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ふわふわとした淡いピンク色の髪から砂糖の甘い香りを漂わせて、そのクッキーはミルク味クッキーの前に現れた。
「あ、あの……! これ、私の気持ちです!」
溶けてしまいそうな儚い声と共に差し出されたのは、一通の白い封筒。かわいらしいハートのシールで封をされたそれは、見るからにラブレターである。ミルク味クッキーは突然のことに呆気に取られ、精一杯伸ばした両手で持たれたラブレターとその持ち主とを見比べるようにして視線を交互に動かした。
「これを僕に?」
「は、はい! あなたを……あなただけを想って書きました!!」
その言葉に自然と笑みが浮かんだ。しっかりとラブレターを受け取ると、丁重に礼の言葉を述べる。照れて赤くなった頬を隠すように手で挟んだ目の前のクッキーの姿は、とても愛らしいものだった。
「何かあったのか」
深みのある声が自分に向けられていることにミルク味クッキーが気付くのに、しばしの時間を要した。ハッとして頭を持ち上げると、先ほどまで背中を向けていた筈のダークチョコクッキーがこちらに顔を向けている。
「え! あ、いや……ええっと」
慌てて勢いよく立ち上がったものの、立つ必要性がないことに気が付き、またソファに腰を下ろす。我ながら落ち着きのない行動だと思ったが、ダークチョコクッキーがぽかんとしている様子にさらに申し訳ない気持ちになった。だが口から出てくるのは意味をなさない声ばかり。結局目の前のテーブルにふたつのマグカップが並べられるまで、ミルク味クッキーはあたふたと怪しい挙動を繰り返すだけだった。淹れたてのコーヒーの芳ばしい香りに、少しだけ落ち着きを取り戻していく。
「ありがとうございます」
向かいに座ったダークチョコクッキーに目だけで促され、近い方に置かれたマグカップを手に取った。もう一方のマグカップの中身はコーヒーそのものの暗い色をしているが、こちらにはミルキー牛乳がたっぷり入れられており、色も匂いもマイルドになっている。苦いものがあまり得意ではないことを覚えてもらっているのが嬉しくて、ミルク味クッキーは上機嫌で口をつけた。
「少しは落ち着――」
「熱ッ! ……すみません」
忠告を聞き終わるより先に口の中を軽く火傷してしまい、思わず情けない顔のまま笑う。すると溜息をこぼしたダークチョコクッキーはコーヒーをひとくちだけ啜ってマグカップを置き、改めて視線を向けてきた。
「もう一度聞くが、何かあったのか」
「…………」
射抜くようなその視線は別段睨んでいるわけではない。しかし今はどうにも居心地悪く感じてしまい、ミルク味クッキーは少し迷ってから傍らに置いていた荷物を漁り始めた。
「実は、ここへ来る前にラブレターをいただいたんですが」
取り出したのは例のラブレターだ。封を開けると僅かに甘い香りが広がる。出てきた便箋は三枚。そのすべてに、丸っこくてかわいらしい文字がぎっしり敷き詰められている。
「それに書かれていたことが気になってしまって……って、あれ? ダークチョコクッキー様、聞いてます?」
先ほどから言葉ひとつ発しないどころか、身動きすらしなくなった向かいのクッキーの姿に首を傾げたミルク味クッキーだったが、思い当たった理由に笑って左右に手を振る。きっと告白されたのを自慢したと思われたのだろう。
「念の為言っておきますが、これは自慢話とか惚気話の類いではありませんからね。あ、いえ、もちろんすごく嬉しかったですよ! ――ほら、わたあめ味クッキー! あのクッキーからなんです」
「……悪いがそう言われたところで、どのクッキーのことだか分からないのだが」
「ああそうか、そうですよね。えっとですね――」
その名を聞けば、手渡された手紙にとびっきりの愛が綴られているのを知らぬクッキーはいないに違いない。それほどまでに恋に恋しているそのクッキーが、傍から見れば誰に彼にもラブレターを渡す姿は有名であった。その対象は幅広く、自分の倍以上生きているようなクッキーでも、あるいはまだ幼いクッキーだろうと――すべてのクッキーなのではないかとミルク味クッキーは考えている。
と、実に有名なのだが、目の前のクッキーが知らないのは無理もない。ダークチョコクッキーは最近になって――本当に色々とあって、この王国で暮らすようになったのだ。しかも他にクッキー気のない場所を住処に選んだ為、戦いの場以外で他のクッキーと接する機会はあまり多くない。戦場で肩を並べるクッキー達の顔なら覚えているだろうが、他はまだそうはいかないようだった。
「随分と変わったクッキーだな」
わたあめ味クッキーの説明を聞いて、ダークチョコクッキーは終始首を傾げてコーヒーを啜っていた。恋多きクッキーの存在が不思議でならないらしい。渋い顔をしていたがミルク味クッキーがマグカップから口を離して一息ついたのを見て、「それで」と改めて話を振ってくる。
