチョコ様?」
近くにあった気配が遠のいたことに気付いて振り返れば、彼は大きな水たまりをじっと見下ろしていた。
「ダークチョコ様……」
「……ああ、悪い。行こう」
近づいてもう一度呼びかけると、彼は顔を上げて再び足を動かし始めた。
「……」
彼が見ていた水たまりは、何の変哲もない。少し歪になった自分を眺めていると今度はミルクが呼ばれ、慌てて先を急いだ。
ダークチョコは水たまりに映った自身の姿に、何を思ったのだろうか。やはり答えが分からぬまま、オレンジ色に染まった道を歩き続けた。
十日も経てば、ダークチョコの足取りはしっかりしたものになっていた。元々よく鍛えられた肉体を持つ彼は、もうよほどの無茶でもしなければ倒れるようにも思えない。
もはやこの時間も、必要ないのだろう。それでも何となく、夕方になればミルクはダークチョコを迎えにいったし、彼も拒まずついてきてくれた。
「少し、暗くなるのが早くなったな」
「そうですね」
揃って空を見上げた。昼間には頭上にあった太陽が、ミルク達や道を赤く染め上げている。
ダークチョコがこの王国で暮らし始めて二十日ほど。三回は雨で、一回は都合がつかずに行けなかった日もあったが、それ以外は毎日夜が迫りくるこの時間を共に過ごした。
同じような日々を過ごしていても、ゆっくりと時間は流れている。吹く風は、昼間と比べると大分涼しいものになっていた。そういえば聞こえてくる合唱も、茹だるような日に聞いた時とはまた違う音色が混ざっているような気がする。あれも蝉なのだろうか。
この王国にはミルク達が慣れ親しんだ雪が降る時期も、それとは正反対に今のように暑い時期もある。そしてそれらの合間にも違った特徴の期間があり、珍しくも四季がある国だった。
「夏が終わるにつれて太陽が顔を出している時間が、段々短くなっていくそうですよ」
それを告げた時、何となくダークチョコが寂しそうに見えた。だからミルクは間を置かずに話し続ける。
「でもこれからの季節は、おいしいものが増えるという噂を聞きました! 楽しみですね!」
まだひと月もこの王国で暮らしていない彼はもちろん、ミルクも次にやってくる秋という季節を過ごしたことがなく、心待ちにしているのだ。なのにこちらに顔を向けたダークチョコは、何故か大きな溜息をつく。
「……お前は食べ物のことばかりだな」
「えっ!」
驚いて見返すと、彼は眉をひそめる。
「今の時期はスイカやマンゴーがおいしいからと、私を散々連れ回したのはどこの誰だ」
「あ。……でも、本当においしかったでしょう? 僕はそうめんというものはこの国で初めて食べましたが、あれも良かったですね〜」
仲間達からおすすめされ、今が旬なものをたくさん食べたことを思い出しているうちに、ミルクの口元はどんどん緩んでいく。それを呆れたように見遣る表情がやわらかいことに、本人は気付いているだろうか。
「――ああ暗くなっちゃいますね、そろそろ行きましょうか!」
もう一度空へ目を遣れば、夕陽が海の向こうに沈もうとしていた。夜の足音が、もうすぐそこにまで迫ってきている。
再び歩み始めたこの道は、確か最初の散歩の時にも通った筈だ。時間もその時と似たようなものだった。けれど力強い鳴き声に混じってあちこちから聞こえてくる儚げな声は、やはりあの日には聞いていない。ゆっくりと、だけど着実に、季節が移りゆこうとしているのだろう。
歩きながら呼びかけると、ダークチョコの視線がこちらを向いた。
「大分慣れてきたみたいですね」
「……そうだな」
何に、とは言わない。それでも彼はしっかりと頷いてみせた。
ふと足元を見下ろせば暗くなり始めた小道に、大きく伸びるふたつの影。それらの距離は近く重なり合い、まるでひとつきりのようにも見えた。
(by sakae)
END
(21-08-29初出)
ブーストお礼にとリクエストしていただいて書いたものです。
「夏が終わりかけになってしまい少ししんみりとした雰囲気になりつつも、また次の季節へと進んでいく/出来ればミルダク/擬人化」
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