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気付けば雪の勢いは増していた。積もり始めたそれは、そのうち激しい戦いの痕跡すら白く覆うだろう。
このままここに長居すれば湿気ってしまうかもしれない。そう思うのにミルク味クッキーは冷たい地面に片膝をついたまま、腕に抱きとめた黒がうっすら白く染まりつつあるのを、じっと見つめていた。
「――ダークチョコクッキー様」
ぽつりと口からこぼれ落ちたのは、かつての憧れのクッキーの名前で、今まさに腕の中にいるクッキーのものでもあった。初めて彼と出会ったのはミルク味クッキーの故郷で――そういえば白いミルクが立ち込めるあの村ではチョコレート色の生地も、所々白が混ざった黒い長髪も、よく映えていたと思い返す。あの日、目に焼きつけた憧れの大きな背中は今はただ弱々しく、ミルク味クッキーが支えていなければ力なく冷たい地面に崩れ落ちてしまいそうだった。
力を込めすぎてしまわないよう注意を払いながら、ダークチョコクッキーを抱え直す。すると、閉じたままだった目が片方だけ薄く開かれた。
「……え、は」
「!」
小さなその声を決して聞き逃すまいと、ミルク味クッキーは耳を寄せた。
顔の向きを少し変えた拍子に視界の端に剣が、いや、正確には剣だった残骸が映り込む。イチゴジャムマジックソード――ダークチョコクッキーを狂わせたその忌々しい存在は、無惨にも刀身のほとんどが砕け散り、禍々しい闇の気配は感じられなくなっていた。そしてそれは、持ち主だったクッキーも同じだ。
「お前は、本当に……立派に、なったな」
途切れ途切れに言葉を紡ぐダークチョコクッキーの右手が、ゆっくりとミルク味クッキーに伸ばされる。頬を掠める手は、ほんの少し前まで殺気を孕んだ剣を振るっていたものと同じだとは信じられないくらい、優しい。
「私の方は……約束を果たせなかったが」
目を閉じ口元を緩めたダークチョコクッキーは、おそらく笑ったのだろう。だが泣き出してしまうのではないかと思うほど弱々しく感じた。いや、違う。泣きそうになっているのは自分の方だと、ミルク味クッキーは頭を振る。
「僕だって……あなたを、救えなかった」
こらえようとしたが駄目だった。溢れ出した涙は、頬にあるダークチョコクッキーの手まで伝ってしまっただろう。
「僕は何よりも、あなたの助けになりたかったのに……っ」
ぎゅっと目を瞑る。泣いたって、今更どうにもならない。分かっているのに、涙は止まってくれなかった。なんて情けない、そう思えば思うほど涙は次々と溢れ出し、こぼれ落ちていく。
「ミルク味クッキー」
ダークチョコクッキーの手が目尻の方に移動する。止まらない涙を拭おうとしてくれているのだろうか。目を開くと、赤い目がしっかりミルク味クッキーを見据えている。その眼差しは、まるで初めて出会った頃のようにまっすぐだった。
「感謝しているぞ。――私を止めてくれて、ありがとう」
「……ダークチョコクッキー様」
約束をしてくれたあの時と同じように優しく微笑む顔を見て、ようやくミルク味クッキーの涙は止まった。そうして役目は果たしたと言わんばかりに、黒い手が離れていく。
「彼らにも、そう伝えておいてくれないか」
ダークチョコクッキーが僅かに首を傾けた。彼が見ようとした先では、ミルク味クッキーの仲間達が遠巻きにこちらの様子を伺っている。
そういえばもう随分と待たせてしまっている気がするが、寒くないだろうか。怪我をしたものも、少なくはなかった筈だ。ミルク味クッキーの注意が仲間の方に向かったのを見てか、ダークチョコクッキーが白い肩をぽんと叩く。
「さあ、そろそろ行った方がいい。……安心しろ、もう私には戦える力は残っていない」
「…………」
ダークチョコクッキーを見下ろす。すでに満身創痍だ。もはやミルク味クッキーの癒しの力さえ受けつけてくれないボロボロのその体は、戦えないどころか――。否定するように慌ててぶんぶんと首を振り、ミルク味クッキーはもう一度彼の体をしっかりと抱え直す。
「ダークチョコクッキー様」
見上げてくる視線が少しずつ弱くなってきているのが、ただの気のせいであればいいのに。出てきそうになる弱音を呑み込んでから、改めてミルク味クッキーは口を開いた。
「一緒に冒険しませんか」
「……ぼう、けん? オレと、お前がか?」
「ええ! 世界中のクッキー達を救う旅をするんです!」
「…………」
目を見開いていたダークチョコクッキーがうなだれる。苦しいのは体だけでないのは、ミルク味クッキーだって分かっていた。それでも。