「ラブレターを貰ったにしては、浮かない顔をしているように見えるが」
「……そう、見えますか」
ミルク味クッキーがはあと息を漏らすと、ダークチョコクッキーは頷いてしまった。
うーんと唸り声を上げながら、ミルク味クッキーはわしゃわしゃと髪を掻き乱す。いつも被っている帽子は荷物の向こうに置いたままだ。ややして。意を決してソファに座り直すと、残っていたマグカップの中身を飲み干してから言った。
「――僕、恋をしてるらしいんです」
「……は?」
今日は自分らしくない言動が多くなっているとミルク味クッキーは自覚しているが、ダークチョコクッキーの方も見たことのない表情になってばかりだ。大きく目を開いたその顔は普段よりずっと幼く見え、どうしてだか触れたくなってしまう。その衝動をどうにかこらえて、話を続ける。
「わたあめ味クッキーからのお手紙に書いてあったんです。――恋するようになったミルク味クッキーはさらに魅力的で、と」
自分で言うのはどうにも気恥ずかしいが、貰ったラブレターに確かにそう書いてあったのだ。でも、と頬を掻きながら呟く。
「僕、心当たりがなくって」
「……それなら、わたあめ味クッキーの勘違いではないのか?」
しばらく右目をぱちくりとさせていたダークチョコクッキーが発したのは想定内の言葉で、ミルク味クッキーは頭を振って手紙に視線を落とした。
「わたあめ味クッキーは他のクッキー達のことを、本当によく見ているんですよ」
当のクッキーすら気付かないような癖さえも長所のひとつとして褒めちぎるのは、そう珍しい事例ではない。美化しすぎなところもあるが、その洞察力はかなりのものであった。
そんなクッキーに自分が恋をしているだなんて言われてしまっては、まったく気にならない方が変だろう。
「僕が、一体誰に?」
何度も首を捻ったり目を閉じたりして考え込むが、特別想っている異性のクッキーの姿は浮かんでこない。そもそも、ミルク味クッキーの脳裏に真っ先に過ぎったのは――。
「ミルク味クッキー」
名前を呼ばれ、閉じてしまっていたまぶたを開いて、目の前のクッキーを見つめる。
「いつも言っているが、大切な存在がいるのなら尚更ここには来ない方がいい。……呪いの力が完全に消えたわけではないのだ。お前に悪影響がないとは言い着れん」
「…………」
「色々差し入れてくれるのは助かるが……おい大丈夫か」
ぼんやりと正面を見ているだけのミルク味クッキーに、ダークチョコクッキーは眉を寄せる。その声音は普段より優しいもので。そうだ、何だかんだ言いながらも彼は優しいのだ。よくここには来るなと釘を刺してくるのも、相手を突き放しているわけではなく、身を案じているからだと知っている。
初めて出会った頃の、あのダークチョコクッキーとは違う。闇の力に溺れ、間違った道を歩んでしまった。敵対し、お互い傷つけ合ったことだってある。それでもダークチョコクッキーは、昔から変わることなく憧れのクッキーで、それから。
「あ」
はたと思い出す。さっき特別なクッキーを思い描いた時に浮かんだのは……。それは敬愛しているから。だからだと思っていた。思っていたのに。
「一体どうした! 危ないぞ」
突然立ち上がったミルク味クッキーがよろよろとおぼつかない足取りで歩き始めようとするのを、素早く近づいてきたダークチョコクッキーが肩に手をまわして支えてくれた。一気に至近距離になると、ミルク味クッキーの胸の音がいっそう大きくなる。
特別な存在。でもそれは、幼い頃からずっと慕っていたから。何度自分に言い聞かせても、火照った顔も胸の奥も、焼けるように熱いままだ。何てことだ、ああ僕は――。
「ダークチョコクッキー様、すみ、ません……!」
自分より少し高い位置にある黒い頭に手をやり、さらに目の前のクッキーを引き寄せながらも、口から漏れ出たのは今にも泣きそうな、弱々しい声。駄目だと思っているのに、もはや止められそうにない。
ビターなチョコレートの香りに理性を奪われていく。
「僕が好きなのは……あなた、なんです…っ」
白が混ざった黒髪がミルク味クッキーの顔に掛かる。すぐそこにある赤い目が、何よりも美しいものに思えた。何か言いかけたのか薄く開かれたダークチョコクッキーの口へ、自分のものを押しつけるようにして重ね合わせる。
「……んッ」
くぐもったその声がどちらのものなのか、ミルク味クッキーにはもう分からなかった。ただ甘いミルクと濃厚なチョコレートの匂いが混じり合う中、微かに感じたコーヒーの苦味がどうしてだか甘いような気がした。
(by sakae)
END
(21-02-25初出)
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