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「ほんの少し……少しだけでいいので時間をください!」
そう告げると、彼は眉尻を下げて困惑した表情になった。それもその筈だ。急に「あなたの時間をください」なんて言われたら、誰だって困るに違いない。
なのに僕は言ってしまった。それほどダークチョコ様と共に過ごす時間が、ちょっとだけでもいいから欲しかったのだ。
「……これ以上私に構うなと言ったのが聞こえなかったのか」
やがて返ってきたのは、いつも以上に低い声。怒っているのかもしれない。けれど僕は食い下がった。
「ちゃんと聞こえてました。僕が煩わしいことも、分かっているつもりです」
ダークチョコ様が暗黒魔女の下を離れてこの王国で暮らすようになって、しばらく経った。彼が戦いの時だけは手を貸すと言って普段みんなと距離を置いているのは、きっと敵だったからという理由だけじゃない。呪われた剣を手に取ってしまったダークチョコ様は、未だ闇の檻に囚われ続けている。人気のない王国の隅っこに一人で暮らし、必要な時以外は決して人前に姿を現さなかった。彼のその態度は、自分の側にいるものすべてが不幸になると、そう言っているように思えてならない。
そんな彼に、僕はあれこれ用事を作っては何度も会いにいった。そのたびに眉をひそめられたものの、完全に突き放されるということもなく、僕は調子に乗ってしまっていたのだと思う。頻繁に顔を見せるようになった僕にダークチョコ様が釘を刺してきたのは、ついさっきのことだった。
「これからは、勝手に来ないようにします」
「……」
少しだけ頭を傾けて、ダークチョコ様が頷く。悲しいけれど、やはり迷惑だったのだろう。それなのに僕は要求を口にしていた。
「その代わり、少しだけ僕と過ごす時間を作ってもらえませんか」
「何故そうなる……」
頭を押さえるダークチョコ様。困らせてしまった。子どものような駄々を捏ねている自覚は、僕にだってある。だからといって彼を完全に一人きりにしてしまうなんて、出来ない。
「毎日とは言いません! 時間だって十分……いえ、五分間だけでもいいですから!!」
「……たった五分だけの為に、お前はここまで来るつもりなのか」
「五分でもあなたと時間を共有出来るのなら、それは僕にとっては有意義な時間です!」
嘆息を漏らし、渋々といった様子ではあったものの、了承してもらうことが出来た。
こうして僕は大体三日に一度、決められた日時の五分間だけ彼のお家に滞在を許されるようになった。その話を聞かせた紅イモに呆れられてしまったのは、何でだろうか。三日に一度のその瞬間、僕は本当に幸せで堪らないのに。
しかし改めて向き合うとなると妙に緊張して、思うように話せないことも増えていった。もどかしく思っているうちに約束の五分が経っていて、僕は席を立ち帰路につく。当然引き止められることはなかったけど、別にそれでも良かった。ただ少しでもお話し出来るなら、それだけで充分だったのだ。
だけど今日は様子が違った。叩いたドアを開けてくれたダークチョコ様は僕をひと目見るなり、何故か顔をしかめたのだ。別にいつも歓迎してもらえてるわけじゃないけれど、やってくるなりそんな表情をされたのは初めてのことで、戸惑ってしまう。
まさか今日は、約束の日じゃなかった? ……いや、いくら考え直しても、やっぱり今日で間違いない筈だ。時間だって合っているのに一体どうしてと、僕は不安を抱いたままダークチョコ様を見つめ返す。
しばらくすると中へ通されたものの、そのまま玄関で待っているよう言われた。
「今日は雨が降っているのか」
「え? ……はい、降ってますね」
剣の呪いを受け、常に暗雲が付き纏っているダークチョコ様の周辺では、雨が降ることも少なくない。今もぱらぱらと雨が降っていた。僕は少し首を捻って、閉じたばかりのドアを振り返る。さっきまで家の中にいて気付かなかったにしても、彼だって雨を目にした筈なのに何故わざわざ尋ねてきたのかが不思議だった。奥の部屋まで行ってしまったダークチョコ様の表情は当然見えなくて、少しだけ居心地が悪くなる。
「この辺りで雨に降られたにしては、随分濡れているな」
聞こえてきたその声に、僕は慌てて視線を下ろした。ちゃんと傘を差してきたのに、僕の体は思っていたよりずっと濡れている。ダークチョコ様に会えることばかりに意識が向かい、こんなことも気付けなかったのだ。
「すみません。実は、外に出たらもう結構降っていて……多分通り雨だと思うんですけど」
昼過ぎまではあんなに晴れていたのに、と思わず息をつく。いざこの家へ向かおうとした途端に、雨脚が強まってきてしまったのだ。ハンカチを取り出して雨水を拭おうとするが、そのハンカチまでぐっしょりと濡れてしまっている。途方に暮れて突っ立っていると、ダークチョコ様が戻ってきた。その手にあるのは、大きなバスタオル。
「とりあえずこれで拭け。……そんな悪天候の中、ここまでやってきたのか」
「えっと……雨が治まるのを待っていたら、約束の時間に間に合わなくなると思って……」
「わざわざ私に会う為だけに、か……」
怒らせてしまっただろうか。それとも、呆れ果ててしまったのだろうか。渡されたタオルで体を拭きながら、考える。でも確かに、ずぶ濡れになってまで会いに来たのは迷惑だったに違いない。何でそんなことすら考えられなかったんだろう。うきうきと弾んでいた気持ちは完全に萎んでいた。
「あの、これは洗ってお返ししますね。それと……今日はもう、帰ります」
きっと約束の五分も過ぎてしまっている。これじゃあ何の為にやってきたのか分からない。タオルは一旦お借りして洗ってこよう。
そう決めて体をドアに向けた瞬間、背中に声が掛かった。
「待て」
体がビクッと跳ねた。もうここには来るなと、今度こそ言われてしまうんじゃないかと怖くなる。おそるおそる振り向けば、ダークチョコ様はじっと僕の方を見ていた。
「そんな濡れた格好のまま帰るな。……風邪をひく」
「え…?」
言われた言葉をうまく飲み込めずに呆然としていると、彼は背中を向けて歩き出した。しどろもどろになりながら、どうにか声を掛ける。
「あ、えっと、でも、ダークチョコ様……もう五分が」
「……今日はいいから、早く来い」
立ち止まったダークチョコ様は小さくそれだけ言って、再びすたすたと奥へ向かった。我に返り、慌ててあとを追う。そのくせ僕は今、笑顔になっている筈だ。鏡を見なくたって、分かる。だって嬉しいから。三日に一度の五分間は、やっぱり無駄な時間ではなかったのだ。部屋までたどり着くと、赤い目がこちらを向いた。
「お前は本当に……どうしようもないな」
「そうかもしれませんね」
肩を竦めた彼の口元が緩んだのは、息を吐き出したからだけではないように見える。
「とにかく、先に風呂に入ってこい」
「はい!」
いつも気難しそうに眉を寄せている顔は、今は少しだけ穏やかで、声もやわらかい。だから僕も笑って頷いた。
また今度からは、きっかり五分しかお話出来ないかもしれない。それでも今日、彼のその表情を見られただけで満足だった。一度だけでも、ほんの僅かでも、僕の前で笑ってくれたから。もうそれだけで、いい。
(by sakae)
END
(21-09-21初出)
「あなたに書いてほしい物語」さんからお借りしました。
「ほんの少し時間をください」で始まり、「それだけでいいよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
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