広がるしあわせ

※無断転載・AI学習を固く禁じます。
 外はどしゃ降りの雨で、まだ昼過ぎだというのに薄暗い。だがカフェの中は、窓の外の世界など嘘のように明るい雰囲気だった。きらびやかな店内。あちこちから聞こえてくるのは、どれも楽しげな談笑ばかり。
 賑やかだが騒がしすぎるということもなく、常人にとっては居心地の良さそうな空間で、しかしダークチョコはそわそわとした気持ちをどうにか抑えながら席に着いていた。ここにいるのは場違いとしか思えない。
「どうかしましたか?」
 表情に出ていたのだろう。向かいの席から心配そうな声が飛んでくるが、ダークチョコは小さくを振って重く感じる口を開いた。
「何でもない。それより、用件は何だ」
「え?」
「……。お前は昨日自分が言ったことも覚えていないのか?」
 明日の午後二時にこのカフェで。昨日の夕方、そう言ってきたのは間違いなくミルクだ。ぽかんと口を開きっぱなしにしている彼に、少しイラついたのを誤魔化すようにゆっくりと息を吐き出す。この分だと大した用ではないらしい。
 そう考えているうちに「注文取りにきたよー!」と大きな声を出しながらこちらに向かってきたのはチェリーだ。腰のポケットから爆弾が覗いているが、いつものことなのでなるべく気にしないように努める。
「それじゃあ僕はロイヤルミルクティーを。あ、ダークチョコ様。このお店は紅茶がすごくおいしいんですよ!」
「……なら、熱いストレートティーを頼む」
「オッケー! で、どの紅茶にするのー?」
「どの……?」
 すっかり注文を終えた気になっていたのに聞き返されてしまい、ダークチョコは困惑する。ミルクが差し出してきたメニュー表に目を向けて初めて、この店にはたくさんの種類の紅茶が置かれていることを知った。
 アッサム、ダージリン、ディンブラ、ルフナ、レモンティー、アールグレイ……ざっと目を通してみると見覚えのあるものから初めて目にするものまで並んでいたが、紅茶の欄に書かれているのでそれらすべてが紅茶なのだろう。
 眉を寄せて困りきっていると「今日のおすすめはダージリンだってお姉ちゃん言ってた!」と喋りながらチェリーが指差したので、それを頼むことにした。
「お姉ちゃーん! 新しい注文〜! ねーねー爆弾まだ投げちゃダメ〜?」
「もうちょっと頑張ってからね〜!」
 不穏なやりとりにも誰も反応しないところを見ると、やはり皆慣れているのだろう。それでも念の為、ダークチョコはやってきた時と同じように元気良く去っていく少女の後ろ姿を見送ってから、正面に目を戻した。飲み物を頼んだだけだというのに、何だかひどく疲れてしまった気がする。
 視線に気が付いたミルクが、にこりと微笑む。
「デザートもおいしいですよ!」
「…………」
 ダークチョコの口から出たのは、大きな溜息。自分から呼び出しておいて一体何のつもりだろうか。もうひとつこぼれそうなそれの代わりに低い声を出す。
「特に用がないのなら帰るが」
「えっ! どうしてです?」
 驚いたのか、大きくまん丸にした目をこちらに向けたミルクが、困ったように苦笑いを浮かべた。
「僕は一緒にお茶でもしませんかと、お誘いしたつもりなんですけど……」
「……? だから、何か話があって誘ってきたのではないのか?」
「話……そうですね。ダークチョコ様とお話したいことは、たくさんあります!」
 でも、とミルクは再びメニューを開きながら続ける。
「今日は一緒においしいものを食べたいなと思って、お誘いしたんです。――ほら! カステラもおいしいですし、ケーキだってこんなに種類があるんですよ!」
 言いながらミルクは先ほど紅茶を頼んだ時と同じく、ダークチョコから見えやすいようにメニュー表の向きを変えた。それを呆然と見つめていると、さらにこちらに寄せてくる。
