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突然現れた敵にも、ダークチョコは動じなかった。ただ攻撃を繰り出したばかりで、かわせそうにない。せめて致命傷だけは避けようと咄嗟に身をよじる。
「ダークチョコ様……ッ!」
しかし思いもよらぬ方向から、強い力で突き飛ばされてしまった。すぐさま体勢を立て直して背後を振り返ると、先ほどまで自分がいた場所に立っていたのはミルクだ。そしてその体が、大きく揺らぐ。
地面に崩れ落ちた白い体。それを見下ろすダークチョコの剣を握る手は、僅かに震えていた。
「ちょっと毒が回っちゃったみたいだけど、大丈夫。少し休めば元気になる筈だよ」
急遽、闘技場の医務室に運び込まれたミルクを治療しながら、ハーブがやわらかな声音で言った。その瞬間、張りつめていた場の空気は一気に穏やかなものに変わっていく。
「良かったです……!」
涙ぐみながらも微笑むシュークリーム。彼女だけでなく、同じくミルクと行動を共にしていた紅イモとエスプレッソの表情にも、大なり小なり安堵の色が滲み出ていた。
「…………」
和やかな雰囲気の中、壁際に立っていたダークチョコは近くのドアを静かに開けて、そっと部屋を出た。
普段なら出場者や観客の熱気で溢れかえっているアリーナは、今日は人気がなく、しんと静まり返っている。時々設けられている定休日だ。それもあって、負傷したミルクをすぐに運び込むことが出来た。長い廊下を突き進んでいくと、受付がある広い空間に出る。玄関口もここだ。
「おい、どこに行くつもりだ」
そのまま外に出ようとすれば、場内に大きな声が響き渡る。
やはり見逃してはもらえないか。ダークチョコは溢れ出そうになった溜息を呑み込み、振り返った。想像どおり眉間にしわを刻み込んだ紅イモが、ズカズカと近づいてくる。
「どこに行くつもりだって聞いてんだ! まさかあいつのこと放ったまま、家に帰るつもりじゃねえだろうな」
「……然るべき場所へ運んだ。それに、問題ないとハーブが言っていたのをお前も聞いていた筈だが」
目の前にまでやってきた彼の手が、胸ぐらを掴むようにマントを鷲掴んだ。
「お前ッ! あいつは、お前を庇ってぶっ倒れたんだろうが!」
大きな怒鳴り声に、ダークチョコは顔をしかめる。そう、ミルクは自分を庇って倒れたのだ。戦闘のさなか、突如横から現れた新手のケーキモンスターから強引にダークチョコを遠ざけたミルクは、その攻撃を防ぎきれず地に伏してしまった。
だがそれは、ダークチョコが望んだことではない。紅イモの手を払いながら言い返す。
「あの程度の攻撃、私なら倒れずに済んだ筈だ。それを頼んでもいないのに勝手に――」
さっと後ろに飛び退くと、宙を殴りつけた紅イモが舌を打った。その目はいつも以上に怒りに燃えているように見える。対照的に、ダークチョコの口から出る声は冷たい。
「万全な状態ならまだしも、あいつはすでに負傷していた。……自分やまわりの状況を顧みずにとった無謀な行動にすら、感謝をしろと?」
「だからってその態度はねえだろう!」
静かな場内に反響する怒号。再び掴みかかってきそうな勢いで一歩踏み出した紅イモを見据え、ダークチョコは溜息をつく。一発殴って彼の気が鎮まるなら当たってやってもいいかもしれないが、それだけで治まるようには到底思えない。
面倒なことになってしまったものだ。そう思っているうちに、何か小さなものが飛んでくる。
「!!」
二人のちょうど真ん中に転がったそれがぶわっと宙に浮いた途端、芳ばしい香りが辺りに広がった。コーヒーの匂いだ。幸いダメージを受けるような魔法は展開されず、ダークチョコと紅イモは揃って先ほど自分達が入ってきたドアの方に顔を向ける。
「まったく……ただでさえ図体の大きなあなた達は通行の妨げになるというのに。そんなところで暴れられると非常に迷惑なのが分かりませんか」
「ケ、ケンカは良くありませんっ……!」
