深海の陽だまり

 ぼんやりと意識が浮上する。もう少しすれば目覚まし時計が鳴る筈だ。毎朝同じ時間に起きる電気ウナギは、まぶたを閉ざしたまま時計が鳴り出すのを待つ。ワンダークラブで暮らすようになってからのその習慣は、最近ちょっとだけ変わった。
 いつものように、ハンモックの揺れに身を任せてまどろむ。そろそろだなと心の中で呟いた直後、響きわたるアラーム音。少し前まではそのけたたましい音を合図に起き上がって、床に置いている時計を止めに向かったのだが、今日も電気ウナギが体を起こすより先にアラームは止まった。
「おはよー、起きたか〜?」
 宙に投げかけた言葉に反応はない。むくりと起き上がった電気ウナギはハンモックから飛び降り、床に敷いた布団に包まっている同居人を見下ろした。布団から一本だけ飛び出た彼の触手は、目覚まし時計のスイッチを押しっぱなしのままだ。きっと時計を止めた記憶なんてないだろう。
「よー、もう朝だぜ? 起きろよイカスミフード!」
 傍らにしゃがみ込んで大声を出すと、ようやく布団の中の深海君主がモゾモゾと身じろぎ始める。相変わらず寝起きが悪い。最初こそ意外に思ったが、一週間見続けてしまえばもう驚かなかった。

 イカスミフードこと深海君主と一緒に暮らし始めたのは、ごく短い間住民になっていた男が引き起こした、例の騒動が原因だ。ワンダークラブは壊滅の危機に晒されたものの、奇跡的に怪我人すら出なかった。とはいえ、まったく被害がなかったわけではない。至るところが崩れた都市の中はあちこちゴミが降り積もり、今もまだ通行止めの道がある。そして深海君主が暮らしていたあの小さな住処は、運悪くゴミの山の下敷きとなってしまったのだった。
「だったらオレの家に来いよ!」
 新しい住処を探さなければと困っていた彼を誘ったのは、他ならぬ電気ウナギ自身である。都市を去ろうとしていたのを引き止めたからという理由もあるにはあるが、何よりもその方が楽しそうだったから。そんな理由に深海君主は呆れていたようだったが、いざという時に暴走を止められるのは電気ウナギしかいないということもあって、同居はあっさり決まった。

「メシの準備してっから、起きてこいよな!」
 丸まった布団にそれだけ告げると、電気ウナギは欠伸をしながら立ち上がった。
 深海君主が目覚めるまで、もうしばらく時間が掛かる。単に朝に弱い、というわけではないのは分かっていた。昨晩もうなされていたから、しっかり眠れていないのだろう。一体彼がどんな夢を見ているのか、電気ウナギは知らない。
 だけど、いずれは楽しい夢を見られるようになる筈だ。暗い顔で流れ着いたものでさえ、いつの間にか楽しそうに笑っている。ワンダークラブは、そんな場所なのだ。
 結局深海君主が起きてきたのは、今日も朝食の準備がほとんど終わった頃になってからだった。当分朝食当番には期待出来そうにないな、と電気ウナギはコップに水を注ぎながらこっそり苦笑する。
「……すまない、また遅くなってしまった」
「おー気にすんなっ……てオマエ、今日スゲーうねってんな?! おもしれー!」
 顔を上げた瞬間、電気ウナギは吹き出してしまった。深海と似た色をした髪が、いつも以上にあちこち大きくうねっているのだ。
「む、確かにこれはひどいな……」
 片手で髪の状態を確認した深海君主は洗面所へ引き返しかけたが、それを制してテーブルに促す。ここまで見事な寝癖となれば、直すだけで時間が掛かるに違いない。だったら朝食が先だ。電気ウナギが椅子に座ると、彼も諦めたように席に着いた。不機嫌そうに見えるのは、おそらく恥ずかしいからだろう。
 電気ウナギは両手を合わせながら時計を確認する。以前の生活リズムなら、そろそろ朝食を終えていてもおかしくない時間だった。やはり二人で暮らすとなると、同じようにはいかない。
 だが、こんなふうにのんびり過ごす時間も案外悪くないものだ。ふと視線がぶつかると、海色の目がすっと細められる。彼の生活も大きく変わった筈だが、きっと悪く思ってはいない筈だ。そんな確信に、電気ウナギも笑った。

