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子どもが泣いている。吹雪く雪に溶け込んでしまいそうな、白い子どもだった。
私が声を掛けようとするより早く、突如現れたクリームウルフが子どもに向かっていく。大きく口を開いているそれを見て、子どもが泣き叫んだ。
「もう大丈夫だよ」
持っていた愛剣を振るい、子どもに食らいつく前にクリームウルフの巨体を斬り伏せる。目を白黒とさせていた子どもに手を差し伸べれば、輝いた目で私を見上げてくる。
「僕もあなたのような――……」
何の前触れもなく白銀の世界が消え失せると、辺り一面に広がるのは闇になっていた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。まっすぐ前を見つめているうちに、慣れてきた目が天井の形をうっすらと捉える。そこに先ほどまで見ていた夢を映し出した。
白い世界と白い子ども――よく見る夢のひとつだった。
昔、まだ故国が存在していた頃に偶然危機を救った村。実際にはその子どもだけを助けたわけではなかったが、私を見つめるあの目がよほど印象的だったのだろう。雪とミルクの泡で白く染まったその村を思い出す時には、いつも真っ先にあの子どもの姿が浮かんだ。
あの時、子どもは私に向かって夢を口にした。私のようになりたいのだと。幼い子どもの言うことではあったがまるで同志を見つけたような気持ちになり、嬉しかったのを覚えている。だから私も、彼の期待に応えられるような英雄になってみせると約束をした。口約束に過ぎなかったが、本心からの言葉だった。
ふと誰かに呼ばれたような気がして顔を向けると、壁に立てかけてある剣の宝石が鈍く光を放っている。……分かっている。もうあの約束を果たすことは叶わない。私は英雄とはほど遠い、むしろ対極の存在と成り果ててしまったのだから。
赤い輝きを失った剣に知らず知らずのうちに押し殺していた息を吐き出し、もう一度目を閉じる。そうすれば、完全な闇が私を呑み込むようだった。
「ああ! キミは!」
一見すると特段取り柄のなさそうな少年が、私を指差し驚きの声を上げる。彼らの前に再び立ち塞がったのは、あの方の指令を受けたからだった。少年が中心となった一行は子どもも少なくなかったが、しかし油断のならない相手だということは、身をもって知っている。今度は負けるわけにはいかない。
「もー! また急に現れて……驚くって言ったのに」
「すまないが戯言に付き合っている暇はない。今すぐあの方に従うか、それともここで朽ちるか選んでもらおう」
言葉を遮ると紙の王冠を被った子どもが口を尖らせる。その姿は尚更幼く見え、これから傷つけてしまう相手だと考えると罪悪感が生まれた。子ども相手に好んで剣を振るいたくはなかったが、そんな甘えたことが許される立場ではないのも、よく分かっている。私が剣を持ち上げると少年達は警戒を強めた。
「暇がない、という意見は同感ですね。こんなところで無駄話などしていたら、スケジュールが狂ってしまいます」
「ここは光の加護を受けた、この私に任せておくといい!」
少年と子どもの前に出たのは、眼鏡の下の瞳が特徴的な男。そしてもう一人、眼鏡の男と共に一歩踏み出し剣と鎧をきらめかせたのは、騎士風の男だった。どちらも以前戦った相手だ。眼鏡の男は強力なコーヒー魔法の使い手で、騎士の方は本人の言葉のとおり光の加護を受けているのか、光の力を使った攻撃を得意としている。
念の為周囲に目を走らせるが、どうやら少年と王冠の子ども、眼鏡の男と騎士の四人だけのようだった。前回より数は少ないが、油断は出来ない。私が剣を振りかざすのと騎士が向かってくるのは、ほとんど同時のことだった。
キン、と鳴り響く金属音。闇の力に従うケーキモンスター達は私が命令するまでなく一斉に少年達に襲いかかったが、展開されたコーヒー魔法の渦に呑まれ、消えていく。それでも次々と現れるケーキモンスター達は怖気づくことなく彼らに立ち向かった。
「はっ!」
振り下ろされた剣を受け止める。再び剣が鳴り合う音を聞きながら、思わず顔をしかめていた。呪われた身のせいか、相反する光の力に強い嫌悪を感じる。あまり長引かせたくはない。次の攻撃をかわすのに後ろに大きく飛び退くと、闇の力を込めた剣を地面に突き刺した。
「くっ、しまった! エスプレッソ、そっちに行ったぞ!!」
発生した闇のいかずちを騎士は盾を使って防いだものの、防ぎきれなかった分が眼鏡の男達の方に向かうのを見て、焦った声を出した。大人しくあちらに向かわせるわけにはいかない。私は剣を持ち上げ、騎士へと追撃を仕掛ける。
「任せておけと大口を叩いたのは一体どこの誰ですか!」
視界の隅で眼鏡の男が魔法を中断し、少年と子どもを庇うように私が放った攻撃に正面から向き合った。
「エスプレッソ!!」