呆れたような表情でこちらに向かってくるエスプレッソと、彼の後ろでおろおろとしながらも声を張るシュークリーム。二人のその様子に紅イモはまた舌打ちしたものの、もはや戦意を失ったらしく、ダークチョコから顔を背けた。
「あいつの様子は」
紅イモに尋ねられたエスプレッソは軽く背後を振り返る。すると二人から少し遅れてやってきたハーブが、にっこりと微笑んでみせた。
「大丈夫。少し熱は出てきたけど心配いらないよ。でも念の為、解毒にいい植物の葉を持ってくるから……その間、看病は任せるね!」
「……っ、おい……!」
すれ違いざまに向けられた満面の笑みに、ダークチョコはぎょっとなった。まさか、自分に言ったわけではあるまい。彼はさっさと出ていってしまったので、残る三人に目を向ける。
「私は研究で忙しいのでこれで失礼しますよ。――ああそういえば、あなたもラテの手伝いがあると言っていましたね」
「あ、はい……! ごめんなさい。ミルクさんのこと、よろしくお願いしますね」
名残惜しそうにしながらも、シュークリームはエスプレッソに続いて立ち去ってしまう。
残るは一人。
「……おい、待て」
何も言わず出ていこうとする紅イモの肩を、ダークチョコは咄嗟に掴んでいた。迷惑そうな顔を向けられる。さっきとは反対の立場になってしまったかのようだ。
「何だよ。問題ねえんだし、付き添いなら一人で充分だろ」
「何故私が……。お前こそあいつのことを心配していただろう」
「うるせえ心配なんてしてねーよ! ――けど、あいつのこと放っていきやがったら、今度こそぶっ飛ばしてやるからな!」
こちらを睨みつけながらそう言い放った紅イモは、手を振りほどいて行ってしまった。
あっという間に場内は静まり返る。大きな息をひとつ吐き出したあと、ダークチョコは踵を返した。気乗りはしないが、さすがに意識のない怪我人を一人きりにしてしまうのも忍びない。
医務室のドアを、なるべく音を立てぬよう開く。ベッドに横たわっているミルクは、まだ意識が戻っていないようだった。解毒の関係か聞いていたとおり熱があるようで、白い肌が赤みがかっているものの呼吸の方は先ほどよりも落ち着いている。
敵を斬り伏せてから倒れていた彼を抱き起こした時には、ただでさえ白い顔が青白くなってしまっており、ダークチョコは一瞬息をするのも忘れそうになったものだ。首を振って回想を打ち消し、ベッドの脇にあるスツールに腰を下ろす。じっとミルクの顔を見つめていたが落ち着かず、結局は窓際に向かった。看病と言われても、何をすればいいのかよく分からない。
見通しのいい窓から見える景色の中、一際目立つ願いの樹。あたたかい日差しの下でなら、それはより瑞々しく輝いて見えたかもしれない。しかし仰ぎ見た空からは、今にもたくさんのしずくがこぼれ落ちてきそうだった。ひと雨降りそうだ。
「……う、ん……」
耳をついたのは、小さな呻き声。ベッドに目を向けると、薄い色の瞳と視線が合わさる。
「あれ……ダークチョコ様……? ……うっ」
ぼんやりとした様子のミルクはぱちぱちとまばたきを繰り返したあと、慌てたように体を起こそうとした。だが目眩でもしたのか、頭を押さえて俯いてしまう。体には毒が回り血も流したのだから、無理もない。
「まだ安静にしていろ。……かなり体力を消耗している筈だ」
そう声を掛けたダークチョコがスツールに座ると、彼も大人しくベッドに横になった。それでもその目はしっかり開かれている。確かに、これなら問題なさそうだ。
「すみません。僕、みんなを守らないといけなかったのに……」
状況を飲み込めてきたらしく、申し訳なさそうに眉尻を下げたミルクがこちらを見上げる。その瞬間生じた痛みに、ダークチョコは胸を押さえた。彼が倒れたあの時。この心臓は凍てつくように冷えた感覚を覚え、なのに体を巡る血は燃えるようにあつく滾っていた。
拳を握り、ダークチョコは声を絞り出す。
「何故私を庇った。あの程度の攻撃で私が倒れると、そう思ったのか」