* * *

 都市中の片づけをしていると、一日なんてあっという間だ。ゴミの山の片づけは順調だが、次から次へと新しい海洋ゴミが増えるのでキリがない。
 夕方になると電気ウナギは別の場所で作業をしていた深海君主と連れ立って、馴染みのバーを訪れた。疲れた時はおいしいジュースを飲んで、踊るに限る。マスターや常連客達と談笑しているうちに、ちょうちんあんこうもやってきた。
「最近明るいな」
 隣の席に着いた彼は注文を終えるなり、しみじみと言った。その視線は電気ウナギと同じ方を向いている。楽しそうに踊っていたダルマザメが派手に転んだのを見兼ね、深海君主が助け起こしているところだった。うんうんと、電気ウナギは大きく頷く。
「お、やっぱそう思うか? ダルマザメは見てのとおりだけど、イカスミフードのヤツもたまに笑うようになってきてさー」
「ん? ああ。あいつらもそうだが、俺が言ってんのはお前のことだよ」
「へ? オレ?!」
 思わず自分自身を指差すと、口からは間抜けな声が漏れ出る。こちらを振り返った深海君主達が揃って不思議そうにしているが、電気ウナギも同じように首を捻った。
「何だよ、オレはいつだって明るいだろー?」
「まあ、いつもやかましいのは確かだな……と、おお! 今日のも一段とうまそうだ!」
 マスターに渡されたグラスに目が釘付けになったちょうちんあんこうは、そのままジュースに夢中になってしまった。一体どういう意味なのか。釈然としないものの、電気ウナギは戻ってきた二人に顔を向ける。
「ダダ! ……ダンス、うまくなった…ダ?」
「おー! オレほどじゃねえけど、なかなかイケてたぜ!」
「君よりダルマザメの方が、うまく音楽に乗っていたように見えるが」
 ぴしゃりと言い放った深海君主に同調したのか、ちょうちんあんこうはグラスを傾けながらもコクコクとしきりに首を動かしている。その様子に、電気ウナギは口を尖らせた。
「そーか〜? ……そりゃあ確かにオレは、もっとアップテンポな曲の方がノリノリになれるけどさー」
 とはいえダルマザメの元気な踊りは、見ているものまで楽しくしてくれる。これは手強いライバルが出来てしまったものだと思いながらも、電気ウナギは笑顔になっていた。新しい仲間が都市に慣れ親しんでいくのは、やはり嬉しいものだ。
「で、イカスミフード。コイツとの生活は慣れてきたか? そろそろ耳にタコでも出来てる頃じゃねえかと、俺は心配でな」
 こちらを一瞥したちょうちんあんこうは、さらに奥に座る深海君主に目を遣った。耳に、タコ? 電気ウナギは目を瞬かせる。
「耳にタコって……ちっせえタコでも寄ってくんのかー? 何か楽しそーだな!」
「ったくお前は、そのタコなわけねえだろう。……聞くまでもなく大変そうだな」
 ちょうちんあんこうは肩を竦め、改めて深海君主に話を振った。ジュースを飲んでいた彼はグラスを置いて、ちらりと電気ウナギの方を見た。
「そうだな……彼一人でもここと同じくらい騒々しい」
「それって賑やかで楽しいってことだろ? いいことじゃねーか!」
「自分で言うか、普通……」
 盛大な溜息は無視を決め込み、深海君主に笑顔を向ける。すると、彼はあっさり頷いた。
「ああ。君といる時間は、とても楽しいと思っている」
「……だ、だろー?」
 てっきりあしらわれるとばかり思っていたから、電気ウナギは面食らってしまった。何だか顔が熱い気がする。
「ダ、だろー! ……ダダ!!」
 勢いよくジュースを流し込む電気ウナギの傍らで、幼い仲間が嬉しそうにはしゃいでいる。どうやら自分の喋り方を真似たと勘違いしたらしい。ちょうちんあんこうはというと肩を大きく揺らしており、こちらも随分と楽しげな様子だ。
 どうにも落ち着かない。電気ウナギは残りのジュースを飲み干してしまうと、バッと立ち上がって深海君主に声を掛ける。
「そろそろ帰って晩メシにしよーぜ!」
 軽く頷いた彼も、少しだけ残っていたグラスの中身を空にしてから腰を上げた。
「じゃあまた明日なー!」
「おう」
 カウンターにコインを残し、電気ウナギは仲間達に手を振りながらバーを出た。深海君主と共に暮らすようになってからは、帰るのも大体一緒だ。
 ワンダークラブは夜になっても明かりが絶えない。陽光こそ届かないものの、明るさなら地上にだって負けていない筈だと電気ウナギは信じている。いつだって、あらゆる意味で眩しいのがこの都市のいいところだ。
 途中目についたゴミを拾いながら、ゆっくり家に向かう。走ってしまえばすぐ家に着くが、こうやってのんびり辺りを眺めながら歩くのも嫌いではない。ヤドカリが動かすワンダークラブの景色は、毎日同じようで少しずつ違っている。
「それでマスターがさー」
 バーでも家でもたくさん話しているというのに、話題が尽きることはなかった。もっぱら喋っているのは電気ウナギの方だが、深海君主も時々短い相づちを打つ。真面目な彼は、どんな話でもしっかりと耳を傾けてくれるのだ。
 そんな彼は今、顔をしかめている。
「……あまりにも古いものは体に良くないと思うが。……そもそも、食べられる状態なのだろうか…?」