「たまには体も頭も休めるのも大事だと、僕は思うんです。……この王国で暮らすのも大分慣れてきたように見えますが、疲れも溜まってきてるんじゃないかなと思って」
 優しい色の双眼にまっすぐ見つめられると、どうにも落ち着かなくなってしまう。ダークチョコは視線を逸らしてメニューに目を落とす。
 ふんわりカステラ、ジャムパイ、イチゴのケーキにいろんな種類のフルーツがたっぷりと載せられたケーキ――かわいらしいイラスト付きで並んでいるそれらは、どれも甘そうだ。
 とっくに故国を離れたというのに、何故甘いものを見るだけで罪悪感を覚えてしまうのだろう。誰にも咎められずに食べる甘いデザートを、けれどダークチョコは心からおいしいと感じたことがなかった。
 それなのにミルクにすすめられると、どうしてか断ることが出来ない。昨日ここへ来る約束をした時も、さっき飲み物を頼んだ時だってそうだった。強要されているわけでも、嫌々従っているわけでもない。彼は不思議な青年だった。闇に堕ちてしまったダークチョコを、まるで眩しいものを見るかのような目で見つめてきては、優しくあたたかな声を掛けてくる。
 それが嬉しくないと言えば嘘になってしまう。ミルクが微笑みを向けてくれる。たったそれだけの理由で、ダークチョコは今ここにいるのだから。
「たくさんあって迷っちゃいますよね。やっぱりイチゴのケーキかなあ。いや、でもシフォンケーキも紅茶とよく合っておいしいですし……ああ、このパフェはまだ食べてない」
 あまりにも真剣な様子に、ついダークチョコの口元が緩む。ころころと表情が変わる様は、見ていて飽きない。
 数分悩んだ末、ようやくミルクは近くにいたウェイターのシュークリームを呼び止め、二人分のデザートを頼んだ。
 ややして、先に運ばれてきた紅茶をダークチョコは見下ろす。小ぶりのポットからそそいだばかりのそれからは、湯気と共に華やかな香りが立ちのぼってくる。ミルクがカップを手に取ったのを見て、同じように持ち上げた。ひとくちってみれば少し渋みを感じたものの苦いというほどでもなく、むしろほんの少し甘いような気がする。
 今まで紅茶の種類を意識して飲んだことはほとんどなかったが、好みの味だと思った。向かいではミルクも幸せそうな顔で目を閉じ、紅茶を堪能している。
「お待たせしましたっ!」
 少々危なっかしい手つきで運ばれてきたデザートを見た瞬間、ミルクが目を輝かせた。大きなイチゴがいくつか載ったそのケーキは、内側にもイチゴがたっぷり入っているのが側面からも伺える。さっきの口ぶりからして初めて食べるというわけでもなさそうなのに、それでも彼は満面の笑みを浮かべたままフォークを握った。
 そしてそのきらきらとした目が、こちらを向く。だが、視線が合わさることはない。皿の方に目が釘付けになっているのがすぐに分かった。
 思わず漏れそうになった笑いを噛み殺して、ダークチョコは尋ねる。
「少し食べるか?」
「えっ! あっ……!」
 恥ずかしかったのか、顔を赤くしながらもミルクはしっかりと頷く。
 ダークチョコは改めて目の前の皿に顔を向けた。ほんのりと焼き色がついたそのケーキは皿にクリームなどが添えられているものの、ミルクが頼んだものよりずっとシンプルである。メニューに載っていたデザートの中ではカステラと並んで質素に見え、ダークチョコはこれを選んだ。ミルクによればクリームやフルーツがふんだんに使われた二段重ねの、見るからに豪華なシフォンケーキの方がより人気らしかったが。
 切り分けようとフォークを入れてみると、それほど力を入れていなかったにもかかわらずフォークが沈み込む。想像していたよりずっとやわらかい。何度か目にしたことはあったような気がするが、実際にシフォンケーキを食べるのは初めてだった。
