ふたりの旅の終着点

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
「日差しが恋しくはないか」
 そう尋ねられるのは、これで何度目になるだろうか。ミルクは微笑んで返答する。
「平気ですよ!」
「月は、星空は? 私と一緒だとお前は……」
「ダークチョコ様」
 やはり返ってきたのは想像どおりの言葉だったが、ミルクは笑顔を絶やすことなく、焚き火の向こう側にいる男の目をまっすぐ見据えた。
「僕にとっては太陽や月の光を浴びることよりも、あなたと過ごす時間の方がずっと大切なんです」
「……」
 するとダークチョコは目を逸らし、口をむ。ミルクが身を置いていたクッキー王国を出て、そして彼が暗黒魔女の下を離れてから幾度となく繰り返しているやりとりだ。
 ふとミルクの脳裏に過ぎったのは、最も親しかった仲間の姿だった。ダークチョコと初めて出会った時の話をすれば、もう何度も聞いた話だと耳を塞ぎ聞かないポーズをとっていた紅イモは、何だかんだでよく話を聞いてくれたものだ。懐かしさが込み上げてくる。元気にしているだろうか。パチパチと火のぜる音にその想いは強くなっていく。こんなふうに焚き火を囲む時には、あの王国へたどり着く前にもそのあとにも、大抵彼の姿があったから。
 だが今は違う。目の前の男からするのは甘そうなイモの匂いではなく、決して甘くなさそうなチョコレートの香りだ。それは初めて出会ってから長い月日が流れ、見た目が変わってしまった今も、唯一変わらないものだった。
「帰りたいのなら帰るといい。……お前の居場所は、こんなところではないだろう」
 懐かしい思い出に浸っていたせいだろうか。向けられた声には、どこか寂しそうな響きが含まれているように思えた。
 ミルクは立ち上がると、伏せた目で火を見つめているダークチョコの背後に回る。すぐ後ろにいるというのに、もはや彼は警戒すらしなくなった。背中側からマントごと体を抱きしめる。密着したせいか、チョコレートの香りがさらに濃厚になった。
「ダークチョコ様」
 呼べばゆるりと動いた視線に、右の耳へとくちびるを寄せてミルクは喋り続ける。
「あなたが心配することなんて何もありません。僕は今、すごく幸せですから」
「……どこが幸せなんだ。こんな」
「この道を選んだのは僕です」
 はっきり言い放つと、またもダークチョコは押し黙った。いつもそうだ。彼は何度もミルクを元の居場所へ戻そうと促しては、そのたびに失敗して苦い顔をする。自分と一緒にいるのは不幸であると決めつけて、自らを責め立てているようだった。
 それだけが唯一のダークチョコの忌むべき部分だと、ミルクは思っている。
 そう、嫌だったのだ。彼が傷つく姿を見るのは。
 王国の仲間達が彼を傷つけた。敵対していたし、仕方のないことだと頭では分かっていた。彼と同じく闇に属するもの達が、彼を傷つけた。迷いを隠しきれない彼が気に入らないようだった。そして何よりも、ダークチョコ自身が自らを傷つけるようなことばかりを繰り返す。
 だからもう、ミルクは見ていられなくなった。これ以上、傷ついてほしくない。そう考えた時には彼の腕を掴み、戦場を飛び出していた。仲間達の驚きと心配の声をすべて無視して。戸惑う彼の声すら聞こえないふりを決め込んで。当然、抵抗はされた。実際に斬られ、傷を負った。しかし攻撃を避けようともしないミルクの姿に、ダークチョコは次第に諦めていった。
「一体何がしたいんだ、お前は」
「僕はただ、あなたを傷つけるものがないところへ行きたいだけです」
 それが二人の旅の始まりだった。
 行き先などないに等しい。不毛な行動だと、ミルクだって理解している。けれど彼の手を取ったあの日から、澄んだ青空も星が散らばった夜空も、二度と拝めなくとも構わないと本気で思っていた。ただ、彼の最も近くにいられるだけで良かったのだ。
 ダークチョコの方は度々王国に戻るよう促してはくるものの、隙を見てミルクを置いていくような真似はしなかった。そうすればどこまでも追いかけていくつもりだと、分かっているからだろうか。
 寄せていたくちびるを暗い色の耳に押し当てれば、ぴくりと反応を示した体が愛おしい。自分の腕の中で、確かに彼が生きているのだと実感する。
 ――僕だけのものになってくれたらいいのに。そんな欲が込み上げてきたが、それは叶うことはないと瞬時に悟ってしまった。
 寝かせた大剣の柄に置かれた手に、ミルクは手を重ねる。暗黒魔女の下を離れてからも、ダークチョコは決してこの剣を手放そうとしなかった。彼がミルクの奇行ともいえる行動を諦めたように、それだけは諦めなければならなかったのだ。
 触れた手は火の近くにあるにもかかわらず冷たくて、まるで死人のようだと思ってしまう。生気もなくただ剣を手にするダークチョコは、時々亡者のように見えることがあった。
 旅の始まりに交わした、ひとつの約束を思い出す。どうしても側にいるつもりならばと前置きして、彼は言ったのだ。
「いつか私が完全に闇に支配されたその時には、お前が私を殺せ」
 頭を強打されたような衝撃が走ったが、ミルクはしっかりと頷いていた。
「はい。その時には僕が――いえ、そうなる前にあなたを天へとお送りしましょう」
 闇の呪縛から解放するを、ミルクは知らなかった。そしてそれはこのまま旅を続けても、きっと見つかりはしないだろうという確信に近い予感すらある。それならば、死だけが救いになり得るのかもしれない。だとすれば完全に心と体を奪われてしまう前に、手を下さねばならなかった。
 ダークチョコがダークチョコのまま生きて死ぬ為に、最後の最後に彼を傷つけるのはミルクの役目になるのだ。
 突然右頬に冷たいものが触れ、ミルクは肩を跳ねさせる。それは剣を触っていた筈のダークチョコの右手だった。いつの間にか彼の顔は、はっきりこちらを向いていた。驚きに目を瞬かせると、そこからいくつもの水滴がこぼれ落ちてくる。
「泣くぐらいなら、もうやめたらいい」
「……嬉しくて泣いてるんです」
 震える声で反論する。そうだ嬉しい筈なのだ。誰よりも大切な彼を、闇から救い出すことが出来るのだから。
 そう遠くはない旅の終わりを月のない夜空に思い描き、涙を流しながらもミルクは笑い続けた。
(by sakae)


END
(21-04-05初出)

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