黒雲の下のミルキーウェイ

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 朝、ふと見上げた際に広がっていた空は青く澄みきっていたというのに、今は分厚く暗い雲に覆い隠されていた。吹く風さえ重苦しく、いつ雨が降り出してもおかしくないような天気。そんな中、ミルクは恵みの噴水の前で人を待っていた。確かめるように空を仰ぐと、どんよりとした空気に反してその表情は綻んでいく。遠くに影のような暗いシルエットを見つけた途端、つい大きな声を上げてしまっていた。
「ダークチョコ様!」
 結局待ちきれずに、こちらに向かってくる影に歩み寄る。駆け出したい気持ちは抑えたつもりだったが、気付けば早足になっていた。
「少し早く来たつもりだったが……待たせたか?」
「いえ! 僕もついさっき来たところですよ」
 戦場で身につけているいつもの鎧ではないものの、相変わらず黒ずくめの格好をしたダークチョコは、ミルクが近寄ると立ち止まる。そして顔を見るなり溜息をついた。
「まさか、また一時間も前から待っていたのか」
「きょ、今日は本当にさっき来たばかりですって!!」
 慌てて否定するも、彼はじとりと疑わしげな目を向けてくる。明らかに信用されていない様子に、思わずミルクは苦笑を漏らした。
 今日と同じようにここで待ち合わせをしたのは、ちょうど一週間前のこと。その際、ダークチョコ様をお待たせするわけにはいかないとの強い気持ちから、ミルクは一時間も前から噴水の前で佇んでいた。彼と約束した時にはいつもそうしていたのだが、それをうっかり口を滑らせてしまったせいで本人の知るところとなり、盛大に呆れさせてしまったのだ。
 なので今日は本当に五分ほど前にやってきたばかりなのに、こちらに向けられたその眼差しを見るに、まだ信じてもらえていないことがひしひしと伝わってくる。
「と、とにかく、行きましょう! ね!」
「……そうだな」
 こほんと咳払いをしてから改めて笑みを向けると、ダークチョコも少しだけ口元を緩めた。彼がそんな表情を見せてくれるようになったのは、本当にごく最近のことだ。些細な表情の変化をミルクは心から嬉しく思い、笑顔のままダークチョコと肩を並べて歩き出す。
 直後、近くにある願いの樹から二羽の小鳥が飛び立っていった。きっと誰かの願いが叶ったのだろう。羽ばたく青い鳥達を、ダークチョコはまるで眩しいものを見るかのように、目を細めて見つめていた。

 このクッキー王国は土地を開拓して、少しずつ大きくなってきている。新しく拓けた土地に、シュガーノーム達がいろんなものを作っていくのだ。それは生活に必要な家や施設だけに留まらず、ソーダ水で出来た小川や王国を象徴するいくつものランドマークなど。また、あるところにはバニラ王国がそのまま再現されているかのような場所まであった。そこで暮らすもの達と同じようにバラエティに富んだものが、国のあちらこちらに散らばっている。
 ミルク達が今向かっているところも、シュガーノーム達によって開拓されたばかりの場所であった。
 初めてその場所の特徴を聞いた時から、ミルクは絶対にダークチョコ様をお連れしなければ、と意気込んでいたのだ。絶対に落胆だけはさせてはならないと、事前に下見も済ませてある。わざわざ雨が降った一昨日の昼過ぎに、そこまで足を運んだ。
 そして実際に自分の目で確かめて、確信した。あれを見れば彼も喜ぶに違いない、と。だから今日、さっそく誘って出掛けたのだ。普段王国の片隅でひっそりと暮らすダークチョコは、おそらくまだあれのことを知らないだろう。ちょっとしたサプライズのつもりもあって、これから向かう先の詳細は伝えていなかった。
 だがの場所へ近づくにつれ、段々ミルクの足取りは重くなっていく。
「どうした? 体調でも悪いのか」
 ついには訝しげな視線が向けられる。答えることも誤魔化すことも出来ず、ミルクは立ち止まってしまった。同じように歩みを止めたダークチョコが、顔を覗き込んでくる。無意識のうちに俯いてしまっていたようだ。
「ミルク?」
「…………あの、ダークチョコ様!」
 ややして、意を決したミルクは顔を上げると、ダークチョコの顔をまっすぐ見つめた。
「その……今日どうしても、あなたにお見せしたいものがあったんですが」
 そこで一旦言葉を止める。じっと見返してくる赤い目が、静かに先を促してくる。
「それを見て、きっとダークチョコ様も喜ばれると僕は思ったんです。でも……もしかしたら、そうじゃないかもしれないと思って……」
「……」
 明らかに小さくなっていく話し声に呆れたのか、ダークチョコは途中から目を閉ざしてしまった。そこへたどり着くまでもなく、彼の機嫌を損ねてしまったかもしれない。そんなふうに思ってしまえば、頭上の暗雲がミルクの心にまで押し寄せてくるようだった。一気に不安が大きくなる。
「すみません! やっぱり今日はやめに」
「――知っている」
「え?」
 声を被せてきたダークチョコに、ミルクは目を瞬かせる。ゆっくり開かれた赤い目が、向かっていた道の先を見遣ってから再びこちらを向いた。
「この先に、何があるのか知っている。……実は先にカスタード達に誘われていてな」
「あ、それじゃあ、もうあれを見にいかれたんですね……!」
 ダークチョコの言葉に安堵すると同時に、少しだけ残念に思ってしまう。そのことをミルクは密かに悔やんだ。彼を気に掛けているのが自分一人ではないのは、本来喜ぶべきことである筈なのに。ぎゅっと拳を握りしめる。
 再度俯きそうになるミルクに、しかしダークチョコはを振って言った。
「まだ行っていない。――きっとお前が連れていってくれるだろうと思って、少し先の予定にしてある」
「……!」
 彼がふっと目を細めたのを少しの間眺めたあと、ぽかんと口を開きっぱなしにしていたミルクは顔を赤くした。ドキドキと鼓動が速まる。
 ――待っていてくれた。僕が誘うのを、ダークチョコ様が。
「そろそろ行くぞ。……私が喜ぶと思って誘ってくれたのだろう? 案内は任せる」
「……はいっ!」
 先に歩き出したダークチョコと並んだ時には、ミルクはすっかり笑顔を取り戻していた。途中道を曲がり、それから少しだけ歩けば目的地にたどり着く。