少年達の悲痛な叫びにじくりと胸が痛んだ気がしたのは、受け止めた騎士の攻撃が存外重たかったからだろうか。とにかくこれで戦力を削ぐことには成功した。筈だった。闇が迫った視界の隅で、白い光が弾ける。
「エスプレッソさん、大丈夫ですか! 遅れてすみません!」
「……ギリギリでしたが、まあ良しとしましょう」
視界が晴れると、大きな盾を持った青年が眼鏡の男の前に立っていた。全身白いその青年からは強い光の波動を感じる。どうやら彼によって私の攻撃は防がれてしまったようだ。
「おい油断すんな!」
背後のもの達を気に掛ける白い青年も、彼に飛びかかったケーキモンスターを手に持った厳ついこん棒でなぎ払う紫髪の男も、この間は見かけた記憶はないが少年達の仲間で間違いなさそうだった。増えた敵に内心舌を打っていると、表情を明るくした騎士が攻め立ててくる。
「ミルクに紅イモが来てくれたなら安心だな! さあ続けようか!」
「……ミルク?」
すっかり優位に立った気でいる騎士の言葉に、反射的に少年達の方に目を向けてしまった。あの男の闇の力には気を付けるようにと、私に注意を向けた眼鏡の男が新たにやってきた二人に話している声が、何故かひどく遠くに聞こえる。
こちらに顔を向けた白い青年と視線がかち合う。その姿に、ミルク一族のあの白い子どもが重なった。
「――ダークチョコ様?」
「――ダークチョコ!!」
紫髪の男の方がよほど大きな声で私の名を呼んだというのに、白い青年の声だけがくっきりと鮮明に耳に入ってくる。何故――自分でも何を言いたかったのか分からずに開いた口からは、呻き声が漏れ出した。
「お、おい! どうして急に突っ立つんだ!」
「……?」
視線を目の前に戻すと、困惑した表情を浮かべた騎士が一歩後ろに下がる。彼が構えた剣の先が赤く汚れているのを見て、やっと私は腹を刺されていたことに気付いた。騎士の剣からは赤いしずくが垂れ、落ちていく。
「ダークチョコ! お前、本当に暗黒魔女の手下に成り下がったのか!」
動揺している私と騎士の元へ、紫髪の男がケーキモンスターをなぎ倒しながらズンズンと近づいてくる。その後ろで固まったように私を見ている白い青年。
――何故、私を知っている? どうして、あの子どもと同じ呼び方をする?
「あ、おい!」
「待てダークチョコ!!」
背後から騎士と紫髪の男の声が追いかけてくる。気付けば、私は彼らに背を向けて駆け出していた。
「待ってください! ダークチョコ様!」
私は逃げたのだ。あの声から。白い青年から。記憶の中の、白い子どもから。どこへ行けばいいのかも分からずに、ただ無様に逃げ出した。
夜になって、いっそう深くなった闇が私を包み込む。あれから随分時間が経ってしまった気がする。受けた指令は結局失敗に終わった。それでも、あの方の元に帰らねばならない。
少しだけ休んでいった方がいいだろうか。適当な木にもたれ掛かると、そのままずるずるへたり込む。とにかくひどく疲れていることだけは、はっきりと分かる。刺された腹は痛みはあるものの、すでに血は止まっているようだった。
私を照らしてくれる空の明かりは、生い茂った木々がなくとも存在しない。火を起こす気にもなれず、闇に向かって溜息を吐き出した。
あの青年は、あの時の子どもだったのだろうか。そうだとして、一体何だというのだろう。
まだ混乱する頭が痛みを覚える。青年の正体が何であれ私が為すべきことは何ひとつ変わりはしないというのに、まるで責めるように手元の剣が光っていた。
「オレは……お前が思っているような男じゃ、ない……」
閉じたまぶたの裏に浮かんだ白い子どもに、言い聞かせるよう呟く。そこでぷつりと意識が途切れた。
白い世界で白い子どもが泣いている。
また夢を見ているのだとすぐに理解して、私は動かず夢から覚めるのを待つことにした。たとえ夢の中であっても、もうあの子どもを助けてやることは出来ないと、分かっていたからだ。
すると小さかった子どもはみるみるうちに大きくなっていき、青年になった子どもが私に向かって何かを差し出してくる。いや、彼は何も持ってはいなかった。声もなく泣きながら、青年はひたすら私に手を差し伸べているのだ。
「もう無理なんだ」
宙に浮きかけた自分の手をきつく握りしめながら、首を横に振る。そうすればたちまち闇が広がり、青年は白い世界と共に跡形もなく消えていった。夢の終わりだ。
傍らに突き立てられた剣を見て、完全に目が覚める。分厚い暗雲の向こうで陽が昇ったようだった。ほのかに明るさを持った闇の中、ゆっくりと立ち上がる。さあ帰らなければ。私を待つ、暗黒の世界へと。
その時頬を伝って落ちた生ぬるい水滴に、眠っている間にひと雨降ったのだろうかと一瞬考えたものの、髪もマントも濡れておらず雨の痕跡は見当たらない。暗い地面に吸い込まれたそれを怪訝に思いながらも重い足を動かし、私は闇の中を進み始めた。
(by sakae)
END
(21-03-28初出)
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