「それは……」
「結果、お前は不要な傷を負い、皆の手を煩わせた。――二度と余計な真似をするな!」
途中聞こえてきた小さな声すら遮って、ダークチョコは言い放った。自分でも驚くほどイラついている。だけどそれが何故なのかは、分からない。
目を丸くしているミルクから視線を逸らす。さっきだって怒りで冷静さを欠いていたのは、突っかかってきた紅イモだけではなかった。もし割って入ってきたのが敵だったなら、今頃ダークチョコも大怪我をしていたに違いない。
「……すみません、でした」
どこか苦しげな謝罪の声に視線を遣れば、ミルクがまた起き上がろうとしている。無理をするなと言っても、この状況を作り出してしまったのは自分だ。やはり看病など他のものに任せるべきだった。眉間にしわを寄せるダークチョコに、ミルクは弱々しくも笑いかけてくる。
「ダークチョコ様が強いことは、僕は誰よりも知っているつもりです。……けど」
くちびるを引き結んだ彼が白い手を持ち上げた。それがおもむろにダークチョコの方に向かって伸ばされる。
「あなたが目の前で傷つくのを、ただ黙って見ているのは……嫌だったんです」
こちらまで届かず宙に浮いたままの手を、ダークチョコは黙ったまま見つめる。
「でもダークチョコ様が仰るとおり、今回はみんなに迷惑を掛けてしまいました。――だから、次はもう倒れないように、もっと鍛えます!」
――次。まだ自分を庇うつもりでいるのか。頭痛を感じたダークチョコが頭を押さえたにもかかわらず、ミルクは目を輝かせ、伸ばしていた手をぐっと力強く握りしめて気合いを入れている。
とうに怒りは冷めていた。思わず溜息をついていると、ミルクがきょろきょろ視線を動かす。
「あれ、そういえば紅イモ達は……ここって、闘技場の医務室ですよね?」
「ああ……他のもの達はお前のことを気に掛けているようだったが、先ほど帰った。怪我の治療に当たったハーブは、じきに戻る」
「そうでしたか。みんなにもちゃんと謝って、それからお礼も言わないとですね!」
にこにこ笑っていたミルクだったが、あれと再び首を傾げる。その視線はまっすぐダークチョコの方を向いていた。
「それならダークチョコ様は、一体ここで何を? ……あ、まさかダークチョコ様もお怪我を?!」
「そうじゃない。いいからお前は寝ていろ……」
今にも跳ね起きそうな勢いのミルクの肩をやんわりと押して、寝転がるよう促した。渋々といった様子で枕に頭を預けた彼がじっと見上げてくるものだから、仕方なく説明を口にする。
「誰もいない間、お前のことを見ているよう言われている。……邪魔になるようなら出ていくが」
「邪魔だなんて、そんな! ……ああでも、まさかダークチョコ様に看病していただけるだなんて!」
「……?」
慌てふためいたかと思えば、何故か嬉々として頬を綻ばせるミルクのことがまったく理解出来ずにダークチョコは首を傾げていたが、やがてすっかりベッドの脇に追いやられていたブランケットを彼の肩まで掛けてやった。
「……」
大人しく横になっているものの、ミルクは期待に満ちた目を向けてくる。そんな目で見つめられたところで、どうしてやればいいのだろうか。看病など自分には不向きだと、改めてダークチョコは痛感した。
居心地が悪くなって顔を背けると、視界に入ったのは窓の向こう。いつの間にか、静かに細い雨が降り始めていた。あのまま誰にも引き止められずにここを立ち去っていれば、今頃は晴れていたかもしれない。ダークチョコはそっと息を吐き出す。
ハーブのように傷を癒してやることは出来ない。寄り添い、気遣ってやることが出来る性分でもない。ならばせめて、ミルクが目を覚ました時、心地好い風を部屋に招き入れられるようにしてやりたかったのに。
諦めてベッドに目を戻すと、薄い色の瞳はまだこちらを向いていた。
「喉が渇いているなら、水くらいは用意してやれるが……他は期待するな」
「ありがとうございます!」