 そこに広がっていたのは、満天の星空。

 いや、厳密に言えば空ではない。それは二人の足元に広がる池であった。けれど水面のあちこちに散らばっているのは、夜空から落ちてきてしまったかのような輝く金色で。池の色自体、まるで夜空そのもののようだった。
「…………」
 立ち尽くしているダークチョコの横顔を見て、ようやくミルクは胸を撫で下ろした。
 星降る夜をそのまま映したようなこの水面を、未だ空の光を見ることを許されない彼に是非見てもらいたかったのだ。
 だけどいざこの地に近づくに伴って、ミルクは考えてしまった。天候や昼夜の明るさに関係なく、夜空の輝きを見せてくれるこの池は確かに美しいが、本物の夜空ではない。それを見たダークチョコが一体どう思うのか、予測がつかなかった。当初思っていたとおり喜んでくれるのか。それとも逆に、悲しくなったり虚しくなってしまうのではないか。そう考えると彼にこれを見せてもいいのか、分からなくなってしまったのだ。
 だがやはり連れてきて良かったと、今は心の底から思っている。
「……確かに、これは星空のように見えるな」
「そうですね。ここまで綺麗に星が見えるのも、実際には珍しいかもしれませんが」
「そうか……そういうものだったか……」
 しばらくして、二人は見下ろした夜空に言葉を落としていく。
 食い入るように池を見つめているダークチョコは、きっと本物の星空が恋しいに違いない。それでも彼は向けられた視線に顔を上げると、ミルクに礼を告げてくる。
「いえ、僕は何も…! それに僕がお連れしなくとも、カスタードくん達だって誘ってくれたんでしょう?」
「ああそうだな。この王国のものは皆、気がいいもの達ばかりだ。……敵であった私のことすら、よく気に掛けてくれる」
 再び水面を見下ろしながら、彼は続けた。
「それでも、お前と共にこの星を見られたことを心から嬉しく思っている」
「ダークチョコ様……!」
 この王国にやってきたばかりの彼は、沈んた顔をしていることが多かった。彼に付きう黒雲がその心まで覆い尽くしているかのようで、ミルクはとても見ていられなかった。私に構うな、という悲しい声を聞かなかったことにして、少しずつ距離を縮めていって――。結果的には彼の心にある暗雲を、ほんの僅かでも払うことが出来たのかもしれない。
 向けられた優しい眼差しに、ちょっとくらいそう自惚れたっていいだろう。
 光る水面に流れる星をひとつ思い描きながら、ミルクは切に願う。いつかは、本物の星空も一緒に――。
 黒い雲が覆い隠している空の下で、けれど地上の小さな夜空を眺める二人の顔は、晴天にも負けないくらいに晴れやかだった。
(by sakae)


END
(21-09-02初出)
ブーストお礼にとリクエストしていただいて書いたものです。
「王国でのミルダクの日常/擬人化」

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