 少しになってしまったものの何とか切り分けて顔を上げれば、何故かミルクも同じようにケーキを切っている。さすがにひとくちで食べるには大きすぎるそれをぼんやり眺めていると、顔を上げたミルクが笑顔を見せた。
 もしや自分の分だろうか。ダークチョコは断ろうと口を開きかけたが、遅かった。
「こっちもおいしいですから、是非!」
 期待に満ちたような顔をされては、断るのも悪い気がする。結局ダークチョコの皿にも二種類のケーキが並んだ。
「それじゃあ、いただきます」
 そう言ってすぐにミルクはケーキを食べ始めた。おいしそうに食べている姿を見るのは、やはり悪くない。その様子を少しだけ眺めたあと、ダークチョコもフォークを手にした。まずはシフォンケーキの方からいただいてみることにする。
「――!」
 口に入れた瞬間、ダークチョコは固まった。思っていたよりもふわふわなことに驚いたからではない。
「ダークチョコ様?」
 ひとくち食べたきり動かなくなったのを怪訝に思ったらしいミルクに声を掛けられ、やっとダークチョコは口の中のものを飲み込む。
「どうしました? あ。……もしかして、甘いものは苦手でしたか?」
「……いや」
 首を緩く左右に振って、次はミルクが分けてくれたイチゴのケーキを食べてみる。シフォンケーキより濃厚で、とても甘い。それでも――。
 ダークチョコはフォークを皿に置き、心配そうにこちらを見守っているミルクに告げる。
「どちらもおいしいな……驚いた」
 途端にぱあっと表情を明るくしたミルクが、前のめりになって声を弾ませる。
「そうでしょう! どのデザートもすごくおいしいんですよ!」
 嬉しそうな声を聞きながら、ダークチョコはティーカップを手に取った。あたたかい紅茶を飲むと、高ぶった気持ちが少しずつ落ち着いてくる。
 再びシフォンケーキを切り取り、今度は生クリームを添えて口へ運んだ。しっとりとした生クリームがやわらかいケーキの生地とよく合っていて、おいしい。未だに消えない驚きを、ダークチョコは紅茶で喉の奥に流し込む。まさか、甘いものを素直においしいと感じるとは思っていなかった。
 この店のケーキが格別においしいのだろうか? 一瞬そんなふうに考えかけたが、おそらく違う。
 ケーキに夢中になっている青年をちらりと盗み見る。大ぶりのイチゴを食べようと口を大きく開けているところだった。きっと彼のおかげに違いない。あの眩しい笑みを間近で見るようになってから虚しさを感じることが段々減っていき、肩にのし掛かる重みも随分と軽くなった気がするのだ。
 誰よりも自分のことを気に掛けてくれる存在がこんなにも心強いだなんて、今まで知らなかった。
 視線に気が付いたのかミルクが顔を上げて、もぐもぐと口を動かしながらまばたきを繰り返す。その仕草がまるで幼い子どものようで、こらえきれずにダークチョコは笑った。
「ええっと、ダークチョコ様?」
 口の中を空にしてからも、ミルクは目をぱちくりとさせている。それがまたおかしくて、悪いと謝りながらもダークチョコは小さく肩を震わせた。
 しばらくきょとんとしていたミルクだったが、やがて微笑んで言った。
「また、一緒に食べに来ましょうね!」
「……ああ。そうだな」
 ケーキを食べるたびに口の中に広がる甘みが、胸の奥までじんわりと響く。
 これから先、何度でも味わうことが出来るであろうそれを、けれどもダークチョコは大事に大事に噛みしめた。
 先に皿を空にしたミルクが満足そうに紅茶を飲んでいる。その右頬にクリームがついてしまっていることは、あとで教えてやればいいだろう。
(by sakae)


END
(22-06-14初出)
幸せなミルダク……と困っていた時に「お茶する二人」のお題をいただいて書いたものでした!

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