消せなかった言葉、残った想い

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
 そろそろ整理しなければならないな。
 自室の本棚をぼんやりと眺めて、アッシュは溜息をひとつこぼす。ぎっしりと詰め込まれたそれはまだ書物こそ飛び出してはいないものの、目当ての一冊を取り出すのも億劫になりそうな有様だった。
 ここ最近はファブレ家の子息として、そして一貴族としての公務で何かと忙しく、バチカルだけではなく国中を駆け回っている。時として国内だけでなく、マルクトやダアトなどに赴くことも少なくない。
 そんな多忙な日々に、ようやく一息つけることになった。気分転換にゆっくり本でも読もうと、本棚と向き合ってしまったのが運の尽きだ。
 あとで参考になるだろうと読むつもりだった書物や、書類の作成などに役立ちそうなものまで適当に突っ込んでいたせいで、本をしまった張本人にすらどこに何が入っているのか分からない本棚は、見ているだけでイライラしてくる。だが目にしてしまったからには仕方がない。もう一度長い息を吐き出してから、アッシュは本の整理をすることに決めた。
 ぎゅうぎゅうに押し込まれた最上段の本を引き抜き、一冊一冊開いて目を通していく。これはまだ読んでいない、これはもう必要ないだろう――そうやって大雑把に仕分けしながら、机に本を積み重ねていく。本をすべて出してしまうには机が狭いので、置いておく予定のものは空になった棚へ戻した。こんなやり方でも、先ほどよりはずっとマシになる筈だ。
「しまっ――!」
 思わず声が漏れたのは上から二段目に取りかかり始め、一冊引っ掴んだ時だった。さっきの段よりパンパンに入っていたせいか、それを引き抜いた途端に他の本が一斉に落下し始める。肩にぶつかって落ちた本に思わず舌打ちして、アッシュは散らかる床を見下ろした。今にも頭が痛くなりそうな惨状だ。
 すると、目に留まる一冊を見つけた。他の本はタイトルと著者が表紙に書かれているのに、その一冊だけは様子が違う。これは一体何だったか。拾う為にしゃがんだ格好のまま、適当なページを開く。
「……!!」
 ND2018――二年前を示すそれが目に飛び込んできた瞬間、アッシュはハッと息を呑み込んだ。それ以上読むのをやめろと叫んでいるかのように、体が震え出す。しかし何故か止められず、目は手書きの文字を追っていた。
『28day, Rem, Gnome Redecan ND2018
 今日も昼過ぎに起きた。相変わらず――』

 ぎっしりと綴られた文字は、自分のものより乱雑だった。それなのに、ひどく懐かしさが込み上げてくる。
 世界中を駆け巡っていた頃の〝彼〟の行動。そして秘められた想い。自分が知る筈のない彼の物語。
 それにもかかわらず、アッシュは知っている。あの旅をしていた頃は彼が日記をつけていたことすら、知らなかったというのに。自分の紛い物だと決めつけていた彼が何をして、何を考えていたのかなんて、見て見ぬふりばかりをしていた。
 けれどアッシュはもう知っている。彼が何故日記をつけるようになったのか。また、彼が最後に何を記したのかを。
 ヴァンとの決戦を前に日記は途絶えていた。まだ日記帳にはページが残っていたが、白紙が続く。それでもアッシュはひたすらページを捲った。すると、最後の日記と最終ページのちょうど中間辺りで、再び文字列が現れる。
『最初はすげえムカついたけど、今は――』
 日記部分より丁寧に書かれたそれらは、共に旅をした仲間達に向けられた言葉。決して長くはないが、一人ひとりに向けて書かれたものだった。初めて出会った時の印象。それから、旅をするうちに見えてきた長所や短所。そして仲間達がたどり着くであろう、これから先の未来へ向けての言葉。
 彼は文字を綴りながら、仲間の顔を思い浮かべ、途中何度も涙ぐんだ。そして最後には「カッコわりぃ」と笑おうとして、嗚咽を漏らしたのだ。それも、アッシュは知っている。思い出せる。
 それらはすべて、今アッシュがいるこの部屋で、彼が最後に過ごした夜に書いたものだった。段々と鮮明になってくる記憶に、アッシュは吐き気を催す。
 もうこの日記を閉じなければ。そう思うのに、手は独りでにページを捲り続ける。次は白紙。さらに捲る。また白紙。だがもう一枚紙を捲ると、記憶どおりにそれはあった。
 先ほどのページとは違って、殴り書きされた乱暴な文字達。それを上から塗り潰そうと、細い線が引かれている。なのに結局それ以上線を引くことも、このページを破り捨てることも出来ぬまま、ルークは日記帳を閉じてしまったのだ。
「……屑が……っ」
 汚いページに落ちたのは、震えた声。
 正直ムカつく――それは、そんな書き出しから始まっていた。けど、ごめん――続く文字列を小刻みに震える指で、ゆっくりとなぞっていく。
『よく分かんねーけど、気になって……お前のこと考えたら、もやもやしたり、ドキドキしちまったり。これは俺がレプリカだからなのかな。
 俺がお前のレプリカだから、こんなにもお前のことばかり……』

 そして彼はそこまで書いたあと、文字の上から線を引いた。浮かんだその想いを誤魔化すように。
「……ッ!!」
 もう一度アッシュは彼を蔑む言葉を吐こうとして、失敗した。あの時の彼と同じように次々と涙が溢れ出し、中途半端に綴られた彼の想いが滲んでいく。
『俺がお前のレプリカだから、こんなにもお前のことばかり考えちまうのかな。
 お前が俺の被験者だから、こんなにも――』

 あの日。アッシュが死んだあと、彼は消えてしまった。
『こんなにも、お前のことを好きになっちまったのかな』
 綴ることが出来なかった想いとすべての記憶だけを残して、ルークはいなくなってしまった。自分と違い蘇ることのなかった彼は、もうどこを探しても存在しない。
「馬鹿……野郎ッ!」
 アッシュにはもうこの胸の痛みがどちらのものなのか、分からなくなっていた。ただ彼を思い出すたびに生じる苦しみに似た何かは、あの旅のさなかにも確かにそこにあったのだ。
(by sakae)


END
(21-10-23初出)

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