赤い顔をしながらも楽しげな様子の男の熱を確かめようと、その額に手を伸ばす。
とある光景がダークチョコの脳裏に過ぎったのは、その時だ。
思い出と呼ぶには曖昧でおぼろげなそれは、まだダークチョコが故国にいた頃。それもまだ幼く、体もそれほど大きくなっていない頃のこと。
昔から体は丈夫だった筈なのに、その日は何故か一日中ベッドに横になっていた。風邪でもひいていたのかもしれない。詳細は覚えていなかったがとにかく珍しく熱が出て、ダークチョコは寝込んでいた。
暑いのか寒いのか、自分でも分からない。せっかく掛けてもらっていた毛布を脱いでは包まってを何度も繰り返し、頭に乗せられていた氷嚢もずれ落ちてしまって、次第に意識もあやふやになっていき……。苦しくて呻くだけだったダークチョコの部屋に、誰かが入ってきた気配を感じた。もう食事の時間だろうか。だけど食欲なんてない。
ぼんやりと目を開こうとしたダークチョコの目元を、その人は塞いでしまった。いや、違う。きっと額に手を宛てがい熱を測ろうとしたのだ。大きくてゴツゴツしたその手は冷たくて気持ちが良く、そのまま目を閉じてしまった。そのうち手は離れていったものの、ひんやりとしたそれは今度は手を覆う。あんなに落ち着かなかったのに、ダークチョコはすぐに眠りに落ちてしまった。
次に目が覚めた時、すっかり熱は下がり、冷たい手も消え去っていた。
当時身の回りの世話を焼いてくれていたのはほとんどが女性であり、彼女達の手はあんなふうに硬いものではなかった筈だ。あの大きくて冷たい手は、一体誰のものだったのだろう。何となく誰かに聞くのは憚られ、結局分からずじまいだった。
あれは夢だったのだろうか。
「――ダークチョコ様?」
訝しげな声にハッと我に返ると、ミルクの額に手を置きっぱなしになっていることに気付いた。すまない、と謝って手を退ける。緩く頭を振った彼は、口元に笑みを浮かべた。
「何か、楽しいことでも考えてましたか?」
「私が、か……? 何故そう思った?」
「何だか嬉しそうに見えたので」
自覚はなかったが、表情が緩んでいたのだろう。しかし尋ねてきたミルクの方が、よほど嬉しそうに見えた。
「どうだろうな……」
ダークチョコは曖昧に首を振った。確かに悪い記憶ではなかったが、故国に関するすべてのことは、思い返すたびに苦く感じてしまう。
「あの。……ひとつお願いがあるんですけど、いいでしょうか」
ミルクはそう言って、片手を持ち上げる。
「手を、貸していただけませんか」
「手を?」
ベッドから降りるのに手を貸せという意味だろうか。それにしては起き上がろうとする気配がない。首を捻りながらもダークチョコは、同じように手を差し出す。すると、やんわりと取られた手はシーツの上に置かれ、そのまま甲を包むように白い手が重ねられた。熱のせいで、その手はあたたかいどころか熱くなってしまっている。
「こうしていると、何だか安心しますね」
「…………」
重なった手を見つめながら、ミルクが微笑む。
伝わってくる熱。まるで先ほど思い出した記憶の中に迷い込んでしまったのではないかと疑いたくなるくらい、ダークチョコの胸のうちを満たしていくそれはよく似ていた。あの時熱かったのは自分の方だった筈だ。けれど冷たい手に包まれて、そこから伝わってくる温度に幼いダークチョコは確かに安堵して。
そういえばあの時、誰かのことを呼んだような覚えがある。そしてその呼びかけに、大きくて冷たい手が応えるように優しく頭を撫でてくれたのではなかったか。
「ダークチョコ様」
今温もりを与えているのは、果たしてどちらなのだろうか。あたたかい声を耳にしながら、ダークチョコは白い頭にゆっくりと手を伸ばす。
この温もりだけは、もう、失いたくはなかった。
(by sakae)
END
(22-02-23初出)
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