 先日降ってきたゴミの中に、食べ物の缶詰があった。それを今夜、食べてみようと電気ウナギが提案したのだ。まだ見ぬ缶の中身を想像したのか、深海君主の眉間のしわがさらに深くなる。その様子に電気ウナギは苦笑して、顔の前で小さく手を振ってみせた。いくら好奇心旺盛だからといって、彼まで危険なことに巻き込もうとは思わない。
「安心しろって、賞味期限はもうちょっと先だし、保存状態も悪くねーから。……ったく! まだ食えるってのに、捨てたヤツは何考えてんだかな!」
 知らず知らずのうちに語尾が強くなる。降ってくるゴミの中には、まだ使用出来るものも少なくない。朝を告げるあのけたたましい音の目覚まし時計も、そのひとつだった。古めの型とはいえ、少し修理してやればちゃんと音だって鳴ったのに。
 再度溜息を吐き出したところで、そういえばと深海君主が呟いた。
「君の家にある家具は、色も柄もすべてバラバラなようだが、やはりあれも拾ってきたものなのか?」
「おう、大体そうだぜ! テキトーにパーツを組み合わせて作ったのもあるけど、味があっていいだろ? ……けど遊びにきたヤツらにはちぐはぐだの何だのって、大不評なんだよなー!」
 見る目がねーよな、と電気ウナギはぼやく。
 捨てられていたものを再利用するのは、そう珍しいことではない。ワンダークラブの暮らしはゴミあってこそだ。
 だが電気ウナギの場合、気に入ったものを次から次へと持って帰るせいか家の中に統一感がなく、ごちゃごちゃして見えるらしい。深海君主の為にと増やした椅子ですら、自分が使っているものとは大分作りが異なっている。おかげで電気ウナギの方が背が低いのに、座ってしまえばほとんど目線の高さが変わらない。
「……確かに見ているだけでうるさく感じる時もあるが、私は……君らしくていい家だと思う」
 思わず電気ウナギの足が止まる。横を向けば、同じように立ち止まった深海君主と見つめ合う形になった。
「……何だよ、今日はやけに褒めてくれるじゃねーか」
「私はただ事実を告げたまでだが……?」
 不思議そうに小首を傾げた深海君主だったが、続けて口を開いた彼の顔は段々寂しげなものに変わっていく。
「君の家はばらついているのに、違和感がなくて……私もそこに溶け込めるのではないかと、つい……錯覚してしまいそうになる」
 そこまで言って、彼は目を伏せた。暗い色の瞳は、まるで深海そのものだった。この暗い海の底を、太陽は決して照らしてはくれない。けれど――。
 電気ウナギは闇を吹き飛ばすように、豪快に笑う。
「なーに他人事みたいに言ってんだ? オレもオマエも、ちぐはぐの一部なんだぜ!」
「ぐっ……!」
 バンと背中を叩くと、深海君主の胸にあるもうひとつの大きな目に睨まれた。どうやら力を込めすぎてしまったらしい。だけど彼には少しくらい大げさな方が伝わる筈だと電気ウナギは開き直り、数歩後ずさった。
 今度は明確に力を込め、全身に眩い電気を纏う。照らし出された夜の都市が、いっそう明るくなる。もちろん海に溶け込んでしまいそうなその男も、例外ではない。
「先に行くけど、オマエもちゃんと帰ってこいよ! いいな?」
「は……? な、待――」
 一連の行動に呆然としていた深海君主の姿は、すぐさま見えなくなってしまった。その珍しい表情をもっとゆっくり拝めば良かったと一度だけ立ち止まったが、再び電気ウナギは走った。光の尾を引きながら突っ走るそのさまは、もしここに夜空を知るものがいたなら流れ星のようだと例えたかもしれない。
 ――海の底にも、輝く光はある。太陽にも負けない、とびきり熱い光が。
 家まであっという間だった。中には入らずそのまま外で待っていると、やがて黒い影が猛スピードで飛んでくるのが見えた。
 オレほどじゃないけど、はえーな。疲れた様子の同居人を、電気ウナギは笑顔で出迎える。
「き、君は一体どういうつもりなんだ……! 何の脈絡もなく急に走り出して――」
「おう、おかえり!」
「……!」
 電気ウナギはもう光を纏っていなかったが、暗い海の瞳に光が宿る。
「た……ただいま」
 そうぽつりと返した深海君主は、笑っていた。はにかんだその笑みを向けられるたび、電気ウナギも胸を弾ませる。きっとちょうちんあんこうは、このことを言っていたのだろう。
 光に照らされたものが明るく輝くのは、至極当然のことだった。
「よーし、メシにしよーぜ!」
「今日の君はいつにも増して強引だな……」
「ははっ、そーか?」
 長い溜息を吐き出した深海君主の肩に腕を回すと、電気ウナギはさらに上機嫌になって家のドアを開けた。

* * *

 今日も良い一日だった。
 真っ黒に焦げた物体を前にしながらも、電気ウナギは思う。うすうす感じてはいたが、深海君主は夕食当番にも向いていないようだ。任せた魚を見事に二匹共、焦がしてしまった。小さく聞こえてきた謝罪の言葉は笑い飛ばしておく。生憎、細かいことは気にしない質だ。
 黒い魚が載った皿に海藻のサラダと缶詰の中身を並べて、空白を埋める。もし腹を下したとしても、この缶詰のせいに違いない。
「いただきます」
 異なる声が同時に皿に落ちて、二人は笑い合った。
 明るい夜は、ゆっくりと更けていく。


END
(24-05-12初出)
電オクおうちアンソロジー「深い海の棲み家」に寄稿させていただいたお話でした!

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