「それは……無理な話、だな。オレは」
「あなたが不幸にしてしまったクッキー達よりも、もっとたくさんのクッキーを、幸せにしていきましょう」
遮るようにしてミルク味クッキーは言い続ける。
「僕にもそのお手伝いをさせてください。……ずっと夢だったんです。いつかあなたの世界を救う旅に一緒にと、そう願っていました」
困惑の表情を浮かべる顔を覗き込みながら、笑いかけた。ややあって、ダークチョコクッキーが言葉を返してくる。
「こんなオレにでも、まだ救えるものがあると……お前は、そう言うのか」
「ええ!」
何かを探し求めるかのように宙をさまよう黒い手を、その体を支える力を抜いてしまわないよう気を付けながら、ミルク味クッキーは左手で包み込む。この手が不幸にしてしまったクッキーの数は、計り知れない。けれども。
「大丈夫。あなたなら出来ますよ」
ミルク村が救われたように、今まで彼が救ってきたものも決して少なくない筈だ。だってあの時の自然な振る舞いは、きっと誰かを助けるのに慣れていたからに違いない。そして今、彼の目は、あの頃のように澄んでいる。
「――ははっ、そうか」
ミルク味クッキーを呆然と見上げていたダークチョコクッキーは、気が抜けたかのように吹き出した。
「それなら……、お前と共に冒険に出てみるのも、悪くはない、な……」
ミルク味クッキーも頷いて笑ってみせる。
寒い筈なのにあたたかささえ感じる今のこの気持ちも、同じだといいな――ミルク味クッキーは穏やかな表情で目を閉じていくダークチョコクッキーを見守りながら、そう強く願った。
やがて微動だにしなくなった腕の中の存在を、ミルク味クッキーは一度だけ強く抱きしめたあと、そっと地面に横たえる。辺りは、すっかり白く染まっていた。
「お待たせしちゃってすみません。行きましょうか!」
「……おっせえぞ、バカ!」
仲間達の元へと歩を進めながら声を掛けると、返ってきた言葉は冷たいものだった。しかしそれは上っ面だけで、込められた感情もそれを発したクッキー自身も、ここには似つかわしくないほど熱いのをミルク味クッキーは知っている。
「さっさと帰るぞ!!」
ミルク味クッキーが近くまでやってくるのをきっちり待ってから背を向けた素直ではないクッキーに感謝しつつ、心配そうに見上げてくる他の仲間には大きく頷いてみせた。――もう大丈夫だ。
まだそれほど深くないとはいえ雪道となってしまった帰路を、滑って転んでしまわないよう注意しながら踏みしめていく。
ひとり残してきたあのクッキーも、同じように白に覆いつくされてしまっただろうか。
「ミルク味クッキー、……あの、やっぱり」
しばらくして。急に歩みを止めたミルク味クッキーのちょうど後ろを歩いていたイチゴ味クッキーが声を掛けてくるが、途中で言葉を詰まらせてしまう。優しいクッキーのその想いに応えるよう目線を合わせてからミルク味クッキーは微笑み、ピンクのフードを被った小さな頭をそっと撫でた。
「実は忘れものを。でも、すぐに追いつくので大丈夫です」
「忘れもの……? ううん、すぐに来てね。紅イモ味クッキーが本当に怒っちゃうわ」
不思議そうに首を傾げたイチゴ味クッキーだったが、ミルク味クッキーの表情が明るいままなのを見て、あまり深く考えないようにしたようだ。気を付けてねと一言だけ付け加えると、再び前を向き歩み始めた。ふたりのやりとりを見ていた他のクッキー達も同様に、ミルク味クッキーに余計な声は掛けずに先へ進んでいく。一癖も二癖もあるものも多いが、優しいクッキー達ばかりだ。仲間達の背中を見送りながら、ミルク味クッキーは誇らしく思った。
そうして最後尾の仲間の後ろ姿がほとんど見えなくなると、ミルク味クッキーは歩いてきたばかりの道を振り返った。複数の足跡を隠してしまうかのように、雪は勢いよく降り続いている。少し前まで壮絶な戦いを繰り広げたあの場所は、ここからだともう見えない。だけど、ここからで充分だ。
ミルク味クッキーは憧れのクッキーの名を口にする。
幼いミルク味クッキーと約束をした彼の英雄は、あの日、白い世界へ消えるようにして旅立っていった。
そして今日、再び白い世界に消えたあのクッキーへと届くよう、ミルク味クッキーは大きな声で告げる。
「――今度会う時までに、僕はもっと強く、立派になってみせますからね!」
(by sakae)
END
(21-02-15初出)
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